第18話 セシルの想い
シンはひっそりと晩餐会の会場に戻ってきた。会は終盤に差し掛かろうとするところで、会場も少しまったりとした空気になっている。シンは近くにいた給仕からドリンクを受け取ると、そのまま飲み干してしまう。冷たい液体が体の中を通り抜けると、アルコール分が少しだけ胸を熱くする。シンは空いたグラスを給仕に返すと壁に寄り添い、深く溜息を吐く。
「シン殿、少しお疲れかい?」
シンを見かけたアレクが近寄って、話しかけてくる。
「はい、慣れない晩餐の席で、いささか気が張っていたようで、正直疲れました」
疲れの理由はそれだけではないが、正直な心情を率直に伝える。
「セシルとのダンスで悪目立ちをしてしまったからね。上手く君も助けたかったのだけど、セシルの方で手一杯でね」
「そのセシル王女殿下は今どちらにいらっしゃるのですか?」
アレクは目線を会場中央にずらすと、苦い表情をして、中央でダンスをしているセシルを見る。
「上手く逃げていたんだけど、彼だけはしつこくてね。彼はフロイセン公爵の息子なんだけど、ダンスを誘う時、わざわざ公爵が出張ってきてね。渋々受けざるを得なかったんだ」
シンは明らかに不満なのか、冷たい表情を動かさないセシルを見て、
「この後、私が人知れず自分の部屋戻ったと聞いたら、どうなりますかね」
シンが顔を引きつらせてそう言うと、アレクは少しだけ可笑しそうに、
「シン殿はさすがに英雄と呼ばれるだけの事はあるね。私でもあの表情のセシルは、恐ろしくて、放っておけはしないよ」
シンはハハハと乾いた笑いを返して、
「ええ、私も全く同意見です」
と言って、がっくりうな垂れた。
そして音楽が終わり、ダンスパートナーのエスコートを早々に引き離すと、セシルはいかにも不満ですと言った表情を張り付かせて、アレクとシンの元にやって来る。
「シン様、一体どちらに行ってらしたのですか?お陰で私は…」
流石に後半部分は、声を出すのを憚ったのか、小声になりながらもゴニョゴニョと文句を続けている。アレクは流石に、そのセシルの態度は悪いと思ったのか、セシルの耳元でそっと窘める。
「セシル、君は王族の立場をもう少し理解しなさい。今のダンスもシン殿には微塵も非はない。むしろ王女として君が勤めるべき責務みたいなものなんだから」
セシルはキッとアレクを睨むがすぐしおしおになって、思わず目に涙を溜める。
「アレク殿下、王女殿下は今あまり気分が優れないようです。外へお連れして夜風にも当たられたら、気分も良くなるのではないかと愚考します。王女殿下も、そうしてみては、いかがでしょうか?」
「シン殿、お疲れのところ申し訳ないが、お願い出来るかな。セシルもそれでいいかい?」
セシルは声を出さずに、首だけ頷くとシンの腕をそっととる。
「セシル王女殿下、それでは参りましょう。今夜は月がとても綺麗です。それを眺めれば、少しは気分も晴れましょう」
シンは優しい声音でそう言うと、ゆっくりとした歩調でセシルをバルコニーへ誘う。
バルコニーに着くとシンはバルコニーの椅子にセシルを座らせる。そしてその椅子の前に片膝をついて、セシルの顔を見上げて優しく声音で話しかける。
「セシル、少しは落ち着いたかい」
セシルは変わらず、黙っているが、シンがその手を取って優しくその甲を撫でてあげると、少しだけ頬を赤らめめて、今度は見上げるシンの顔からそっぽを向き、不満を言う。
「シン様、ずるいですわ。そんなに優しくされたら、怒ってられないですわ」
と言って、拗ねる。シンはそのまま手を取りセシルを立ち上がらせると、スッとホールドを決め、
「セシル、まだ踊り足らないので、付き合ってくれるかい?」
そう言って、微笑みを浮かべる。セシルは口を尖らせて
「仕方がないから付き合ってあげますわ」
と拗ねた返事を返すが、結局は長く続かず、すぐに嬉しげな表情となるのだった。
