第73話 魔法師の性分
これでこの章は一段落、次で章が終わり、それから次の章の予定です。
シンはその頃、ニルス領内を一望できる小高い塔の上にいた。シンの傍らにはフィアナがいる。シンは今、アンからの合図を待っているところだった。
「やっぱり洗脳の糸を感じるかい?」
シンはフィアナの感知能力を頼って、そう質問する。
「うん、中には太い糸もあるけど、ほとんどは細い糸。その代りその糸の先は負の感情が大きくなっている。不安、不信、憎悪、嫌悪、嫉妬、失望、人それぞれ色は少しづつ違うけど、それが色濃く大きくなっている」
「まあ確かにあれだけの規模で人を動かすんだ。そんな強い洗脳はできないのだろうけど。でもそれだけでこれだけの人が動くんだ。そう考えると、人の想いは本当に怖いね」
シンは負の感情でこれだけの人が暴動を起こした事に少しだけ怖さを感じる。それに対してフィアナは決然と否定する。
「シン、それは違います。本当に負の感情に飲まれる人は本来、非常に少ないものです。あれはエリクによる異常な事態。ありえないものです。だからこそそれを払い、彼らに希望を見せる必要があります」
負の感情を色で感じれるフィアナだからこその言葉なのだろう。人は清濁併せ持つ。いいところも悪いところも合わせて人なのだ。本来であれば、バランスの取れるその心も今は意図的に負が勝っている。確かにこれに恐ろしさを感じる必要はないのかもしれない。
「フィー、ありがとう。そうだな。俺もそう思うよ。俺にも負の感情はあるのかもしれない。でもそれ以上に大切にしたい思いがあるから、ブレずにいられる。うん、ならさっさとこの嫌な状況を払って、あるべき姿に戻さないと」
「あら、シンは子供の頃から負の感情なんて感じさせません。いつも優しくて暖かい。だから私はシンの傍が一番大好きなんです」
「はは、これからもそうあれるように、頑張るよ。かわいい奥様」
「勿論です。私が傍にいるのに、シンが変わるなんてありえません。優しい旦那様」
そう言って二人はより添いあいながら、笑顔を交わす。そうこうするうちにアンからの合図ののろしが上がる。
「さあ、反撃開始だ」
シンはフィアナにそう宣言すると、手に持つ宝刀「クサナギ」に一気に魔力をこめ始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方アンは今、帝国軍とその暴動の民を前に反帝国勢力の人員を総動員して対峙していた。相手の民衆の数を合わせたら、その数は4分の1以下。本来であれば、立ち上がるタイミングではないのは、明らかだった。それでも民衆に危害が及ぶ事を最小限にと考えた場合、これ以外の選択肢はなかった。
「これはこれは、前ニルス領選定公がおひとり、アン・二ルス様。私の名はエリク、今回の帝国軍の責任者でございます。この度はわざわざご足労いただき、ありがとうございます」
仰々しく礼をとりながら優男の魔法師がアンの目の前で礼をとる。勝利を確信したいやらしい顔をである。アンは侮蔑を持った目線で、目の前の魔法師を睨みつける。
「フン、あんたが洗脳を施している魔法師かい。こんな婆一人を炙り出すのに随分と手間のかけるじゃないかい」
「おやおや、流石は元選定公の一人ですね。私の手段を読んでらっしゃるとは。素晴らしいですね」
勝ちを意識したエリクは、既にアンが何を言ったところで動揺は見せない。むしろ上から目線で、アンに賛辞を贈る。ただ勝ちを確信してるのは、何もエリクだけではない。
「そりゃどうも。あんたの考える事なんざ、私にしてみれば児戯に等しいね。大方、既に私を捕縛した気分でいるんだろう」
アンもまたそう言って、エリクを挑発する。
「いえいえ、事は終わってみないとわかりませんから。念には念を入れますよ」
エリクはそう言うと、洗脳・扇動した人間達の前に帝国兵を出す。その数約1,000名。反帝国勢力側の兵はおよそその半分の500名。民衆を加えるとざっと4倍の戦力差である。ただし、民衆はあくまで抑え、炙りだした敵戦力は帝国軍で対処する算段だった。その兵力を見て漸くアンは厳しい表情を見せる。エリクはその表情に満足を覚え、全体に指示を出そうとした矢先である。
あたり一面が白い光につるまれる。光の奔流。膨大な量の光が一面に振りそそぐ。その場にいた誰もが、思わず目をつむり、その光をただじっと耐える。
「なっ、これはっ」
エリクは目を瞑る直前にその現象を思い出す。光の奔流、その後に起こったことに。
『これはまずいっ』
エリクは光に抗いながらも、頭の中で警鐘を鳴らす。そして暫くするとあたりが正常の光を取り戻す。するとこれまで、エリクを介して繋がっていた洗脳の糸が綺麗さっぱり周囲からなくなっているのを感じる。公都から連れてきていた強い糸で結ばれていたものはその場で崩れ落ち、細い糸で繋がっていたものは、まるで心にかかっていた霧が晴れたかのように、すがすがしい気持ちでその場に立ち尽くす。そんな中、いち早く立ち直りを見せたのが、アンであった。
