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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第十一章 子爵令嬢は客をもてなす

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閑話:宰相夫人は幼馴染と話をする

 リリーはテーブルに置かれたカップに視線を向けたまま、はす向かいに座る幼馴染の様子をそっと伺う。


 幼馴染とはいえ、一応は夫のある身。対面に座るべきなのだが、この四阿には対面に席はなかった。どちらに座っても庭を楽しめるように考えてあるのだろう。


 この場をしつらえてくれた執事はすでにいない。後の給仕は自分でやるからと下がってもらった。

 護衛らしい姿も見えないが、執事の口ぶりから既婚者であるリリーを一人にするはずがない。

 きっと隠れて見守ってくれているのだろう、と申し訳なく思う。


 それにしても、どうして彼がここにいるのか。

 宰相様からの手紙には確かに人を送るとあったけれど、なぜクリスなのかどうしてもわからない。

 リリーが顔を上げると、庭の方に目をやっていた幼馴染が振り向いて目が合った。


「どうしてここにいるの」

「命令を受けたからって言ったろ」

「それは聞いたけれど、どうしてあなたが」


 クリスはリリーの父が領主を務める小さな男爵領の住人で、父親は領主に仕える騎士だった。

 まだ幼いうちに妻を亡くし、男手一つで育てるのは難しいからと、他の似たような境遇の子供たちとともにリリーの乳母に預けられていた。

 クリスが旅の魔術師に認められて魔術師の塔に入ることになったのは十年以上も前のこと。

 それから一度も帰ってくることはなく、その間にデビューの年を迎えたリリーは王宮に侍女として上がることになった。

 数年経って、新任の宮廷魔術師として紹介されたのが、まさか幼馴染だとは思いもしなかったのだ。


「当たり前だろ、仕事だからだ。……お前の方こそ」

「……わたくしも仕事です」

「あんなジジイと結婚するのが仕事か」


 吐き捨てるような幼馴染の言葉に、リリーは目を釣り上げた。


「宰相様はあんなジジイじゃありませんわっ!」


 部屋付き侍女として城に上がった時、第一王女はリリーを下級貴族の娘だと蔑まなかった。むしろ攻撃にさらされないようにと配慮してもくれた。

 その大事な主人から頼まれた大事な仕事を、他の人に譲りたくはなかった。

 だが、国王陛下の名代となるにはリリーの身分では足りなくて、途方にくれている時に自ら犠牲になろうと名乗り出てくれた方だ。

 宰相閣下には一生返しても返しきれない恩がある。

 そう思ってクリスを睨み付けると、幼馴染は真っ青な顔で目を丸くした。


「お前……まさか本気で」

「本気以外の何があるの」


 あんないい人をジジイ呼ばわりするなんて。

 そう言い返そうとしたが、なぜかクリスがみるみるうちに背中を丸めて両手で顔を覆った。


「クリス、大丈夫?」


 もしかしてどこか悪いのだろうか。

 慌てて側に寄り、顔を上げさせようと肩に手を置いたが、ぴしゃりと痛みが走って引っ込める。


「触るな」


 低い唸るような声。


「クリス……?」

「……いえ、触らないでください、宰相夫人」


 そう告げて上げた幼馴染の顔はやはり青く、普通じゃないのがありありとわかる。

 だというのに、リリーの足は前に進まない。

 それに……あんな冷たい声で。


「そんな呼び方……」

「私は一介の宮廷魔術師でしかありませんので」


 淡々と告げるクリスの顔には何の感情もない。

 それがリリーの心に突き刺さる。

 こんな顔を見たのは幼い時……初めて会った時以来だ。


「……宰相夫人に対する態度ではありませんでした。お詫びいたします。お時間を割いていただき、ありがとうございました」


 ふらふらと立ち上がったクリスは、一礼して立ち去ろうとする。リリーはその腕を掴んだ。


「クリス!」

「……離してください」

「どうして」

「あなたは既婚者だ」

「でも、そんなの形だけで」


 クリスはしかし、首を横に振った。


「それでも、世間はそう思いますまい。……砦の工事が終わるまではこちらに世話になるが、済んだら出て行く。それまで極力あなたの目には触れないようにする」


 どうしてこんなに頑なになるのかリリーにはわからなかった。

 だが、幼馴染は自分に会いたくもないのだということだけは理解した。


「……そう。わかりました」


 手を離すと、クリスはふいと背を向ける。そんなに嫌われていたとは、とリリーは胸の痛みに目を伏せる。


「……きっとあなたの部屋は客室でしょう。わたくしは使用人棟に近いところですから、顔を合わせることはないでしょう」

