〜エメラルドの女〜
第一章・エメラルドの女(第一の母性)
今から振り返れば嵐のような母親だった。
ある日小学校から帰り、
いつものようにランドセルをソファーに置いて
夕暮れの薄暗いリビングへ向かった。
今日はおやつを用意してくれてないな…
気が向いた時、機嫌が良い時だけ母親はおやつを用意してくれていた。おやつで母親のメンタルはある程度推測出来ていた、まだ小学生の私だったが。
カーテンの隙間から僅かに差し込む夕陽の帯は
部屋の奥まで細く長く伸び食卓のテーブルにまで
届いていた、いつもの夕暮れだがいつもと違う部屋の空気に私は気づき一瞬で悟った。
「母はここを去ったんだ、もう2度と
この部屋に帰ることはないだろう」
ベランダから差し込む細長い夕陽の帯は少しずつ
テーブルの端へと移って行く。
テレビの下にある時計の針の音が静かな部屋中に響くそんな薄暗い部屋の中、テーブルの上で何かがキラリと光った。
目を堪えてゆっくり光る物に近づいて分かった。
母親がいつもしていたエメラルドの指輪で、
指輪の下にはクシャクシャの
小さな紙切れが置かれていた。
指輪をそっと取り、そのクシャクシャの紙切れには
慌てて書いたのだろうかあまり上手ではない
母親の文字があった。
「男には気をつけてね」
誰宛なのかも分からず内容も当時6歳だった私には
理解出来なかった。
しかし、これは私への最後の手紙だという事だけは
感覚的に分かった。
さよならの文字よりも悲しい言葉だったが、
無責任な母親らしい言葉だなって思った。
母親は小さな私の手の中で微かに光る
エメラルドの指輪に生まれ変わっていた。
ヒトの幸せなんて考えた事はなかったけど
エメラルドのようにいつまでも輝いていて欲しい。
そう願う事で無理矢理に悲しみを深い深い海へと
沈めた私の心の応急処置。
愛を求める事は自分を傷つけることなんだ。と
悟った幼い私は、まだ6歳だった。