第10話 セシルの救出(前編)
「随分派手に立ち回っていただきましたねぇ、セシル王女殿下」
男は苛立ちを隠さず、忌々しく目の前に座っている少女を睨んでいる。男はほとんど体を鍛えた事などないのだろう、脂肪に緩んだ体を持て余し気味に、少女の前のソファに座っている。
セシルは魔法でドアを破壊した後、何度か通路を爆散させ、依頼主を出せば、おとなしくすると見張り達に脅しをかけたのだ。多勢に無勢でもあるので、取り押さえる事は可能だったが、セシルの要求を呑んで、今この席が設けられている。
「あら、何の事かしら。招かれたわけでもないし、ドアは建付けが悪くて空かないもんだから、ついつい魔法を使ってドアを開けてしまっただけだけど。何か都合が悪かったかしら、ルイーズ様?」
ルイーズ・リザルト。このヤンセンの町の領主であり、カストレイア王国の国軍の北部エリアを統轄する将軍であるバスク公の息子である。
王立学院に在学中に何度か見かけた程度の面識だが、噂はいくつか聞いたことがあり、あまりいい類の噂ではない事だけは記憶している。こうして当人に対面してみても、噂通りの人物なのが想像できる。
「いえいえ、王女殿下の行動など些事にすぎませんので、ご心配なさらずとも結構です。それよりも、私の名前を覚えていただき、恐悦至極に存じます。さて、差し支えなければ、今後の事を少しご説明させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あら、私は王都からの伝令でお父上にお会いする予定だと思っておりましたが、それ以外に何か予定があるのかしら」
「ええ、勿論。王女殿下は今、先の野盗に襲われた折、現在は行方がしれない状況となっております。そして攫われた野盗たちに売られて、アーガス帝国に売られるご予定となっております。つきましては、今宵より奴隷に身をやつしていただき、明日にでもアーガス帝国に向っていただこうかと存じます。いかがです、素敵なご予定でしょう」
ルイーズは興が乗ってきたのか、少し恍惚とした表情となり、早口で捲し立てる。
「そう、バクス公も馬鹿な息子を持ったものね。大方、アーガス帝国に担がれただけなのだろうけど。それでこのヤンセンを足掛かりに、アーガスは王国に攻め入ろうとでもするのかしら?」
「何をおっしゃいます、王女殿下。ここヤンセンはもう既にアーガス帝国のものですよ。アーガスはこの私めにヤンセンの所領と帝国での伯爵位の爵位を約束してくれております。父が居ぬ間に軍共ども私が手中におさめ、ゆくゆくは王国攻略の先兵として名を馳せましょう」
セシルははぁ、と深く溜息をつくとルイーズを憐れむように一瞥して、
「つくづく残念なお方。恐らくアーガスの目的はバクス公の失脚を狙った北の軍の混乱かしら。私をアーガスに売った張本人として、その情報を王国上層部に売るわね。自分で言うのもあれですが、王国内で私の人気は高いですから。リザラス家は間違いなくお取りつぶし。そして、北の拠点は将軍不在で、統制が乱れる。その不意を衝いて帝国が攻め入るといったところかしら。フフフッ、確かによくできたシナリオですわ」
アーガス帝国の本当の思惑を推察する。まぁ恐らく合っているだろう。
そもそも軍を追放されたルイーズに王国攻略の先鋒を任せるはずがなく、そもそもヤンセンに駐留する国軍がルイーズの指揮下に入るはずがないのだ。
ルイーズは所詮ヤンセンの領主代行にすぎず、国軍はその言う事をきく必要がない。恐らく今はバクス公に気を使って、見て見ぬ振りをしているが、完全に国を離反したとわかれば、国軍がそれを許すはずがないのである。
そんな簡単なことも分からないルイーズを見て、セシルはバクス公の心中を察する事まで考えてしまう。
ルイーズは中々怯え、怖じ気づかないばかりか、自分に対して憐れむような視線を送るセシルを見て、苛立ち、いよいよその沸点が頂上まで到達すると劣情におぼれた視線でセシルを睨みつける。
「王女殿下。なかなか想像力がお有りですね。ただ、先ほども申し伝えた通り、今宵から王女殿下は奴隷になられるのです。王女殿下は一般的な女性の奴隷がどのような扱いをうけるかは、ご存じになられないと思いますので、これから、たっぷりとご指導つかまつりますよ」
そう言って、立ち上がり上着を脱ぎ捨てて、シャツのボタンを1つ、2つと外す。
「ああ、そうそう頼みの魔法は使えませんよ。その手枷は特別製で魔法の発動を阻害します。おい、お前ら、王女殿下を立たせて差し上げろ」
「なっ何?やめなさい」
セシルは背後にいた護衛達に無理やり立たせられる。するとルイーズが準備万端とばかりにセシルに近づいてくる。
「王女殿下、漸くかわいい声を上げられましたね。ひひっ、これからキャンキャン啼くように躾けてあげますからね」
セシルは、変わらずルイーズを睨みつけるのを止めない。
不思議と怖くない。
今絶望的な状況なのに、なぜかむしろわくわくする自分がいる。前の時は只々怖かった。震えるだけ、歯を食いしばるだけしかできなかった。
でも今はあの時感じた優しさを知っている。
なのでまた抱きしめられるのを待つだけ。
きっと来る。
そしてセシルは心の中でその人物の名前を叫んだ。
『シン様』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シンはメルを預けた後、すぐさま屋敷に戻ると、勝手口にはいかず屋敷の正面に出る。
屋敷を見ると右上、爆発があっただろう部屋から火の手が上がり、火を消すべく、かなりの人数がせわしなく動いている姿が見える。恐らく消化活動をしているのだろう。
正面にある噴水から水を汲んで、バケツリレーで桶を運ぶ姿が見える。暫くすると火の手の方の反対側、2階の部屋に新しく明かりがともるのがわかる。シンはすかさず身体強化で視力を強化すると、カーテン越しの人影で女性らしき人の姿が確認できる。
「あたりだな」
シンはセシルの場所を確認できたことにほくそ笑む。
「あとはどうやって助けるかだが…」
そう考えて、外からはやの様子をうかがっていると、同じくシルエットで太った男性だろうシルエットが浮かび上がり、セシルの前に座る。セシルの後ろには護衛らしき人物が2名立っており、それ以外の人物が入ってくる気配はない。
屋敷の中は火事の対応で、人が忙しなく行きかっている。正直、見つからないように行動するのは無理だろう。見つかったとしてもセシルを確保できれば何とかなるが、確保するまでが大変だ。
だったら、いっそあの部屋に飛び込むか、そう考えた矢先に太った男が立ち上がり、何やら服を脱ぎ始める。
「あー、もーう、しょうがない」
シンは悩むのを放棄し、その場で立ち上がると身体強化を全身に張り巡らす。そして屋敷に向けて走り出すと、閉まった窓めがけて、一気に飛び込んだ。




