出アフリカ
現代の遺伝子の調査や古代DNAの調査によってかなりの部分で人類集団の起源が分かってきてる。ただこれは新石器時代と一部の旧石器時代の古代DNAに偏っている。出アフリカや人類が拡大した4万年以前のデータは極端に不足している。そのため新石器時代のグループがどう移動したのか?がかなり分かってきたってのが今の状態になる。
一部の旧石器時代ってのは、空白地域は多いが詳細は分からないが強引に埋めてしまおうって言うのと、欧州はかなり豊富だって点になる。欧州に近いが肝心の通り道である中東のデータは不足している人骨の保存温度の関係だと思われる。
最新のデータでもおそらくこの4万年前のデータは、田園遺跡、ウスチイシム、欧州のオアセ、パチョロギ、この辺りになる。パチョロギと田園は現代人にそれなりに影響を与えてるが、他の二つは多分絶滅してしまったと考えられている。
古代の人類はどうもいったん広がった状態からの移住によって地域によっては置換されてしまった地域がある。しかも、この一旦広がった状態もかなりややこしい。オアセパチョロギも中東からの単純な拡大モデルで良いのか?と言う疑問もある。基本常識としては中東からの単純な拡大モデルになってるが、研究者によっては特に父系に限っては東南アジアからの拡大と言う異説を唱えている人もいる。
単純な中東からの拡大モデルは欧州はふさわしくない。その理由として、欧州の集団は、かなり後になってから拡大したからになる。その理由は2つ。単純に氷河が厚くて無人地帯だったため出アフリカの6万年付近は欧州は人類の拡散の対象外だった点。次にそれらの氷河が解け始めた時代すぐに移動したのがネアンデルタール人だったためと言うのがある。
ホモサピエンスはこの後発だったためオアセで見つかっている集団は従来考えたられていたものより多くのネアンデルタール人との追加の混血割合になっている。この集団は薄められたのじゃなくて、現代人におそらく子孫を残してない。
よって今の移動の起源となってる集団は旧石器時代のかなり後の時代の集団ばかりになる。それらの集団が元どこにいたのか?はイマイチ分かってない。常識としては中東からの単純な拡散モデルによって中東のどこかにとどまっていた氷河が解けて拡大したという単純なモデルになっている。だがこれは確定ではない。
東南アジアから大冒険してきたという説は受け入れられにくいというのがある。
この時代のもので今残ってるのもパチョロギもかなり薄い遺伝子が、後からやってきたクロマニオンに混血したがかなり影響は小さい。欧州人の数%も影響を与えてないと見ている。クロマニオンが1割あればいいところなので、そのさらに一部の遺伝子のためごくごく少数の影響しか与えてない。
クロマニオンの大半を占める遺伝子はどこからともなくやってきた。彼らの起源がはさっぱり分かってない。常識的に中東の氷河が厚くならない地域に潜んでいたとこれまでの単純な拡散モデルの延長で常識になってるだけなのである。石器の存在もある。これらが中東と欧州の関係しか良く分かってないためそういう常識にならざるを得ない。
クロマニオンがどこからやってきたのか?は実は良く分かってない。扱いにくいのだが、中東人に多い基底ユーラシア集団成分は、クロマニオンにはない。そのため中東にいたのなら何故混血しなかったのか?と言う疑問が残る。
これらの集団に近い集団を調べると3万ねんあたりのコステンキ集団になる。中東の上あたりのロシア付近になる。ある時突然彼らはこのふきんに表れ、東と西に分かれて、西がクロマニオン、東がアメリカ先住民、草原牧畜民の祖先になったとなる。彼らがどう移住したかは分かってるが、彼らの祖先がどこから来たのか?はさっぱり分かってない。
その理由は、その前の時代の集団と遺伝的につながってないからになる。パチョキロは後からこれらの集団と混血してクロマニオン人になっただけで、肝心のクロマニオン人の母体がどこからやってきたのか?は分かってない。
