第32話 フィアナの宝物
王宮内にある図書室には、国内外の様々な書籍が集められている。その種類は多岐に渡り、国王が学ぶ為の帝王学や経済学、王国史、近隣諸国の報告資料まで多岐に渡る。数代前の国王の中には、収集を目的として、かなりの予算が注ぎ込まれた時期もあり、それこそ王国史以前の書物も数多く存在する。
王立図書室の司書ハンスは、そんな王国史以前の書物を机の上に山積みして、読み更けっていた。それが第二王女フィアナの要望だからである。フィアナは目が見えないにも関わらず、本が好きである。読む本は物語を好むが、王国史を始めとする歴史にも関心が高い。前回の読書の時間の際に、王国史以前の書物に話題が上がり、その話を聞いてみたいと要望を貰って今読み更けっているのだ。
古い書物というのはまず読みずらい。また、伝承も多くなり、真実味が薄い。それだけ話は壮大となる為、むしろ物語好きのフィアナには喜ばれるのではないかと思っている。今読んでいるのもそんな話であり、とある国の興亡の伝承で、竜王が国を起こしその末裔がその国を繁栄させていく。竜は黄金に輝く鱗を持ち、絶大な力を持って、国を起こして、近隣諸国を平定していく。その血を受け継ぐ子孫達も類い稀な能力を持ち、国は繁栄していく。ある時、黒い鱗を持つ邪竜が現れ、その国を滅ぼすところまでが一連の話だった。
「そう言えば、いずれとも知らない流浪の戦士が竜を滅ぼしたなんて話もあったっけ?」
ハンスは竜絡みで見た事のある書物の内容を思い出すが、肝心の何処で見たかまでは思い出せない。まぁ今回の読書では必要ないかとも思い、一旦、思考を放棄する。そろそろフィアナが来る時間である。今回はこの本にしようと竜王の伝承の本を片手に蔵書室を後にした。
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とある日の王宮図書室の傍で、フィアナはハンスと一緒に読書の時間を過ごしていた。
フィアナにとっては貴重な時間で、目の見えない彼女にとっては、聞かされる言葉が知識となる。王宮内でしか過ごした事のないフィアナには、視覚以外の感覚で得られる情報は限定的で、他に得られる情報は本しかないのだ。必然的に思った事はすぐ声に出して質問してしまう。
「ハンス先生、竜とはいったいどんな生き物なのでしょうか?」
ハンスはフィアナの読書係となってからまだ一年程度だが、ある程度、フィアナの傾向はわかっているので、慌てず、淡々と説明する。
「竜とは外皮を鱗に覆われた鋭い牙、鋭い爪を持つ魔物の事です。ただ魔物とは言ってもその最上位のもは竜王と呼ばれ、人以上の知性と知識を有し、中には人の姿に身を変えるものまでいると言われています。とはいえ、古い書物の伝承の中でしか見られないですけどね」
フィアナはそのもののイメージがつかないのか、首を傾げている。
「実際にいない生き物なのですか?」
「それはわかりません。ただ亜竜と呼ばれる竜の亜種に関しては、魔の森で目撃衝撃もありますし、実際に被害にあったという報告書も存在しますので、いないとも言い切れないですね。」
ハンスはフィアナへの説明は、事実のみを伝えるようにしている。彼女は勘がいいのか、真贋の判断が的確で、嘘をすぐ見抜いてしまう。なので中には王家に対して説明しづらい事でも正直に言う事にしている。この竜の件に関しては、正直、事実とも架空のものとも言い切れず、結果回答も曖昧となってしまう。
「フフフッ、ハンス先生でもお分かりにならない事があるのですね」
「いえいえ、正直分からない事だらけですよ。世の中には数多の本があり、私が読んでいるのはまだまだごく一部です。まあそれでも大抵の方よりは知識を有していると自負しておりますが」
ハンスは前任の司書が引退をした後に司書としてここに配属された。元々はメルゼンの王立学院を主席で卒業した秀才で、仕官すれば末は大臣かとまで言われていた神童である。それが、本人の志望したのは王宮内の図書室の司書で、周囲を大いに落胆させた。本人にしてみれば、下級貴族の三男で、気まま立場である。へんに立身出世を果たして、人間関係でゴタゴタするよりかは、好きな本に囲まれて一生を過ごせるほうが、よほど有意義な人生だと感じている。
それに今では、もう一つの楽しみが存在する。それがカストレイア王国第二王女のフィオナである。この可憐な盲目の少女を見た時に、ハンスは一瞬で心を奪われた。相手が王女殿下であることから、雲の上のまたそのまた上の存在であるのは重々承知している。ただ眺めるだけで、その時間を共有してもらえるだけで、ハンスの心は満足だった。
「では今後もよろしくお願いしますね。ハンス先生。今回のお話はとても興味深い内容でした。次もまた王国史以前のお話を伺いたいです。よろしくお願いしますね」
「ええ、賜りました。他の地域の伝承もございますので、いくつか取り繕っておきます」
ハンスは、頭の中でフィオナに喜んで貰えそうな本を思い浮かべながら、そう答えた
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フィオナは図書室を後にすると、王宮内を一人、後宮の方へ歩いていた。
王宮内ではフィオナはお供のものを原則連れて歩かない。王宮内の場所は、感覚でほぼ理解している為、必要としないのだ。それに王宮外の人間が歩くような謁見の間や貴族の執務室の一角、行政府にも原則立ち寄らない。今はシンから貰ったネックレスのお蔭で悪意に怯える事は無くなったが、それでも悪意を感じることはできる。身の危険に晒される事もある為、極力立ち寄らない。立ち寄る場合は必ず護衛がつく。
