離陸
雫の前で背中を向け、翼を広げる烏木。その長い髪と羽根は濡れ羽の如く、月光を飲み込んで蒼く黒く、ひんやりと照り返している。
「ほら早く。あたし背中に人乗っけた事ないからさ、飛べるか試したいんだよ」
「不安しかないんですけど!?」
「だーいじょうぶだって、雫だから誘ってんだ。お前なら背中にしがみつけるだろ」
雫はそこまで乗り気では無かったが、烏木の姿を見て嫌とも言えずにその背中に近付いた。裸だったはずなのにいつの間にか纏われていたコートは、紛う事なき革の質感だった。
「背中じゃなく肩からしっかり腕を回してしがみついとけよ。首を絞めるくらいの勢いでな」
「えっ、大丈夫なんですか?」
「最悪振り落として気道確保するからな」
「今日が私の命日ですか……」
「冗談だって、最悪落ちる前に脚で拾ってやるから! ほら完璧なセーフティネットだろ!」
「そのセーフティネットぼろぼろに破れてません……?」
既に嫌な汗をかきながら、雫は烏木におぶられるかのように腕を回して体重を預けた。肩口から先、境目も分からない腕翼の下では大型の動物を想起させるような堅い肉質と隆起した筋肉が動いているのが伝わる。しかしそれを覆う羽根と羽毛はまるで最上級の布団みたいに柔らかく、人肌よりもう少しだけ温かい体温を感じた。
「準備はいいな、じゃあ飛ぶぞ!」
烏木は屋根を端まで一気に駆ける。そしてそのまま踏み抜かんばかりの勢いで蹴り、飛び立った。