「ニルスの民よ、よくお聞きなさい。今、あなた達は下劣な帝国の陰謀により、不当に意識を操作されていました。あなた達は今晴れた心持ちでいるのでしょう。それが何よりの証拠。下劣な帝国はそなた達を、ニルスの民衆を盾に取りました。これは許すまじき悪行。私、前選定公アン・ニルスは今この場にて立ち上がり、そなた達を導きます。武器を取り、我に従え。今こそこのニルスを帝国から解き放とうぞ」
するとその宣言に後に呼応するように、背の高い一人の美人剣士が帝国目掛けて切りかかる。アカネである。アカネは身体強化を全身に最大限引き上げてかけ、帝国兵を次々と切り倒していく。
「我に続け、帝国を逃がすな、ニルスを解放しろーっ」
すると反帝国勢力の軍も一気に帝国兵になだれ込む。完全に士気は反帝国勢力が優勢。それに民衆が追従する。
「俺らを勝手に利用しやがって」
「許せねえ、あいつらを追い払え」
「アン様の為にもニルスを取り戻すぞ」
様々な掛け声が上がり、1,000名近くいた民衆が一気に帝国軍に襲いかかる。場内は一気に乱戦の体を見せる。アンはすかさず、エリクを見て、周囲にその捕縛を指示する。
「あの男が首謀者だ。あの男を捕らえろ」
エリクはまた実体を薄くし、その場から逃げようとする。すると、そこに黒い一陣の風が通り過ぎる。
「ガフッ」
するとエリクが憎んでやまない男が目の前に立っていた。切られたエリクはその場に倒れ込む。シンはエリクの前に剣をかかげると、エリクの息があるうちにと、話かける。
「王都以来ですか。エリク先生」
「おやおや…また、あなたですか。あいも変わらず、忌々しい」
エリクは動くこともできないのか、よわよわしい口調で、その場に横たわったままになる。シンはそんなエリクの様子を注意深く見ながら、動く気配がない事を確認すると、質問をする。
「エリク先生。あなたには一つ質問がある。あなたはなんでセシル女王陛下にあそこまで固執した。いや、今この時でも固執しているのかもしれない。俺はその理由が知りたい」
「ふーっ、この死にかけの時に、そんな質問ですか。私に答える義務はないのですが」
シンは表情を変えずに、淡々と言葉を返す。
「でもあなたは魔法師だ。あなたの中には知識に対する欲求があり、それは未練でもある。ならば、話さずにはいられないでしょう」
「フッ、あなたはつくづく、嫌なお方だ。嫌なところを付いてくる。いいでしょう、一つだけヒントを。メルゼンの地下へお行きなさい。後は自分で考えればいいでしょう」
「メルゼンの地下ですか?地下には何がっ?」
シンは怪訝な表情を見せ、更に問い詰めるが、そこでエリクが大量の血を吐く。
グフッ
シンが近寄ってエリクを見るとその傍らに小さな小瓶が転がっている。
「チッ、毒をあおったか」
シンは悔しげな表情を浮かべるが、エリクが言ったようにそもそも答える義理は無いのだ。むしろヒントがあっただけでももうけものと考えて、気持ちを切り替える。周囲を見ると既に態勢は決している。シンは、戦闘には加わらず、その足でアンの元へと向かう。彼女の傍らにはフィアナもいる。フィアナはアンより先にシンに気付き、ニコニコしている。程なくして、アンもシンに気付き、話かけてくる。
「あんた、何だいあれば?ニルスの町中を浄化しちまったじゃないか。お蔭で一瞬、相手を攻める気もなくしちまいそうになったじゃないか」
シンはそんな憎まれ口に、思わず愛想笑いで答え、アンの不況を更に買う。フィアナはその隣で、相変わらず楽しそうに二人を見ている。そこに帝国軍をあらかた取り押さえたアカネが帰ってくる。と同時にシンの腕に思いっ切り抱きついてくる。
「ん~~、シン成分補給~。アン様、取りあえず帝国軍は一通り、取り押さえたよ。逃げた奴は一旦ほっぽいてるけど、追いかける?」
これまた口の利き方のなってないアカネを目にして、アンはこめかみを指で押さえると、怒鳴るのを堪え、アカネを褒める。
「アカネ、あんたは女子なんだから、もう少し口の利き方を考えた方が、いいね。それはともかく、よくやった。あんたが勢いを付けてくれたおかげで、態勢は一気にこちらに傾いた。礼を言うよ」
アカネは少しだけ、バツの悪い顔をした後、褒められたことには素直に喜んで、シンに自慢する。
「ねえ、シン。今の聞いた?私、頑張ったでしょ?シンも褒めてっ」
シンは少しだけ呆れた表情を見せるが、頑張ったのは事実なので、褒めてやる。
「アカネ、えらい、よくやった」
「シン、褒め方が雑。もう少し心を込めて、褒められないのっ」
「フフフッ、アカネさん。シンはテレてるだけ。本当はすごいと思っているわ」
するとシンの心の内をフィアナは簡単に暴露してしまう。
「こら、フィーっ」
アンはそんな三人のやり取りを遠巻きに見ながら、これから帝国と事を構えようとしているこの時に、なんと悠長なと呆れると共に、その明るさが、今後のこの北方諸国を照らしていくのかもしれないと思い、思わず笑みをこぼしていた。