「使用人棟……? そういえばさっきもそんなことを……。なぜそんな扱いを受けている」


 振り向いたクリスの声に怒気が乗る。リリーは背筋を伸ばした。


「わたくしは第一王女フェリス様の部屋付き侍女です。仕事も全うしていないのに、客人としてもてなされるわけには行きません」

「何を馬鹿な。あなたは宰相夫人だ」

「最近は行儀見習いに来ていたご令嬢たちが帰られて、人が足りないのでお手伝いもしているのです。……出来るだけ客室の方には近寄らないようにします」


 クリスはまん丸な目をしてリリーを凝視している。


「こちらでは未婚のただの王宮侍女として滞在しております。……皆の前で変なことを口走ったりしないでください」

「変なって……」

「ともかく、わたしはただのリリーです。敬称だの敬語だのはやめてください。……むしろ、わたしの方が宮廷魔術師様に対する口のききようではありませんでしたわね。申し訳ありません」


 深々と腰を折ると、腕を掴まれた。引きずられて頭を上げると、クリスは顔をしかめて周囲を見回していた。


「やめてくれって。……俺はここじゃただの通信兵ってことで来てるんだから」

「……まさか」


 宮廷魔術師が、一兵卒のふりをしている?


「どういうこと?」

「だから仕事だと言っただろう?」


 身分を偽ることが彼の仕事なのだろうか。

 リリーにはそれが宮廷魔術師の仕事とは思えなかった。魔術師とは式典や祭礼に華を添える存在ではないのだろうか。


「リリーは勘違いしてる」

「何を」

「……魔術師の仕事は綺麗なものばかりじゃないってことだ。とりわけ、この国には魔術師が少ない。他の国なら分業することもやらなきゃならない。これも、立派な仕事だ」


 そう言いつつクリスは自分のまとう旅装をつまんで見せる。

 リリーは先日届いた宰相閣下からの手紙を思い出した。


『陛下の名により王都から魔術師を送る。先日知らせた通り、北との情勢が不穏になって来た。早馬では間に合わないことも出てくる。王都との連絡役だ。領主の館に逗留することになるだろう。よろしく頼む』


 確かにそうあった。

 宰相閣下の言う魔術師がクリスなのだ。

 そして、幼馴染の言葉を信じるならば、自分が思っていたよりも宮廷魔術師は綺麗なだけではないらしい。


「クリス」

「……なんだよ」

「後悔、してる?」


 あの時。

 クリスが塔に入ることをみんなが喜んでいた。もちろんリリーも。

 だがそれは、彼にとっては良い判断ではなかったのだろうか。だとしたらーー。


「後悔はしていない」


 淀みない返答にリリーは肩の力を抜いた。少なくとも、今の言葉は嘘じゃないらしい。


「おかげで宰相夫人に会うこともできる」

「だからそれは」

「ごめん、実は知ってる」


 リリーは目を瞠る。

 結婚の事実は正式に陛下の許可を得たものだから公的なものだけれど、今の身分を得るに至った経緯は王族と宰相閣下、それとベルエニー家だけの秘密であったはずだ。

 どうしてクリスが知っているのか。


「閣下から聞いた。知らずに公爵の名代を務められるわけがないだろ」


 クリスが差し出したのは、王都を立つ時に見せられた宰相様の指輪だった。

 同じ紋様を持つ細身の指輪は言われた通り、肌身離さず持ち歩いている。侍女としてのリリーが指につけるわけにはいかないからと、鎖に通して首から下げているのだが。


「名代……?」

「お前と同じだ。お前は陛下の名代、俺は宰相閣下の名代だ」

「宰相様の」


 ということは、クリスも何か大事な役目を負ってここに来たのだ。


「ああ。もう役目は果たしたけど」

「……そう」


 事情を知っているのなら、どうしてクリスはあんなに不機嫌になったのだろう。


「でも、まさかこっちでも侍女として働いてるとは思わなかった」

「……だって、その肩書きはわたくしのものではないもの」


 宰相様が亡くなった奥様を大事になさっていたことはリリーも知っている。

 役目のための偽装結婚なのだし、その役目はここに来たことで果たした。

 あとは自分の主人の命を果たすためにここにいる。それは第一王女の部屋付き侍女としての立場でなければ果たせない。


「……相変わらず生真面目だな、リリーは」

「そうかしら。それに仕事が終わって王都に帰ればまたただの貧乏貴族の娘に戻るんだもの、贅沢に慣れるわけにはいかないわ」


 そう告げると、クリスはふっと目を細めた。


「そっか……来てよかった」

「え?」

「まだ間に合いそうだから」


 クリスの謎の言葉にリリーは首を傾げたが、幼馴染は微笑むだけで決して教えてくれなかった。

二人の話はメインではないので閑話としました。どこかでスピンオフの小話書きたいなー。

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