92.子爵令嬢は留守番をする(7/7)
「あっ」
手の中から転がり落ちた白い塊につい声が出てしまった。拾おうと手を伸ばす前に、日に焼けた手がそれを拾い上げる。
「はい」
「……ごめんなさい」
差し出されたそれを受け取りながら、つい謝ってしまうのも仕方がないと思うのよ。
だってこれ、四回目なんだもの。
「ユーマってば、相変わらずお裁縫は苦手なのねえ」
くすくすと笑い声がさざめく。だって、仕方ないじゃない。今日は手に力が入らないんだもの。
「ほんとほんと。変わらないわねえ」
笑っているのは昔からの友人達。
王都に行ったきりになってしまったわたしが、彼女たちとこうやってもう一度笑いあえるようになるなんて。
六年前のあれやこれやを一つずつ取り戻すたびに、多くのことを諦めていたんだと思い知る。
目の前の笑顔に目を移す。
宿屋のマリーに警備隊のブレンダ。パン屋のハニーチェは粉屋に嫁ぐことが決まってる。そう、粉ひき屋のゲイルのところ。
もう一人、アリスという鍛冶屋の娘がいたんだけど、鍛冶屋の弟子に嫁入りしたんだそうな。
今は山の麓の村で窯を持っている。だからそうそう来られないのは仕方ないのだけれど、マリーから実はおめでたなんだって聞いたの。
だから、みんなで産着とかぬいぐるみとか作ろうと集まったのだけれど。
手際よく産着を縫い上げる彼女達の横で、不格好ながらぬいぐるみを仕上げているわたし。
おかしいな、王妃さまと一緒に作っていた時にはきちんと作れていたのに、すっかり勘所を忘れてしまったみたい。
何度もぬいぐるみに詰めるわたを取り落としてる原因は、今朝のお師匠さまのしごきがいつになくきつかったからなのだけれど。
そうも言っていられないの。
我が領の夏は短い。
明日からはお祭りの準備が本格的に始まる。そうなればぬいぐるみを縫ってる暇はなくなってしまう。
今日のうちに仕上げてしまわないと。
「いいじゃないの、ユーマ。剣の腕じゃ砦の兵士にも引けを取らないんでしょ?」
「そんなわけないの、知ってるでしょ」
そう言いながら正面に座るブレンダをじとっと見る。わたを拾い上げてくれたブレンダは、事務方とはいえ兵士だから、北の砦での訓練には参加してるのよね。
もちろん、ブランクのあるわたしよりはずっと剣の腕は上で、最近ようやくブレンダと手合わせさせてもらえるところまで来た。
六年のブランクはやっぱり大きいわ。王宮では体力づくりなんてできなかったものね。
わたを詰め終えたところでノックの音が響いた。お茶の時間かしらと返事をすれば、ベルモントが戸口から顔を出していた。
「おくつろぎ中、申し訳ございません」
普段から感情の揺れを見せないベルモントが、珍しく困った顔をしている。
今日は父も母も麓の町にお出かけで、留守を守るわたしは出かけられない。代わりにみんなを館に呼んだのだけれど。
みんなの前では言いづらいことかしら。
立ち上がって戸口に寄ると、ベルモントは大きく道を開ける。部屋の中ではできない会話ってことね。
外に出るとベルモントは扉を閉めた。中の楽しげな声が遠ざかる。
「何かあったの?」
「実は来客がございまして」
ベルモントの言葉に首をかしげる。わざわざ外に呼び出したということは、中のみんなには知られたくない客なのかしら。
今日は来客の予定なんてないのだけれど。
両親からは、わたし一人の時には見知らぬ来客に応対するなと言われている。
そういう客の場合、ベルモントは取り次ぐこと自体しない。
なのに、取り次いだということは、なにやら事情があるということで。
他の人に聞かれたくないということは、あまり安全な相手じゃないということかもしれない。
「今どこに?」
「下の客間に」
「そう」
歓迎できない客の場合、我が家では玄関脇の控え室に通すのだけれど、客間に通したということは今日の客はそんな扱いもできないってことね。
「わかりました。行きます」
「……良いのですか?」
わたしの顔色を伺うベルモントに、苦笑いする。ベルモントが対応できないからわたしを呼んだのではないの?
「みんなにはいつも通りに」
「かしこまりました」
我が領は比較的治安がいいけれど、わたしが戻ってきてから他所からの流入が増えたと聞いた。
わたしの耳には直接入らないけど、噂を聞く限りでは、多少のいざこざは増えたようなのよね。
一人で来客対応しないのも、一応領主の娘だから狙われるんじゃないかってことで警戒しているらしいの。
彼女たちも歳若い女性なのだからと、館に招いた時は護衛をつけて返している。
……まあ、ハニーチェがゲイルといい仲になったのは、それがきっかけとも聞いたけど。
もともとゲイルが一目惚れしてたらしいのよね。彼女たちの護衛の話が出た時に、積極的に名乗り出たのもチャンスを伺ってたかららしい。
ブレンダも狙ってる人がいるみたいだけれど、今日の護衛にはいなかったみたい。
肩を落として帰る彼女たちを玄関で見送ってから、わたしは客の待つ部屋へと向かった。




