90.三人の美姫はくつろぐ
四阿を辞した三人が案内されたのは王族のプライベートエリアにある応接間のようだった。
フェリス王女の茶会に呼ばれるようになってから、このエリアに再び足を踏み入れるようになったものの、王女の私室以外に通されるのは久しぶりである。
ソファに背を預け、侍女の入れてくれた茶をいただきながらライラは深くため息をついた。
やってしまった、という思いと、これで良かったのだという思いが胸中に渦を巻く。
このことを知ればきっと、父上は怒るに違いない。母も、何のために長い時間をかけて来たのかと罵るだろう。
でも、これ以上は無理だった。
視線を上げれば、すでに室内には三人しかいなかった。侍女達が気を利かせたのか、もしくはそのような指示が出ているのかもしれない。
シモーヌもミリネイアも、憂いた表情でカップを見つめている。
きっとライラと同じように思いを馳せているのだろう。
「……これでよかったのです」
後押しするように口に出すと、二人が顔を上げた。
たしかに、王太子殿下に対する口のききようではなかった。三人でお茶をしている時よりも砕けた口調になっていたのは自覚がある。が、こぼれたのは本音だった。
不敬だと断罪されても仕方がないかも知れない。
でも、逆に言えば、本音も語れないような間柄でしかなかったのだ、王太子とは。
候補となってから長い時間を過ごして来たのに、よそよそしい態度で、本心を晒すこともなく。
顔を合わせても何の感情も見せず、儀礼的な贈り物や文のやりとりにいつも一喜一憂させられてーー心が削られる。
それでも、王太子妃に決まれば、最後の一人になれば、本当の心を……本当の笑顔を見せていただける。
その希望があったから、長い時間を我慢できたのに。
最後の一人が決まった後も、王太子は変わらないーー変わらなかった。
あの方に見せない笑顔を、わたくしたちに見せるはずがない。このまましがみついても無駄なのだ。
あの方がどれだけ心を削られていたか。いや、今も削られているのか、ライラにはわかる。
わかるからこそ、彼女は報いられるべきだ。
「さあ、わたくしたちはわたくしたちのできることをしましょう」
ことさら明るい声を出して、諸々を振り落とす。
あの方があるべき場所に収まるまではきっと長くかかる。普通に婚姻を結ぶだけでもそれなりに長い月日が必要なのに、遠回りしようとしている。
だから友人として手伝う。
自分たちのことはそれからだ。今考えることではない。
にこやかに微笑むと、ミリネイアもシモーヌもそっと顔を見合わせてから表情をゆるめた。
ぬるくなった茶を飲み干し、一息ついたところで誰何もなく扉が開いた。
「え……?」
戸口に立っていたのは、フェリスだった。
突然の来訪に驚いて三人は立ち上がる。
綺麗に結い上げられていたはずの髪の毛は崩れ、四阿で別れた時と同じ、薄紅色のふんわりとしたドレスを両手で掴んでおり、床と裾の隙間からは、紅色の靴を履いた足が見えている。
もしかしてあの姿で城内を走って来たのだろうか。
ちらりと扉の方を見ると、馴染みの黒髪の侍女がそっと扉を閉じるところだった。
「フェリス様?」
「ちょっと、どういうことよっ、なんでこのタイミングで愚兄を振ったのよっ!」
「……え?」
振った、とはどういうことだろう。ライラは二人を振り返ったが、首を傾げているだけだ。
「王太子妃候補を降りるって言ったんでしょう? 話が違うじゃない!」
「……はい。たしかに、王太子殿下にはそう申し上げました」
「どうしてっ……」
話の流れですとは言いづらい。
北の姫の話をしていたはずなのに、王太子殿下が話を曲げてしまわれたのだ。その時の王太子殿下の態度にミリネイアも、ライラも腹を立てた。
「わたくしたちがユーマ様の後釜を狙っているが如くに仰られたのでつい……」
売り言葉に買い言葉ですわね、とライラは眉をひそめる。
もちろん、三家の当主はそのつもりで自分たちを候補に据えたままなわけで、そう思われるのも仕方がないことは理解している。
だが、タイミングが悪すぎたのだ。
「それに北の姫が到着するまで三月ほどしかないのに、呑気でいらっしゃるのだもの」
ミリネイアの悔しそうな声にシモーヌが頷いている。
「ええ、ですから少しは頭を冷やしていただきたかったのですわ。……少々私情は混じってしまいましたけれど」
「……頭を冷やすどころかとんでもない騒ぎになっているけれどね」
深々とため息をつくと、フェリス王女は頭を抱えた。
「何よ、降りる気なんてないんじゃないの」
「元より、わたくしたちはあの方が戻られるまで戻るべき場所を守るために手を組んだのではありませんか?」
ライラはほんのりと頬を緩ませる。
「ええ、そうよ。だからこそ……裏切られたと思ったんだから」
フェリス王女の辛そうな様子に三人は、素直に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「謝罪は母上にしてちょうだい。……ああもう……」
低く呻くと、王女は雪崩れるように一人がけのソファに倒れこんだ。その姿に、いつもの強気な様子は微塵もない。
ライラはデビューしたての王女を見つめた。
妹と同じ歳だというのに、背負うものが違うとこれほどまで違うのか、と思わずにはいられない。
この小さな娘の肩には、王太子殿下ほどではないにしろ、この国と国民が載っている。
それを気丈に支える王女の姿はどこかユーマを思わせた。
「フェリス様、お茶でもいかがですか」
「……いただくわ。もう、喉がからからよ」
王女の返答に微笑みながら、ライラは手ずから茶の用意を始めた。




