第75話 決戦の前の冬の出来事
随分と話が前に進みます。
「全くアンのやつ、厄介な状況を作りおって」
ガリアにある領館内のダンの執務室でシンとフィアナ、そしてそのフィアナの膝の上に座るニナも交えてダンに状況報告をしている。
「師匠、そうは言っても、あの状況ではしょうがないでしょう。あそこで蜂起しなければ、それこそ民衆に多大な被害が出ていましたから」
シンはダンの苦言に苦笑しながら、そう答える。民衆の扇動、手段としては回りくどいものだったが、嫌らしい手口であった。だからこそ、その場で最善の判断をしたのだと思う。
「まあ、シンがその場にいたのが、決断の決定打にはなったのは事実だな。この規格外め。まあいい、シン、お前はこのまま帝都に行って最後の家宝を回収してきてくれ」
「この後すぐですか?」
「雪が降る前に移動した方が良いじゃろ。家宝の最後の一つが回収できれば、帝国に対して一つ対抗策ができる。なので、春までに帝国で、何としてもレーニアの秘宝「ヤタノカガミ」を見つけてきてくれ」
シンはまたすぐに出発しなければいけない事に辟易とした表情を見せるが、春にくる帝国の脅威をどうにかしないといけないという事なら、致し方ないと溜息をつく。
「はあ、そう言う事ならわかりました。明後日には出発できるようにします」
「しんおにいちゃん、またいなくなっちゃうの?」
するとフィアナの膝の上でさっきまでニコニコしていたニナが、寂しげな表情を浮かべて、シンを見ている。シンはニナの頭を優しく撫でてあげて、フィアナを見ると、フィアナは優しげな表情でニナに言う。
「ニナ、シンは大切な役割があるから、我慢してね。その代り冬の間は私がニナの傍にいるから」
「ふぃおねえちゃんはいかないの?」
「ええ、今回はニナと一緒にお留守番」
ニナはそれを聞いて、笑顔を見せるとそのままフィアナに抱きつく。ニナの気持ちを汲んで留守番をするといったフィアナにシンは暖かい気持ちを感じる。
「それなら、ニナがまんする。ふぃおねえちゃんがいるなら、だいじょうぶ」
「フィー、ニナをよろしく頼む。ニナ、フィーのいう事を聞いて、いい子にしてるんだぞ」
「うん」
ダンはそんな三人の姿を満足げに見やると、シンに改めて指示を言う。
「シン、色々手間をかけてすまん。春までに家宝が全部そろえば、打つ手も変わるから、何とか見つけ出してくれ」
「わかりました」
シンは神妙な顔つきになって、深々と礼をした。
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魔の森、最奥にある帝国軍の施設では、帝国の宮廷魔法師であるアロイス・ベルツが長きにわたる研究の成果を漸く完成させようとしていた。アロイスの目の前にいるそれは、今、魔力による鎖に縛られ、身動きが取れない状態にある。それは何百年もの間、その鎖に縛られ、その場所に封印されていた。古の書物ではそれを邪竜という。暗黒の黒き竜。世界を破滅に追いやり、流浪の冒険者に倒されたという伝説の竜であった。
実はその魂は代々帝国皇帝の血脈を盟約者とし、その精神をむしばみ、破滅衝動と共に、人ならざる力を与える。今代の盟約者は現皇帝であるエリウス三世。本来、エリウスは第三皇子という立場から、皇帝になる芽はなかった。むしろ兄である第一皇子に殺される運命にあったと言ってもいい。それが、この邪竜との盟約により状況が一変し、敵対するものを全てなぎ倒し、現在の皇帝という地位を勝ち取っている。
ただし、その代償はあまりにも多い。皇帝の精神は常にこの邪竜の怨嗟にさらされる。常人であれば、とっくに気が狂っているだろう。その怨嗟を満たすものの一つが、今目の前にある封印の解除である。この封印は、旧メルストレイル公国の家宝の一つ「ヤタノカガミ」によるものである。アロイスはそれを解除する為、「ヤタノカガミ」を手に入れ、ここ封印の地にてずっと研究を行っていた。そして今、その研究の成果で、長きにわたって施されていた封印が解ける算段が付いたところまで来たのだった。
「ようやくここまで来ましたか。やはりこの鏡はやっかいなものでしたね。現代魔法の知識は役に立たない。それどころか古代魔法を紐解いても、綻びすら見せない。最終的には禁忌中の禁忌である神代魔法にまで手を染める必要がありましたから。お蔭で、漸くその封印を解く事が出来ます」
本来であれば、世界を破滅に追い込む邪竜の解放である。いくら盟約者がいるとは言え、その後の世界がどうなるか分からない。だが、アロイスの求めるのは、あくまで自身の知に対する欲求であり、その結果の邪竜解放で世界が滅亡しようとも、余り興味がなかった。
「この「ヤタノカガミ」も最早不要ですね。そもそも現代で使いこなすものがいるとも思えませんし、皇帝への報告と共に、帝都の宝物庫にでも封印いたしましょうか」
アロイスは目の前の邪竜から背を向けると、その鏡を脇に抱えながら、その場を離れて行った。
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シン達が立ち去った直後のニルスでは、一つのおかしな事件が勃発していた。
「はあ?死体の一つが無くなった?」
