84.王太子は茶会に呼ばれる
「茶会?」
手渡された封筒をひっくり返しながら、ミゲールは眉根を寄せる。
毎月一度は王太子妃候補との茶会に参加することを義務付けられていた。ユーマと正式に婚約してからは二人だけの茶会となったが、手放すと決めていたから、会話が弾むこともなく、苦痛な時間でしかなかった。
弟たちが乱入してくることもあったが、それに反応するユーマの貴婦人の笑みさえ苦々しかった。
そんな記憶ばかりが蘇ってきて、なおさら眉間のシワが深くなる。
「ええ、わたくしの催す茶会に兄様を招待して差し上げますわ」
「断る」
にこやかに、しかし胸を張って居丈高に宣言する妹に、ミゲールは即答で返す。
「何ですって!?」
「お前の遊びに付き合っている暇はない」
そうでなくとも忙しいのだ。
ベリーナ女王が動いた、と情報が入っていたし、北のーーファティスヴァールの姫が出立したことも耳にした。
ファティスヴァールとは直接の国交はなく、街道は今なお閉ざしたままだ。
あの国とは休戦状態でしかないのだ、当然の措置だ。
おそらく、同盟関係にある東の連合国を経由して、海から母親の国に入るのだろう。
そうでなければ、子飼いの魔術師を使って国境を超えてくるに違いない。
その可能性を考慮して、北の砦には通達してある。
万が一に備えて王宮付きの魔術師を派遣することも考えている。
潜り込ませている諜報員の話によれば、王女と護衛、侍女団合わせて数十人の規模だという。
魔術師の塔を抱えるファティスヴァールといえども、そう簡単にそれだけの人数を移動させられないだろう、というのが王宮付きの魔術師の言である。
彼らの報告次第によっては、兵を動かすことにもなるやもしれぬ。
頭痛のタネは尽きない。
その上、母からは次の王太子妃候補になりそうな者を数名指名するように言われている。
まだ候補者候補の域を出ないから、指名即婚約にはならない。
ユーマに求婚する前から候補であった三人は、指名せずとも候補者候補ではなく候補者としてリストアップされている。
長い時間をかけて王妃になれるようにと教育してきた者たちだ。そうそう簡単には諦めないだろうことは予測済みだ。
むしろ、ユーマがいなくなって、いよいよ本格的に動き出すのではないかーー。
そう噂されていることはミゲールも知っている。
「遊びなんかじゃないわよっ、これはーー」
「とにかく参加はしない」
なおも言葉を連ねようとする妹に、ミゲールははっきりと答えると、封筒をそのまま妹の手に押し付けた。
「なっ……」
「用はそれだけか。なら出て行け。俺は忙しい」
ソファに通すでもなく応対した妹は執務机の前に立ち尽くしたまま、唇を震わせている。
デビューするなり、あちらこちらから誘いの多い妹が、どの派閥の夜会も茶会も顔を出していることは知っている。
友と呼べる相手もできたのだろう。最近は私室でプライベートな茶会を催していることもあるらしい。
その者たちにせがまれたのだろう。妹ならば、王太子を茶会に呼ぶことも容易いだろう、と。
妹の友となれば、それなりに対応せねば面倒なことになる。誘われた時点で断るのが最善の選択だ。
「……後悔しても知りませんわよ」
そう告げた妹は、キッとミゲールを睨みつけて出て行く。後ろに控えたフィグが、ため息をつくのがわかった。
ともあれ、これで話は終わり、のはずだったのだが。
夕食の前に、王妃からの使いがやってきた。
◇◇◇◇
「緊急の用事とは何でしょう、母上」
本当なら、時間ギリギリまでフィグと北の砦の話をする予定だった。
北の動き如何では北の大門の警備を強化する必要がある。
砦に詰めるロイズグリン将軍にも一応早馬で話は通してあるが、もっと突っ込んだ話もしておきたい。そのためにはフィグを通じてベルエニー子爵に動いてもらう必要があるだろう。
ユーマとの婚約破棄もあって、こちらから呼び出すようなことはできない。
そうでなくとも今シーズンの出席義務を免除しているのだ。
こちらから出向く以外方法がない。
自ら行きたいところだが、そうもいかない。自分の名代として立てるなら、息子であるフィグが最適なのだが、自分のそばを離れることを承諾しなかった。
弟のカレルをとも思ったが、一年目の護衛騎士をその任から離すことはできないし、セレシュが反対するのは目に見えている。
レオをとも思ったが、すぐにその考えは引っ込めた。先日の諍いが喉の奥の棘のようにしっかり根付いてしまっている。今の状態では名代を任せるわけには行かない。
そうなると、ほかにロイズグリン将軍と話のできる、王太子の名代にもなれる人物などそうそう思いつくはずもなく、フィグと相談したかったのだ。
「あなた、フェリスの茶会を断ったそうね?」
王妃は深いワインレッドのソファに浅く座り、背をピンと伸ばして言った。
王妃の私室だというのに、まるで執務室の机の前に立たされているような錯覚に陥り、ミゲールは自然と背筋を伸ばした。
本来なら、気を抜いてリラックスできるはずの場所なのに、どうして王妃の仮面を外さないのか、と訝しんでいたが、その口から出た言葉に眉根を寄せる。
つまり、妹の社交に兄として付き合えと、王妃として命令するつもりなのだ、この人は。
「フェリスの茶会には何度も出ています。今更私が出て行く必要もないでしょう」
どうせフェリスの呼ぶ友達とやらはいつも同じメンツで、話題も大して変わらないのだ。
「なら、私の茶会に出なさい」
王妃はひらり、と封筒を差し出してくる。
フェリスが準備していたのとは違う、薄いピンク色。
「これは?」
「招待状よ。明日の朝、迎えを寄越しますから」
準備をして待て、ということなのだろう。渋々封筒を受け取ると、王妃はひらひらと手を振る。退出の合図だ。
「ああそうそう、ちゃんと正装していらっしゃいね。失礼のないように」
「……承知しました」
その言葉で、王妃自らが催す顔合わせの茶会に招かれたことを悟る。
これならフェリスの茶会の方がましだったかもしれない、と内心ため息をついた。




