79.王太子殿下は子爵令嬢の兄に詰られる
私室に戻ってきたのは夜半過ぎだ。
見たところでは、レオもフェリスも異性との交流を深められたようだ。セレシュは同期の者達とばかり話していたが、他の新米騎士達も舞い上がっていたようだし、初めての夜会だ、仕方あるまい。
着替える間もフィグは室内で護衛騎士として立っている。帯剣したまま私室どころか寝室の中に足を踏み入れることを許されているのが護衛騎士だ。もちろん今もフィグの腰には剣がある。
いつもなら私室の前で下がるのだが、今日はどうやらまだ言いたいことがあるらしい。
着替え終わってフィグの前に出れば、予想通り不機嫌そうな顔で立っている。
戸棚から酒瓶とグラスを取り出すと、すぐさま手から瓶を奪われた。
「おい」
振り向けば、フィグは不機嫌な顔のまま、瓶に直接口をつけて酒を煽っている。こんな飲み方をするフィグは見たことがない。
あっけにとられているうちにフィグは酒をすっかり飲み干し、空瓶をテーブルにごとりと置いた。
「お前……無茶な飲み方をするな」
「この程度の酒じゃ酔わねえよ。砦じゃこれよりきつい酒を飲んでんだ」
砦、と言われてミゲールは目を細める。
かつて、騎士養成学校時代にフィグはいつも、北の砦を守るために騎士になるのだと語っていた。それを捻じ曲げたのは自分だという負い目は今もある。
自分が願ってここにいるのだとフィグは言い、常に共にあることを誓ってくれている。
それを疑うつもりはないが、フィグの口から北の砦の話が出るたびにそれを思い出すのだ。
「そんなことより、もう少し女心を理解しろよ」
「何を」
「あれはないだろう、お前」
フィグの言葉にミゲールは眉根を寄せる。何が言いたいのか分かってはいるのだ。
「女との逢瀬に選ぶ話題かよ」
「……俺が選んだわけじゃない」
「なら、話題を変えればいいだろう?」
「だが、どの話題も大事なことだ」
確かに、あの場にふさわしい話題ではなかったかもしれない。
だが、彼女達の語ったことはどれも、各家の担う分野のことだ。王太子妃候補として選んだ話題、なのだろうと思っている。
「そんなこたぁわかってるよ。そうじゃなくてだなあ……夜会の最中に二人になる意味、わかってんのか?」
「分かっている」
「なら、どうしてお前は甘い言葉の一つもかけられねえんだよ」
「……必要ならしている」
「嘘つけ」
即座に断言されて、ミゲールはさらに眉間にしわを寄せる。
「お前、まともに女と会話したことないだろ」
「失礼なことを言うな」
あるに決まっている。あの三人とも――ユーマとも、毎月顔を合わせていたのだ。茶会や夜会はもちろん、王の名代として外遊に出た先では各国の令嬢や子息とも交友を深めた。ないとは言わせない。
しかしフィグはじろりと睨みつけてきた。
「いーや、ないね。……お前、本気で彼女たちと向き合ったこと、ないだろ。いつも一歩引いて接してた」
「そんなこと――」
「なら言ってみろ。ライラ嬢の好きな花は? シモーヌ嬢が苦手なものは? ミリネイア嬢の得意な料理は? ユーマの嫌いなものは?」
フィグの言葉にミゲールは口を閉ざす。どれ一つとして正解と胸を張って答えられるものがない。
「ほら見ろ。お前が彼女たちとおざなりに付き合ってきた証拠だ。贈り物も人任せだったんだろ?」
二の句が継げずに眉根を寄せると、フィグは口元をゆがめた。
「俺がどれだけお前と一緒にいたと思ってるんだよ」
「……すまん」
思わず声に出た。
フィグの言う通りだ。四人の妃候補を平等に扱うために、誰にも深入りしないようにしてきた。二年前からはユーマからもできるだけ距離を置こうとした。……あまり上手くはいかなかったが。
「お前は真面目だよ。昔と変わらずな。……でもよ。ここまで国王陛下の言葉に従う必要はなかったんじゃないのか?」
「……何?」
顔を上げると、フィグはじっとミゲールを見ていた。その目の周りはほんのりと赤い。
先ほどフィグが空けた酒は、北の砦で好んで飲むという冬の酒には及ばないもののそれなりに度数の強いものだ。しかも瓶には半分ほど残っていたはずだ。
「フィグ?」
もしや酔ったのか、名を呼ぶと、ふっとフィグは目をそらし、頭をぶるりと振るった。
「……すまん、酔った」
「いや、かまわないが……大丈夫か?」
「ああ」
そのまま、視線を上げることもなくフィグは部屋を出て行った。
残された空瓶を見て、ミゲールは眉根を寄せる。
フィグは何を言おうとしたのだろう。
父上の課した条件はすべてクリアした。それが間違っていたと?
フィグの出て行った扉を見つめたまま、ミゲールはしばらく動けなかった。