アンはそのおかしな事件を聞いて、思わず声を上げる。聞いたところによると、敵の首謀者であり、洗脳を施していた張本人でもある魔法師エリクの死体が、跡形もなく死体を安置していた場所から消えたとの報告だ。どうやら目撃した男によると、死体の状況が悪くならないように、定期的に点検をしていた時に、目の前で消えていったとの事だった。一体誰が、何の目的で?それがさっぱり分からない。死体が死んでいたというのは確実で、シンが倒してからもかなりの日数がたっている。生き返ったという事は無いだろう。ならその死体を何かに利用する為というのが、無難な発想なのだが、何の為にという理由の部分がさっぱり思いつかなかった。
「ふむ、まあいい。なんで死体が消えたのか、何の目的で持って行ったのかは分からんが、利用価値もあるまい。ならば、放っておきなさい。今は春に向けてやらねばいけない事がたくさんある。死体の1つや2つ帝国にくれてやればよい」
アンは報告に来た男にそう言うと、アン自身も暫くすると、その奇妙な事件を思い出すことは無くなった。
そして消えた死体であるエリクは、その目を覚まし今、ニルスを見下ろせる小高い丘の上にいた。今のエリクは確かに死体である。しかしただの死体ではない。それまでのエリクの記憶を全て受け継いだアンデットとなっていた。アンデットの 上位種であるリッチ。人で無くなったエリクの新たな状態だった。体はシンに切られた後の状態のまま。ただし心臓は動いておらず、その肌は土色に濁っている。エリクは元々、自分が死んだ先の場合を想定して、アンデットになるように魔法を準備していた。術自体は当然、媒介する魔力が必要の為、時間がかかってしまったが、それでも早く戻れた方だろう。
「ふう、何とか予定通り、アンデットとなれましたか。全くシン先生にはいつも煮え湯を飲まされます。とはいえ、これで漸く私も自由に動くことができますね。これからの私の時間は、永遠。さてさて何から始めましょうかね」
エリクはそう言って、自らの体の状態を関心したように眺めている。生きていた時のような、疲れや痛みなどは感じない。シンに切られた傷なども傷としては見て取れるが、痛みは全くない。なので、今の体で仮に欠損があった場合は、痛みも感じず、欠損した違和感だけ感じるのだろう。
「ああ、そう言えば、シン先生にはヒントを与えましたね。ならば、いつかはそこに来るのでしょう。ならば、私はそこでシン先生を待つとしましょうか。あそこならば、自身の研究にも事欠きませんし」
エリクはそう思いつくと、ほくそ笑む。そうして、ニルスを見下ろす丘から、南方の離れた地へと静かに動き出した。
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帝都にある王城にはエリウス三世がその玉座に収まっていた。先日までいた北方の地は間もなく冬が到来する為、その指揮をアーネストに託し、エリウス自身は帝都に戻っていたのだ。そしてその玉座の前には6人の騎士が礼も取らずに皇帝の前で対峙していた。
「そなたらに命令を下せるときが漸く来た。我はそなたらの最上位となった。これよりは我が命に従ってもらう」
エリウスは通常の人には出せない圧力をその6人にかけ、6人は顔をしかめる。
「どうやら本当に我らが最上位となったようだな」
その中で赤い髪、赤い瞳の燃えるような印象を与える男が、そう答える。其の佇まいは静かである。にもかかわらず、触れれば消し炭にされそうな印象を与える。それ以外のもの達も、見るからに人ならざる印象を与える異常な存在感がある。龍騎兵。彼らを呼ぶ名だ。帝国における最高戦力。これまでは皇帝直下の部隊として、皇帝に協力をしていたが、今この場で、明確にその上下が確立された。
エリウスはその言葉に満足げな表情を浮かべ、言葉を返す。
「ならば、我を王と認めるか」
すると青い髪、青い瞳をした勝気な印象を与える女性がエリウスを侮蔑した視線でその言葉に異を唱える。
「王?我らが王は金、帝は銀。その双方を越えなければ、それは名乗れない、その理は曲げられない」
するとエリウスはその言葉にフンッと鼻を鳴らす。
「金は動きだしたが、銀はこの数千年、姿も現さん。金を手に入れれば、我が真の王となる」
するとその青い瞳の女は、その言葉に噛みつく。
「お前が我らの中で最上位なのは認めよう。しかし、王であるかどうかは、あくまでお前が金を超えてからだ。それまでは認められん。我らは強者に従うのが理。最上位のお前に従うは弱者たる我らの理。しかし王であるかは別の話だ」
エリウスは結果、名称にはこだわりを見せず、女に言う。
「まあ、今は良い。取りあえずは我に従え。その方は取りあえず、魔の森のアロイスの元に向い、「ヤタノカガミ」を回収してこい。他のものは、冬を超えたら、それぞれ北と南に行ってもらう。それまでは、各々待機しておれ」
女は不満そうな顔を隠しもせずに、その場から立ち去ってしまう。他のものも、特段礼をする事もなく、各々がバラバラに散っていく。謁見の間にいた、貴族の一人がいきり立って、彼らを糾弾する。
「陛下、陛下の御前であのような不遜な振る舞い、許しておいてよろしいのですかっ」
しかしエリウスはさして興味がなさそうに、その貴族をみて言う。
「そなたは龍を相手にして、不遜な態度と糾弾する器量があるのか?ないのなら黙れ」
貴族はその皇帝の底冷えするような視線に中てられ、その場で失神した。




