75.王太子は黒髪の美姫と踊る
今日の夜会は本当に若い者たちが多い。それが自分たちとの顔合わせの意味合いが強いことは、弟たちも気が付いていることだろう。それとも母上から直接言われているか。
令嬢だけでなく令息も取りそろえられているところを見ると、フェリスの相手探しもしているということのようだ。
母上の仕業に違いない。父上はそんなことには気が回らない人だ。
少し離れたところにフィグが立っている。護衛騎士の姿だからか、年若い女性たちがちらちらと視線を送っているのだが、フィグは気にもしていない。
以前からフィグは人気があった。もちろんそれは、次期王妃の身内であり王太子の護衛騎士だからであっただろうが、そうでなくなっても女性には好まれるらしい。
鍛え上げられた体に精悍な顔立ち、勤務中はにこりともしないフィグは強面と言われて、城の女性たちからは怖がられているとも聞いている。
勤務中の騎士たちに声をかけることは禁じられてはいないが、仕事に影響を及ぼすため好ましくないというのも暗黙の了解だ。それを超えてまでフィグに声をかけたい女性はいないらしい。
フィグは子爵位を継ぐ者だ。
本来ならばとっくに婚約していておかしくない年齢だというのに、全くその気配がない。
王太子たる自分についていなければならないため、こういった催しでは出席者になることもない。
次に機会があれば、次期子爵として随行させてみよう、とひそかに心に決める。
主だった者たちへの挨拶をあらかたこなし、休憩を挟んで戻った広間では、楽団の奏でる曲に合わせて数組の男女がダンスを舞っていた。
今回の夜会は王家主催とはいえ、最初に踊る役目は決まっていない。
今までならば、王太子たる自分がユーマの手を取ってファーストダンスを踊り、そのあとで他の者たちが踊り始める。
多くの場合は婚約者のある者たちや夫婦がまずは踊るのだが、今日は趣が違う。
むしろ相手の決まっていない未婚の男女に出会いを提供する場だ。
夫婦や結婚の近い婚約者の姿を見ないのは、その旨通達されているのだろう。エスコート役の親族も一人だけで、親たちは概ね壁の花と化して親同士で話に花を咲かせているようだ。
だからだろう、ダンスフロアでは初々しいカップルがたどたどしくステップを踏んでいるのが見える。
そういえば、ユーマと初めて踊ったのはあの時だっただろうか。北の領地から出てきた田舎娘、と嘲った者たちが言葉を失うほどに彼女のダンスは見事だった。
こちらのリードに苦も無くついてきた彼女に後で聞いたところ、田舎では自ら動くのが当たり前で、体を動かすのは苦ではなかったらしい。自分のリードにどんどんついて来た彼女が、まさかダンスが苦手だなんて思いもしなかったな。
基本的なステップしか覚えていないと言っていたが、そうとは思えない体のこなしだった。
まあ、それも無理はないか。自分の知るかつての彼女は野を山を駆けまわり、くるくると踊るのが好きだった。
「ミゲール様」
つい思い出に浸りながら踊る者たちを眺めていると、すぐ後ろから咎めるような声が飛んできた。顔を向けずともフィグと分かる。
「だらしない顔になってるぞ」
他に聞こえないようにぼそりと告げたフィグの気配が遠のく。
ぼんやりしている場合ではなかった。顔を引き締めて会場をざっと見回せば、レオが年若い令嬢にぐるりと囲まれているのが見える。その向こうにはセレシュが同期だった騎士たちと歓談している。
フェリスはと見れば、腰を下ろしたソファの周りに子息たちが侍っている。
セレシュを除けば母上の目論見は当たったようだ。
それならば、自分の望まれる役目を果たすべきだろう。
視界の端に豊かな黒髪が見えた。白い肌を惜しげもなくさらし、そこに高く結い上げた黒髪の巻き毛をさらりと零してある。ウェルシュ伯の愛娘、シモーヌだ。
おそらく広間の反対側に目をやれば、残る二人も見つかるだろう。
本当ならば壁の花になるべきでない人物が所在なく壁の前に立っている。いつもの夜会ならば、それぞれの派閥に属する令嬢たちが取り巻いているのだが、今日はこの夜会に参加する目的を果たすために離れているのだろう。
王太子妃候補と目される三人をダンスに誘う者はない。いるとしたら年嵩の男性たちばかりだった。
彼女たちの父親は諦めていなかった。実際、この二年間も王妃教育と称して三人は登城していた。
だから、独身男性を寄せ付けないようにしたのだろう。
それについては自分にも責任はある。
正式に婚約した後もユーマに対してそういったアプローチを取らなかったのだ、入り込む隙間があると思わせたのは自分だ。
そしてそれは――意図して行ったことでもある。
ユーマとの婚約以前は爵位順にチェイニー公爵令嬢ライラからダンスに誘っていたのだが、今日ばかりは構うまい。
フィグをちらりと見ると、神妙な顔で小さく頷く。この場面で誰とも踊らないという選択肢はないのだ。婚約者を失った王太子としては。
意を決して歩き出すと、周りの令息が速やかに道を開けていく。周りの視線などかまわずシモーヌの前に立つと、シモーヌは一瞬目を見開いたのち、たおやかに微笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、王太子殿下」