新石器時代の移動がかなり判明してる理由は農業と定住になる。ターゲットとなる地域を定めやすくて人口も多いから人骨が当たりやすい。後寒い地域は発掘した人骨からDNAが取りやすい。石器のわりにDNAがあまり採取されてない欧州と中東の差はこんなところになる。欧州の方が研究が盛んなのもある。
コステンキ集団が、いつ出アフリカから北部に移住したか?がさっぱり分かってないのと、何故オアセ、パチョキロ、ウスチイシムと言う西北部でこれらの集団とは違う遺伝集団だったのか?で彼らの後拡大した集団であるかのせう位が高いと私は見ている。
後最大の問題は、中東欧州人の重要な祖先集団である基底ユーラシアが計算上の空想であるにすぎない点。間違いなく父系と母系のハプロは特異な遺伝子であるため、奇妙な集団が中東にいたのは間違いない。だが、その遺伝的影響の量は仮定の上の計算上の集団にすぎない。父系と母系の特異なハプロはあくまで新しい時代からの憶測にすぎない。
格DNAと父系母系ハプロの乖離はどの集団でも発生するので全く信用できない。お互い不明集団であるため都合よく結びつけられてるだけで、慎重な研究者はそれらのハプロを基底ユーラシアと単純には結びつけてない。
田園集団は、アメリカ先住民のアジア起源と普通に中国大陸の住人の先祖とみなされている。東アジアと中東欧州はこのあたり異なる。ややこしいのがインドになる。インドはこの2つの性質を両方持つ。
ただアボリジニなどの集団とこの田園集団は後から混血してるが、田園集団はそれらに比べて東アジア人の新しい集団になる。最近見つかったが、基本アメリカ先住民にはアボリジニに近い遺伝子はほとんど見つかってない。
これらについて私には見解が一応あるのだが、この時期の環境は、氷河期による乾燥によって出現したスンダランド平原とその上の東南アジア北部の森林に分けられていて、田園集団はこの森の住民だったのじゃないか?と予想している。まあ私個人の推測にすぎない。もちろんこの辺りの時代の古DNAも全く見つかってない。
新石器以降の移動で重要な集団は、東アジアは、アボリジニに近い古南方アジア集団と中國南部と北部集団、これらの北部集団のさらに北部集団がアメリカ先住民の祖先となる。後はさらに北部に西部集団の子孫である北方ユーラシア集団がいたとなる。かれらはコステンキに近い集団が東西に分かれたときの東部集団だとなる。
この西部に行った集団がクロマニオンで、これらに対して2つの集団が混血する。まず先住民であるパチョキロ集団にさらに新しい欧州で珍しい父系のC1A2とM母系の集団が混血する。これにさらに後からやってきたクロマニオン集団が混血する。はっきり言えばこの前の2つはついでにすぎない。
遺伝的に言えば割合が低すぎて重要な集団じゃない。子孫が繋がってる珍しい例って事で出してるだけ。
ただウスチイシムオアセはアジアに多い父系ハプロNOを持っていたことが分かっている。じゃNOは東部起源じゃなくて西部から来た集団なのでは?と単純にはいかない。研究者によってはこれらについては意見が違う。ある研究者は、そもそも全世界にNOが東南アジアから広がっただけで、そのうちの東部に向かった集団が中国人の先祖だって話と、中東全体にいた集団でヒマラヤ北部にあるウスチイシムを通って中国人の北部集団として東部集団と混血したって見方もある。
私はどっちかと言えば東南アジア拡散説の立場にいる。ただ古い時代には東南アジアでしか見つからないFやNOがわんさか西部で見つかっている。そのため中東全体に広がっていたものが、後から来た集団に絶滅させられただけで起源は中東や西部だったという見方もおかしくはない。
私が東南アジア説なのは、そこを発信源に人類は何度も拡散してきたため、偶然3~4万年付近には拡散してきたNOやFがいただけだと見ている。発信源が中東なら、NOやFがそこに今でもいてもおかしくはないのでは?と見てるんだ。
そもそも発信元が違うから後から来た東南アジアの新しい勢力に上書きされて消えてしまったと見ている。どっちが正しいか?は分からない。