そしてしばらく二人はダンスを楽しんだ後、並んでバルコニーの椅子に腰をかける。月明かりに照らされた金色の髪は、彼女の華やかさを一層、彩らせる。セシルは一息つくと少しだけ寂しげな表情を浮かべて、話し始める。
「本当はアレクお兄様のおっしゃりようは、よくわかってるの。私は王族で第一王女だから。だから望まない相手でも愛想良くしないといけないし、ゆくゆくは国の為に利益となる相手と結婚もしなければいけない。今は我儘を言って、学生でいられるまでは、相手を決めないでいられるだけ。でも、このわずかな間だけでも、私は自分がしたいようにしたいの。その後の人生がままならないものであったとしても、その瞬間があれば、幸せな人生だったと思えるから。だからシン様、シン様にはとことん付き合って貰いますから、覚悟して下さいね」
セシルはそう言うと茶目っ気たっぷりの小悪魔的な笑みを浮かべる。
「ちなみにそれをお断りする事は?」
シンは答えが判っていながらも、思わずそう聞く。
「ウフフッ、駄目よ。シン様は私の英雄様ですから。拒否はできません」
セシルはそう言うと、嬉しげにシンの腕にしがみついた。
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晩餐会の帰りのとある馬車の中での出来事である。
「一介の冒険者風情が調子に乗りやがって。セシルの奴もあんな奴の傍で嬉しそうにしやがって。くそっ、面白くない」
その貴族の子息は王宮から貴族街にある邸宅に戻る途中の馬車の中で、そう悪態をついていた。
「あらあら、ケインお兄様。相手は一夜限りの英雄様ではないですか。そのようなものに嫉妬なさるなど、詮無き事ですわ。」
ケインと呼ばれた男は、馬車の前に座る妹を人睨みすると、フンッと鼻息を上げ、首を逸らす。
「アイシャ。そうは言うが、あのセシルが晩餐会の場で、男と踊るなど初めての事だぞ。結局その後、父上のお口添えで踊る事は出来たものの、その後はまたあの男にべったりではないか。この国の次期王はアレクで決まりだが、だからこそ、セシルを狙うものも多い。アレクには既に婚約者が決まっているが、セシルはまだ、誰ともそう言った話を進めていない。今回の晩餐会のような場は貴重な機会だというのに」
「だからこそではありませんか、ケインお兄様。今日そばにいらっしゃった方は一夜限りの英雄様です。直接姫様の婚姻に影響のある人物ではございません。むしろ自分を助けた相手とダンスを踊るなど美談ではございませんか。私もかのお方であれば、是非ダンスを踊りたかったですわ」
「フンッ、お前の方こそ奴にご執心ではないか。まあいい。セシルとは学院でまた再会する。アイシャ、その際はセシルの奴を上手く引き込めよ」
「勿論、わがフロイセン公爵家の為、協力は惜しみませんわ。ただ、それをものにできるかは、ケインお兄様次第という事だけ、ご承知おき下さいね」
ケインとアイシャはフロイセン公爵家の子息で、共にセシルの通う王立学院の学生であった。アイシャは元々歳が同じであることもあり、幼少の頃よりセシルとは顔見知りであった。学院内でもセシルとは友人として接しており、何度か兄ケインともセシルを引き合わせていたりする。ただ、一向にセシルの興味が上がっていないのが難点であり、その兄を引き合わせる事はアイシャにとって一苦労だったりする。せめて、あの一夜の英雄様が見せたような、控えめで洗練された所作をお見せする事ができればと思わなくはないが、自尊心の高い兄には到底思いつかないだろうと、軽く嘆息する。
「おう、任せておけ。セシルは必ず俺のものにしてみせる」
アイシャの思惑とは裏腹に、ケインは自信満々の表情を浮かべて、鷹揚に頷くのだった。
 
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