ドレスをつまんで礼をするシモーヌが顔を上げる前にちらと広間の奥の方へと視線をやったのに気が付いた。
おそらく、あちらの方向にチェイニー公爵令嬢ライラがいるのだろう。
「夜会で会うのは久しぶりか」
「左様ですわね」
「一曲お相手願えるか?」
「ええ、ぜひ」
手を差し出せば、シモーヌは記憶の通りに手を乗せてくる。
そのままダンスフロアまで手を引いていく。慣れた者ならば気を回して中央を開けたりするのだが、初々しい者たちにそんな余裕はない。そもそも皆が踊っているのに中央をわざわざ開けられるのも気が引けるのだ。
空いているスペースに滑り込んで踊りはじめると、シモーヌが目を見開いた。
「どうかしたか?」
「いえ。……珍しいことと思いまして」
「今日は彼らが主役であろう?」
「ええ。そうですわね」
それ以上会話は進まず、沈黙したまま一曲を踊り終わる。
礼をしてフロアの端までエスコートして戻ると、シモーヌはにこりと微笑んだ。
「今宵はありがとうございました」
淑女の礼を取るシモーヌに、ちいさくため息をつく。
まるで昔と同じだ。お義理に一曲ずつ踊り、特に会話もなくさっさと控室に引き上げていく彼女たちを見送る。
ユーマのみを見ていた時は気にも留めなかったことだが、三人とそれぞれ向き合うことにしたのだ。これでは向き合ったとは言えまい。
「シモーヌ殿」
「えっ」
顔を上げたシモーヌは目を見張っていた。
「テラスへ行かぬか。少し話をしたい」
「……お心のままに」
顔を伏せたシモーヌが何を考えているのか分からなかったが、腕を出せば素直に腕を乗せてくる。そのままテラスへとエスコートすると、テラスの入口に背を向けるようにしてフィグが立ったのが見えた。一応人払いのつもりなのだろう。
それに気が付いたシモーヌは笑みを消し、口元だけで微笑む。
「それで……人払いまでして、どういったご用件でしょう、王太子殿下」
「……そう構えずともよい。ただ話をしたかっただけだ」
「話を……」
シモーヌはおうむ返しにして視線を泳がせる。王太子妃候補として城に上がるようになって十年、考えてみればろくに三人とは喋っていない気がする。
晩餐では全員が揃っていて個別に喋る余裕はなかったし、茶会でも夜会でも、こうやって個別に時間を取ったことはほとんどない。
それは裏を返せば、全員に平等であれと言われた父上との約束故だったのだが、いまとなってみれば無駄に過ごさせた十年のような気がして仕方がない。
そもそもが派閥同士の争いで立った三人の候補だ。誰が選ばれようと残る二人にとっては無駄な十年になるのかもしれない。
「ああ。……こうやって一対一で会話することなどほとんどなかっただろう?」
「え、ええ。……それはそうですけれど」
「聞かせてはくれぬか。……この二年の間のことを」
二年前まではともに王宮にいて、晩餐ではいろいろ話を聞いていた。ウェルシュ伯のことや自身のこと、家族のことなども聞いて知っている。
「そうですわね。……特にこれということはありませんわ。それまでと同じで、孤児院へ慰問に出かけたり、バザーに出す品物を作ったり。そういえば、領地に戻った時に街に視察に出ましたの」
「ほう」
「わたくしの叔父がやっておりますお店がありますの。そこで少しだけ、商品を売るお手伝いをいたしましたの」
「貴女が?」
「ええ。我が家はもともと商人でしたから、その苦労を忘れぬようにと子供たちは皆、小さいころから商売を手伝うのが習いなのです。おかげさまで計算だけは早いんですのよ」
シモーヌは誇らしげに言い、顔をほころばせる。
「そういえば、以前そんなことを言っていたな」
「ええ。我が領では希望すればだれでも神殿や教会で読み書きと計算を学べますの。父の商会で働く平民出身の者も多くおりますわ」
なるほど、そういわれてみれば財務からあがってくる書類にはミスが少ない。下級文官には身分の縛りがないことから、財務の下級文官はウェルシュ伯お抱えの者たちなのだろう。
「そういった取り組みは国全体でやるべきなのだろうな……」
有能な文官や武官を探すのは国としても重要課題だ。今は官吏を登用するのも基本は担当官による一本釣りか貴族からの推薦で、育てるということはしてこなかった。
「子供たちに教えるのは楽しいですわよ」
「貴女も教えているのか?」
「ええ、孤児院の慰問でもよく行いましたわ。王妃様やユーマ様もよくなさっておいででした」
ユーマの名が出た途端、思わず険しい顔をしてしまった。シモーヌも気が付いたようで、柳眉を寄せてうつむく。
「……いろいろ参考になった。ありがとう」
ミゲールは気まずい雰囲気を振り払うように背を向ける。テラスの出口に立っていたフィグはすでに横にずれて出口を確保している。
結局、彼女自身の話をろくに聞けなかった。フィグも把握しているらしく、眉間のしわがくっきり深く刻まれている。
横をすり抜けた時、フィグにため息を吐かれてしまったのは仕方がない。