中東は、基本このクロマニオンと基底ユーラシアで大体解ける。後はこれにクロマニオンに近いコーカサス集団がいるぐらい。この問題は、基底ユーラシアが本当に計算上以外にもいたのか?とクロマニオン自体どこにいたのか?の問題が残されてる点。細かな流入は多いが、その辺り無視してもいいとは思う。ただしイランに関しては、インド同様に草原牧畜民のR1A集団が濃い。
後基底ユーラシア以外中東の出アフリカの古い遺伝子はどうかかわったか?は良く分かってない。
ややこしいのはエジプトと中東の遺伝子は似てるのだが、これは旧石器時代に北部から流入したクロマニオンに近い集団がアフリカにも進出したからで、今でも母系にロシアに多いUと言うハプロが見つかっている。出アフリカの遺伝子のために通ってるのか?判別しにくい。後基底ユーラシアがどこにいたか?の問題もある。
これも北アフリカにいたのか?中東にいたのか?は分かってない。そもそも仮定の存在であるし…。
欧州は、クロマニオンに中東のトルコの農耕民が混血して、これにクロマニオンと分岐したユーラシア西部東部集団の子孫である草原牧畜民が最後に馬を連れて混血したとなっている。
中国を放置したけど、中国北部集団は、基本アメリカ先住民集団と近い。厳密に調べれば北部ユーラシア集団の関係なしにもシベリア集団とはやや南北勾配がある。基本的には近いグループ。北部集団と別れた中国南部集団が大体2割程度がアボリジニに近い古アジア南部集団と混血している。これらの北部集団に田園集団が関わっている。
田園集団がウスチイシムルートでやってきたか?は分からない。ただそう考えている研究者もいる。ただ綺麗にはこの2つの集団一致しない。ただ欧州のパチョキロの一部の遺伝子が田園と近い。私はこれ逆にアジアから欧州に拡散したと見てる。自然と言うなら、中東から四方に拡散が自然だとは私も思ってる。
後これに付け加えるなら、アメリカ先住民と共通する欧州の草原牧畜民と古い時代に分かれた集団が中央アジアに影響を与えている。これらに草原牧畜民と、旧石器時代と新石器時代のイラン農耕民の移住を考えると大体紐解ける。中国とウイグル、モンゴルにこれらが多少影響を受ける。ウイグルは影響が強い。
中国のこれらの扱いはとても難しい。中国に多い西方遺伝子の大半は歴史時代のものになる。起源の古いものはハプロで言うQM120意外にはない。中国に西方の影響はこれしかない。扱いが難しいのは以前は青銅器時代の遊牧民だと言われていたが、新石器時代早期にもこれらの遺伝子が見つかった点。
これについては、何度も流入があったのではないか?と私は見ている。それと言うのも中国の一部の地域に中央アジアルーツのモンゴルの青銅器文化に近い影響があると言う研究者がいるからになる。新石器時代早期は羊の流入の時期ではないか?と見ている。時代的に遺伝子に乖離が生じるほどの時期じゃないので2,3度流入があっても全くおかしくはない。
東南アジアに移ると、中国と似てるが、中国北部集団の南下が影響を及ぼしてる。しかしこのときに中国北部と南部の南下が2つ変わっていて、単純じゃない。例えばチベットビルマ系はもろ中国北部系集団の南下だが、他の地域は北部集団による玉突きの南部集団の南下になる。玉突きとは別のポリネシア人の先祖の南下もある。
ポリネシア人の先祖の中国からの南下はこれらの現象の一部だったのか?は私は分からない。中国北部集団の混血の前に移住してるので、あまり中国北部らしい形質はないと思う。ただ全くないのか?なら分からない。中国北部系の遺伝子が薄かった南下だったのは間違いない。ポリネシア人に下戸遺伝子が一応あるそうなので、下戸遺伝子は極端に北部で生まれたのはまずないと思う。
ただ南部起源説は怪しいと思ってる。そのため山東省とポリネシア人が関係してるとの話もあり、南米でもこの辺りが関係があったのでは?との話があって、山東省で生まれたものじゃないか?と見ている。
全世界を大雑把に網羅してるけど、中国南部系の北上と言うのもあり、これがとてもややこしい。まず日本に関係するのは稲作の北上と言うのがある。これは山東省のDNAを新石器だけで調べてものがあり、稲作の北上と一致して南部系の遺伝子が増えていて間違いないだろうと見られている。