今は王宮外の人達が立ち寄らない区画を歩いており、そのまま庭園に出てお茶を飲んでゆっくりとした時間を過ごすつもりでいる。すると、前方から人がくるのが感じられる。フィオナは廊下を脇に逸れ、支柱の一つに身を潜ませる。王宮外の人だったからだ。
「あの方はフロイセン公爵様…?それともう一方は、感じたことの無い方かしら」
フィオナは二人が通るのをやり過ごすと、すごく不自然さを感じる。フロイセン公爵の感情が全く動いていないのだ。イメージとしては無機質なものの感覚である。生きていない、ただあるだけのもの、そんな感覚である。それにもう一人の人物もおかしい。二人が何かの線で繋がっているのだ。そしてその人の持つ感情は愉悦。歪んだ喜びである。
「あれは一体なんだったのかしら」
フィオナはそう言葉をこぼす。
正直、あまり良い予感がしない。胸がざわめく。しかもあの二人がきた方向には王の執務室があるのだ。フィオナは何となく不安に駆られて、王の執務室へと歩いていく。普段はあまり近よらないところだ。父である王は、フィオナの目が見えない事に対する憐憫の情を常に抱えている。フィオナにしてみれば、会う事で心を痛める父に対して申し訳ない気持ちになるので、自然とお互いに距離を置くことになってしまっている。そして、執務室の前まで来て、そのドアをノックする。
「お父様、フィオナです。少しお話があるのですが。」
「入りなさい」
無機質な声。フィオナは嫌な予感がする。フィオナは扉を開けて中に入ると中の様子を伺う。父はデスクの椅子に腰を掛けており、入ってきたフィオナに気配を向ける事もしない。むしろ感情が動いていない。フロイセン公爵を感じた時と全く同じ感覚であった。
フィオナはそのまま父の座る机の脇まで行くと、自分のつけているネックレスを外し、父にお願いをする。
「お父様、最近手に入れました私の宝物なんです。お父様にも見ていただきたくて、是非手に取ってみていただけませんか?」
父は変わらず動かない感情で、無碍に言葉を返す。
「今は執務中である。些末な事は後にしなさい」
「あら、かわいい娘のお願いです。少しでいいので、見てください」
やはり感情は動かないが、見た方が早いとでも考えたのか、その右手を差し出す。
「少し見るだけだぞ。見たら出ていきなさい」
「はい、お父様。ありがとうございます」
フィオナはそう言って、笑顔を見せてそのネックレスを手の平に置く。
パチッ
何かが切れる音がすると共に、王の感情に色が戻る。フィオナは安心のあまり、思わず王に抱きつく。王は突然フィオナに抱きつかれて、なにがなんだか分からずに、目を白黒させる。
「フィオナ、いつこの部屋に?何かあったのかい」
「いえ、何でもありません。お父様が私の宝物をお褒めいただいたので、つい嬉しくて抱きついてしまいました」
「宝物?」
王はそう言うと自分の右手にネックレスが握られている事に気付く。白銀に輝く石をつけた綺麗なネックレスである。
「ほう、何とも不思議な。優しいというか、暖かいというか。これは魔石か。うむ、確かに素晴らしい一品だ」
「ええ、私の宝物なんです」
フィオナは本当にうれしいのか、普段は見せない満面に笑みを浮かべる。王はその笑顔をみて、フィオナがそんな笑顔を見せるのは、王妃が生きていたころまで記憶を遡らなければならず、びっくりする以上に、うれしさを感じる。
「私にしてれば、そなたのその笑顔こそが宝物なのだがな。そう言えば、確かフロイセン公爵と会談をしていたはずなのだが、彼は何処に行った?」
「あら、大分前に帰られましたよ。私はそれを見て、こちらに寄らせていただきましたので」
「はて、いつの間に???」
王は首を傾げて、困惑している。フィオナは安堵の気持ちと共に、何か言い寄れぬ不安も感じていた。
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王城からでて貴族街が立ち並ぶ道中の馬車の中で、二人の男性が向かい合って座っている。一人はフロイセン公爵。もう一人はメルゼンで王立学院を追われた、魔法講師のエリクだった。
「おや、どうやら王への洗脳は解けてしまったみたいですね。さすがは王家と言ったところでしょうか。存外早く解けてしまいましたが、まあ、王宮内に魔力無効化の術式でもあるのか、宮廷魔法師にでも見つかったか。ああ、でも後者は無いですかね。あの方はあまり有能ではないですから」
エリクは、馬車での道中、王に仕掛けた洗脳が解けた事に気付く。パスが切られたのだ。これ自体は想定範囲内である。むしろ、これすらも上手くいくようであれば、この王国の先行きも危ないかもしれない。そういった意味では、存外早く解けた事は、評価に値すると思っている。目の前の人物はエリクの独り言にもまるで、反応する様子を見せない。今、彼はエリクの術中にはまっており、完全に操り人形と化していた。今回の王との面談はあくまで情報収集と持ち札の有用性の確認にすぎず、王への洗脳は実験の意味合いが強いが、警戒を強める必要があるかもしれないと思うほどには、早い解決だった。
「まあ手札は強力ですから、後は、これをどう使っていくかですね」
エリクは、目の前の人物を眺めて、これからの展開を想像しながら、一人ごちる。
「あなたはこれから、稀代の英雄となられるが、最悪の逆臣となるか、どちらにせよ歴史に名を残す事になりますよ」
そう言って、愉悦に表情を歪ませてほくそ笑むのだった。
 
 




