プロローグ
一人の公子が出奔します。彼が出奔した事でその後の未来が大きく変わります。これはそんなお話です。
フォールナリア大陸北西部にあるメルトレイル公国はアーガスト帝国の侵攻により今まさに滅亡しようとしていた。
帝国軍は既に公都マイセンを占領し、公王を含めたその一族はすべて虐殺された。女、年寄り、乳飲み子に至るまですべてである。
そして既に公国内の選定公が治める主要都市への侵攻も開始している。
公王は五家の選定公家より選定される。選出された公王の崩御に至るまで、その治世は続き、その公王が崩御した場合、五家の中から新たに公王が選定される。選定公家があれば、また新たに公王を擁立することができる為、帝国の次の目的が選定公家を根絶やしにする事になるのは必然だった。
帝国軍の侵攻は苛烈を極め、町を焼き、反抗するものは虐殺し、略奪の限りを尽くす。まさに地獄絵図のような光景が各地で行われた。
そしてそれは帝国による、メルストレイル帝国併呑が正式に宣言される1ヶ月後まで、続けられたのであった。
メルストレイル公国が滅亡する時と同じくして、魔境である魔の森の中を疾走する一人の少年がいた。
少年の名はシン・アルナス。メルトレイル公国の選定公の一人、ユーリ・アルナスの息子にして、メルトレイル公国王位継承者の一人でもある。
本当であれば、故郷の皆と共に死ぬはずだった。
無責任な言い方をすれば、死ねればよかった。
ただ運悪くその時、その場所にいれなかった。
その為に、今この時にこの魔境にいる。故郷を失い、家族や仲間を失い、国をも失った。
この世界にはもはや帰るべき場所もなく、生きる気力さえ失いつつある。
生を繋ぐ為、最も死に近い魔の森に入り、追っ手を振り切り、数多の敵と魔の物を切り伏せた。
最初は国の再興を願い、故国を滅ぼした帝国を憎み、生きる活力としていた。
ただ、森を進むにつれ、その気持ちもいつしか擦り切れ、摩耗していった。
ただ生きている。それでも敵を葬る技は進むにつれて磨き上がる。
「俺はこれからどうすればいい?みんなは俺に何をして欲しい?」
進む中で死んでいった家族や仲間の顔が思い浮かぶ。
故国や故郷の街並みや、景色が思い浮かぶ。郷愁は更に生きる事への活力を奪っていく。
それでも足は、体は前に進む事を止めなかった。止まらなかった。
森は深く、薄暗く、魔素によどんでいる。
死はすぐ隣にあり、いつでもシンを連れていくことができる。
でも抗う。襲ってきたものを切り伏せる。
残念なことに、故国を逃れるときに、誰一人シンが死ぬことを認めなかった。
ただ生きる事を望まれた。そしてそれ以上は何一つ望まれなかった。
国を再興してほしいとも帝国に復讐して欲しいとも、ただの一言も言われなかった。
だからこそたった一つの約束に縋りつく。
生きる事に。ただ生きていく事に。
その先の何に向けて進むべきかは、これから考えなければならない。
でも今はただ前にに進む。
何の為に生きるのかはわからない。
ただ一つの約束の為に生き残る。
それを果たすことが、死んでいった者たちへの最後の手向けだと信じて。
セントレア大陸中央部に2つの国を跨って、広大な森が広がっている。
森には魔獣、魔物と数多の魔の物が生息している。森は深く、日差しを遮り、魔素にあふれる。
人が迷いこめば、一日と立たずに屍と化し、その躯はアンデットとなって、魔の森の一員として魔物と化す。森には下位の魔物だけでなく、竜種をはじめとした、上位種も存在しており、それらが暴れ出すともはや災害と呼べる被害を出す。上位種の中には知性をもち、力を誇示し、眷属を従えるものも多く、それらが人里へ流れ込んで、人を襲い、甚大な被害を出した史実も数多く残っている。
これまで多くの冒険者が森に挑むも踏破したものはおらず、そこは不可侵の魔境として、今なお存在する。
メルトレイル公国が帝国によって滅ぼされた時よりわずか1ヶ月後の事である。
カストレイア王国の魔の森のはずれに1人の少年が立っていた。装備はボロボロで、体中に傷が有り、まさに満身創痍の体である。
少年は、森を抜けて広がる草原の前で、その草原の上に広がる満天の星空を見上げて、ただ一人茫然と立ち尽くしていた。
その少年が何を思って、その場に立ち尽くしていたかは分からない。その少年がどこから来たのかも分からない。
そして少年は、暫くすると魔の森を一瞥した後、森を背に、草原に向けて歩き始めた。