86.王太子は三人の美姫を警戒する
ミゲールはカップに手を伸ばしながら、居並ぶ三人に目をやった。
三人は、ちらちらとこちらを見つつも互いに視線を交わしている。言葉には出していないが、何らかの合意ができていると見ていいだろう。
ユーマを王太子妃候補とした頃から、三人が互いにいがみ合う頻度が減っていたことはミゲールも知っている。
それまではミゲールの隣を取り合う敵同士だった。家同士の関係も手伝って、三人の関係は最悪だったと言っていい。
侍女同士の小競り合いは日常茶飯事だったし、当人同士が顔を合わせても皮肉の応酬だったと聞いている。――聞いている、というのは、ミゲールの前では決してしないからだ。
ミゲールに対する印象は良くしておきたかったのだろう。
他の使用人や役人の前で繰り広げられたことが、ミゲールや王、王妃の耳に入らないわけがない。
だが、その程度は織り込み済みだったし、母上が嫁ぐまでも色々あったことは知っている。
命のやり取りをするほどのものでなければ、基本的には当事者同士で片付けるべきものだ。
もちろん、王族に対して危害を加えようものなら家ごと潰されることは、派閥のトップたる三家が知らないわけがない。
だからこそ、監視はしていたが干渉はしなかったのだ。
だが。
ユーマが王宮に来てから、三人はいがみ合うのをやめた。
表向きは変わらなかった。――少なくとも、公にはそう見えただろう。
ユーマという共通の敵を前にして、三家が手を組んだのだと考えれば思い当たることがありすぎた。
あの誕生日のことにしても――決定的な証拠はつかめなかったが――その結果なのだろう、と。
ユーマがいなくなった今、三人が手を携える必要はない。元のように互いに牽制しあい、ひとつしかない椅子を競争しあっているに違いない。
……そう、思っていたのだが。
三人の目が不意に自分に集まったと思えば、すいと外される。その視線が後ろに向けられているのに気がつかないわけがない。
振り返らなくとも、そこに誰がいるかわかっている。
常に自分のそばにいる存在ーーフィグ。
三人が視線を戻してこちらを向く。その柳眉が寄せられていることで、何を言おうとしているのかをミゲールは察した。
が、ミゲールは動かなかった。
この三人を前にして、護衛を下がらせるのは得策ではない。
たおやかな女性三人に遅れをとるつもりはないが、不用意に二人きりーー今回は四人だがーーになるようなことは避けるべきだ。
疑いを持たれること自体、避けねばならない。
だが。
「ミゲール様、お人払いを」
察しの悪い王太子に痺れを切らしたのか、三人の中では最も家格の高いライラがはっきりと口にした。
ミゲールは少しだけ頭を左のほうに向ける。
フィグはいつものように待っている。
ここでの会話が聞き取れないギリギリのラインまで下がっているが、読唇術を使われれば何を話しているかを読み取れる。
それがわかっているから、常に警護対象に背を向けるのだ。……疑われぬために。
「必要ない」
「ですが」
「フィグは私の専属騎士だ」
きっぱりと言い放つと、ライラが怯んだのがわかった。
専属騎士、と言った意味合いをきちんと理解しているだろうか。眉根を寄せつつライラを、三人をにらむ。
「存じております」
「ならば問題あるまい」
ライラは何かを言いたげに口を開く。が、そのまま閉じた。その目には苛立ちとは違う色が見えた気がする。
「問題はあります。――フィグ様は、ユーマ様の兄君ですから」
ミリネイアの言葉に、眉根を寄せて肩越しに見る。フィグは、やはり入り口を塞ぐようにこちらに背を向けている。きっといつものように周囲を抜かりなく警戒しているに違いない。
「……関係ない」
フィグの言った通り、あれからフィグへの風当たりはきつくなった。
フィグは自分の役割をよく理解している。ミゲールの目となり耳となり、手となり足となる。己の立場にあぐらをかくことなく、強い力にひるむことなく、正義を貫く。
ゆえに、役人や城で働く者たちには受けがいい。フィグがどこの家の人間かなど、気にするものはほとんどいない。
……そんなことを気にかけるのは、貴族。特に、王太子たる自分との関係を築くことで利益を得る者たちだけだ。
あからさまに侮蔑されていても、フィグは動かない。
ミゲールも動けない。婚約破棄の後ろめたさからユーマの兄であるフィグを守っているのだとミゲールが揶揄されることを、フィグ自体が許さないからだ。
代わりの護衛騎士候補のリストを送りつけてくる者もいたとレオから聞いた。受け取ったレオが握りつぶしたそうだが、王族の護衛騎士についてよく知らない者の仕業だろう。
鍛錬の際に挑戦を申し込まれることも多い。だれに吹き込まれたのか、フィグを負かせばその地位が得られるとでも思っているのだろう。
ミゲールの目の前で挑発されても、フィグは受けない。受けないことで腰抜け呼ばわりまでしてくる始末。
たいてい隊長クラスが出てきて場を収めるのだが、隊長が決闘をいい出したときには騎士団長が出てくる始末となった。
目の前の三人は、その代表格たる三家の姫。しかも、王太子妃候補だ。三家としても、フィグが目障りで仕方がないのだろう。
「ミゲール様」
後ろから声がかかる。首をめぐらせれば、フィグがこちらを向いて膝をついていた。
「フィグ」
「周辺の警備を確認してまいります」
王太子たる自分を守っているのは何もフィグだけではない。先程まで王妃と王女が同席していたわけで、近衛騎士団によっていつもよりも厳重に警備網が敷かれているはずだ。
王妃と王女に付き従って下がった騎士団の配置など、フィグが確認する筋合いのものではない。むしろ睨まれるのがオチだ。
だというのに、離席を申し出る。
分かっているのだ。――この三人の望むことを。
「……わかった」
ミゲールが眉間にシワを寄せてうなずくと、フィグは奥の三人にも一礼して四阿を足早に去った。