だが、どうも新石器早期なのか旧石器時代後期にも南部系の北上があった可能性が有る。それと言うのも縄文人のルーツに中国南部系の北上が関係してて、この時期が良く分かってない。かなり古い時代の青森や北海道の縄文人も中国南部系の遺伝子が入っている。そのため旧石器時代にすでにあった可能性もある。
これらの流れと最近見つかったアメリカ先住民のアボリジニの遺伝子が関わってる可能性が有る。確かに小さなことだが、アメリカまで1つの流れで見るとかなり大きな流れの1つになるため取り上げてみた。
じゃ何故弥生人と縄文人はああも形質が違うかと言うと、弥生人は中国北部人が南下後の混血して北上した稲作集団になるからになる。どっちかと言えば弥生人は北部人の遺伝子の割合の方が高い。大体中国南部の現在の北部系の割合は7割ほどもあるそうだ。中国南部人の純粋な集団は台湾原住民あたりになるかもしれない。
なおかつ、弥生人は朝鮮半島でさらに追加で中国北部人が混血している。ほとんど中国南部人の遺伝子はない。ただ私はこう考えてない。この集団と弥生人は別だと考えている。稲作は北部半島集団からの南部集団への文化伝播だと思ってる。中国北部人の南下の時朝鮮半島と山東半島に分かれた2つの集団だと見ている。そのため遺伝的にはほぼ同一。中国南部系は別の理由で北上したんじゃないか?と見ている。それが漁労や熱帯ジャポニカになる。まあこれは分からない。
ポリネシアは追加で、これらの集団とアボリジニなどの古代南部アジア人との混血になる。後一部ポリネシア諸島に南米の遺伝子が入ってるのだが、これらはポリネシア人が南米に向かったというよりも、南米からポリネシア諸島に来たようだ。それと言うのも海流の関係から、南米のある地域から自然に流れつくとつきやすい島に通ってるからだそいだ。ただポリネシアからその海流で逆流して戻ってきた可能性もある。
それと言うのも南米側にはその地域にポリネシアの遺伝子が残ってないためになる。ポリネシア側だったとしてもすぐ戻ってきたのじゃないか?と言う話になる。インドが残ってるがドラヴィダで書いたばかりなので止めておく。インドについて付け加えるなら、旧石器と新石器2度の流入があったのじゃないか?だとこれについては忘れてしまった。
とにかくインドのインダス文明地域付近のイラン原住民起源は旧石器までさかのぼれるのが分かっただけになる。ただ中央アジアも似たような現象があったのだが、イランの農業が中央アジアのルーツだと言われて、これが歴史が古いからと言われている。同じく文化伝播の可能性は?だがこれはちょっと分からない。
全世界網羅できたと思う。ただそれが目的じゃない。コステンキ、クロマニオンと流れがは理解できても。このコステンキの集団の前は全く違う集団が欧州やロシアにはいたという点。彼らがどこから来たのか?で単純なアフリカ中東拡散モデルではややこしい部分があるという点になる。彼らは間違いなく別のところにいてやってきた可能性が有る。
問題はどこにいたのか?が定かじゃない点。石器なども同様に入れ替わっている。この辺りの時代は謎が多くて、現代の遺伝子からはインドや東南アジアがこれに対してとても重要って点。
少ない研究者の見解だが、中東で欧州から退避していたネアンデルタール人によってホモサピエンスは住みやすい草原を追われて、森林に追いやられていたのじゃないか?って推測がある。アボリジニはそうでもないが、デニソワ人と競合していたパプア当たりの集団はデニソワ人との混血が多いが、それ以外の地域ではほとんどない。
そのため東南アジアが第2のホモサピエンスの故郷ではないか?と言う説は意外と魅力があると思っている。アボリジニはデニソワ人と競合する地域をさっさと抜けてオーストラリアで孤立していたため混血しなかったのじゃないか?と見ている。単純な拡散モデルが成り立たない原因は旧人との競争に負けたせいじゃないか?と私も一部の研究者のように見てるのだが真相は不明。