マリア1
「神のみむねのままに!」
今のローマの下町はそう叫ぶ人ばかりだ。
(てことは、第一回十字軍が起こるのかなー)
前世知識から推測しつつ、シーツを踏んで洗う。
今世の私は、宿屋『踊る鐘亭』の五女として生まれた。上に三人の兄と二人の姉がいる私の扱いは中々酷くて。まだ五歳の童女なのに、食事が抜かれることもざらだった。二番目の姉と三番目の兄の扱いもそんなものだった。そりゃあ兄弟姉妹何人も死ぬ訳だ。
まだ死にたくなかった私は、家の洗濯物を洗うついでに、余力の範囲で近所の人の洗濯物も洗って、ご飯やお小遣いを手にした。余ったお金は、教会の神父ピエトロの『銀行』に預かってもらっていた。
この神父ピエトロ達に銀行の仕組みを教えたのは私だ。お陰で、ローマ教会に利のあるモノへの投資がやりやすくなったのだとか。ここまで明け透けな言い方はされなかったけれど。
(でも、この十字軍って生活をマシにするチャンスよねー)
下の兄なんかは、この『聖地エルサレム奪還の聖戦』に参加する気満々で。両親は口減らしになると応援している。
(失敗しても失われるのは私の尊厳と命だけ。一度死んだ身だし、いっちょやってみますか)
フンッ、と気合いを入れて、洗い場のシーツを踏んだ。
「お父様、『セムリン』ってどこにあるか知りませんか?」
翌朝の朝食の直後、私は父に尋ねた。
「セムリン? 聞いたことがないな。どこでそれを聞いたんだ?」
「夢の中で聞きました」
「夢の中?」
すると父は興味を持ったようで、身をテーブルに乗り出した。
(かかった!)
この時代は夢による『予言』などが信じられており。信心深い父はそこに引っ掛かったのだろう。
「夢の中で、誰に言われた?」
「誰かは分かりません。名乗られませんでしたので。ただ……」
私が口をつぐむと、父は「ただ?」と先を急かした。
「その方は、頭と体を羽で隠して、二枚の羽で空を飛んでおられました」
ごくり、と父だけでなく、聞き耳を立てていたらしい母とその手伝いをしていた上の姉が唾を飲んだ。
「……どのようなお顔をなされていたか、覚えているかい?」
「説明が難しいのですが。『完璧な美しさ』というのがあるのなら、あのような顔を言うのだと思います」
うっとりしてみせると、父はゴホンと咳払いした。
「他には、その方について覚えていることはあるか?」
「羽はどれも真っ白で、体を包む羽から火が漏れ出ていて。それがとっても暖かいのです」
ガタリ! と父は立ち上がり、そのまま家を出ていった。
「……お母様。私、何か変なこと言いました?」
不安な表情で尋ねると、母は誇らしげな表情で言った。
「マリアはまだ聖書を勉強中だったわね。そのお方は、天使様なのよ?」
(知ってる)
聖書は勉強中だけれど。前世のオタク趣味から、熾天使の特徴は覚えていたから、引用させてもらった。
その後父は、慌てたまま家に帰ってきて私を抱き抱えて。神父ピエトロのいる教会へと走っていった。
「神父様! 連れて来ました!」
「よく連れて来てくれた。こっちだ」
そこにいた神父ピエトロは、普段の優しい顔や、銀行の話の時のような何か企んでいる表情ではなく。もっと険しい表情をしていた。
通された部屋は、とても狭くて、何もなかった。そこの真ん中に唯一ある椅子に、私は座らされた。
「マリアよ。どのような夢を見たのかな?」
少しだけ恐怖を感じたけれど、意を決して言う。
「セムリン、という町が燃える夢です」
「セムリンという町の名前は、誰から教えてもらったのかな?」
ここで私は熾天使の外見の説明を、父にしたようにする。
「……なるほど。ロレンツォよ」
「はい!」
私の後ろに立つ父は、悲鳴じみた返事をする。
「この子は、まだ聖書は勉強中なのだな?」
「はい! 『創世記』の読み聞かせを始めたばかりです!」
「なるほど」
神父ピエトロは顎を右手でさすった後、質問を続けた。
「マリアよ。その町に、何か特徴はあったかい?」
「えっと……、石の城壁に、誰かの服と甲冑が置かれていました」
「ふむ……?」
「町が燃えて、」
私は体を震わせて、自分を抱く。
「沢山の人が、焼けたり、殺されたりする、悲鳴が。上がっていました」
「大丈夫、大丈夫だから」
神父ピエトロは、そっと私の両肩手を置いた。私がほっとした表情を向けると、神父ピエトロはニコリと笑いかけた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。話を続けてくれますか?」
「はい」
神父ピエトロが肩から手を離してから、私は続ける。
「その後も、沢山の町が燃えるのを見ました。村も、漁村もありました。沢山の人が殺されたり、燃やされたりしていました。
『どうしてこんな酷いことを!?』
私は怖くなって叫びました。すると、遠くに浮いていたそのお方が近づいてきて言われました。
『見ろ』
私は怖かったけれど、とても大切なことなんだと思って見続けました。
沢山の町が燃えました。
最後に、大きな町が燃えて。燃えた後の町に、町を燃やした人達が全員入っていきました。
そうしたら、月の旗を掲げた戦士達がその町を包囲して。町の中に籠っていた人達は、ロバの血やおしっこを飲んでいました。
そして町がまた焼かれて。焼かれた後の町に、月の旗が掲げられました。
そこまで見ると、そのお方は言われました。
『セムリンから始まった彼らの戦いは、クセリゴルドンで終わる。君は彼らと共に行ってはならない』
と。
続けて言われました。
『エルサレムに来るように。そこで私は君を待つ』
と。
これが、私の見た夢の全てです」
神父ピエトロも父も黙り込んでしまった。
(やり過ぎたかな?)
前世の知識を元にしたとはいえ。作り話にしてはリアルにし過ぎた。不安になっていると、神父ピエトロはゆっくりと言った。
「……マリアよ。君の話が本当なのか、どうなのか。私には分からない。けれども確かに『エルサレムに来るように』と言われたのだね?」
「はい」
「……そうか。ロレンツォよ」
「はい!」
「マリアは教会で預かる。良いな?」
「はいっ!」
「マリアよ」
「はい」
「君は、これから両親と離れて暮らすことになる。良いな?」
「それは、エルサレムに行くためですか?」
「そうだよ」
神父ピエトロが強く頷いたのを見て、私は頷いた。
「分かりました」