74.子爵令嬢の兄は王太子殿下を煽る
夜会の片隅で、フィグは少し離れたところに立って談笑している王太子をさりげなく警護しながらグラスを傾ける。もちろん、アルコール度の低いものを選んでいる。
王と王妃は先ほど踊ったあと、元の席に戻っている。今回は三人の王子と王女全員が出席しているため、護衛騎士も騎士の正装で着かず離れずを保っている。
セレシュ王子に付き従う弟の姿を見た時は思わず口元が緩みそうになった。最後にあったのは二年前、騎士養成学校に入る前だ。あいかわらずの仏頂面だが、正装がなかなか似合っている。自分ほど筋肉のつかないのを嘆いていたな、と思い出す。だが、そのままできちんと貴族令息と見えるわけで、声をかけたくてうずうずしている令嬢たちに取り巻かれているのに、その熱い視線に全く気が付いていない。
ざっと見渡すと、いつもより令嬢の比率が高いことが分かる。逆にいつも姿を見かける夫婦連れの既婚者が見当たらないことに気が付いた。
となると、これはおそらく、未婚女性の顔合わせなのだろう。王族の見合いと銘打った夜会ではなかったが、その意図はありありとわかる。
だからだろう、未婚男性の比率も多い。今日が非番の騎士団所属の面々もちらほら見かけたが、護衛騎士として騎士服に身を包んでいる状態では声をかけることもできない。食事もできない。飲み物だけは例外だが。
「フィグ兄様」
不意に後ろから袖を引っ張られて振り向けば、第三王子とその護衛騎士が立っていた。白ベースの夜会服がまぶしい。
「セレシュ殿下。ご無沙汰しております。主席卒業、おめでとうございます」
騎士の礼で迎えると、散々言われたのだろう、眉尻を下げて苦笑を浮かべた。カレルが苦々し気に眉根を寄せるのが見える。
「ありがとう。でもやっぱりカレルには敵わないんだよね」
「ほう?」
ちらりとカレルを見れば、ますます眉間にしわが深く刻まれる。
「……王国騎士団の訓練で手合わせしただけだ」
「砦の主と手合わせはしたか?」
「ああ。……あいかわらずでたらめに強い」
フィグの問いかけに、弟はむすっとしたまま答えた。まだわだかまりが残っているのだろう。
「そりゃ実戦を知る人だからな。俺でも歯が立たない」
「えっ、フィグ兄様でもですか?」
セレシュは目を丸くしてフィグの体にあちこち視線を走らせた。騎士服だからそれほど見苦しくないが、これが夜会服だとかなり見苦しくなるのは自覚している。
「セレシュ殿下は砦の主から何か言われませんでしたか?」
「よく励め、と。……僕などまだまだ、フィグ兄様にも及びません」
「若いのですから、これから伸びますよ。体も技も心も」
笑顔はそのままで悔しそうに告げる第三王子に、フィグは口元をゆるめる。
実際、護衛騎士として王宮に上がった頃から随分成長した。伸びしろがあるということは、鍛えさえすればどれだけでも伸びられるということだ。
「はい。ありがとうございます。……あの、フィグ兄様はご存じだったのですか?」
「え?」
ちらりとセレシュは周りに目をやると、フィグにだけ聞こえるように囁いた。
「あの方が――北砦の魔人だと」
その言い方がもったいぶって聞こえ、フィグはくすりと頬を緩めた。
「ええ、ベルエニー家の者は皆知っています。――ああ、ユーマは知らないか」
「そうなんですか。……あの方に鍛えられたフィグ兄様やカレルがうらやましいです」
セレシュは少し悔しそうに言い、背を伸ばした。
「いつでも訪問くだされば、みな諸手を上げて歓迎してくれましょう」
あそこに逗留しているのはあくまでも王国騎士団の一部である北方国境警備隊だ。王子の顔を知る高位貴族の子弟はほとんどいないからお忍びならばばれることはない。
もっとも、王子だと知ったところで強い相手との手合わせならば喜々として対応してくれるだろう。
ダン・グレゴリのしごきに耐えられる、実戦向きの人材以外残らないのが北の砦だ。必然的に、好戦的な者しか残らない。
「ありがとうございます」
訪問の許可を取り付けたセレシュが嬉しそうに応えるのを見て、カレルが嫌そうに口元をゆがめるのが見えた。王子と護衛騎士の仲が良いのはいいことだが、公式の場での振る舞いがカレルはまだ苦手そうだ。そのうち先輩として指導してやらねばなるまい。
礼をして二人が去ると、フィグは王太子の方に向き直った。あまり位置を変えずに相手だけを変えて話を続けているようだ。
セレシュと話をしている間に位置を変えられていたら探すのに苦労する、と思っていただけにほっと胸をなでおろす。
今の話し相手はどうやら令嬢を連れた貴族の父親らしい。夜会の時は挨拶のついでに売り込んでくる令嬢は少なくない。妃候補がすでに三人いることから、王太子妃の座を狙う令嬢はもはやいないだろうが、父親はやはり夢を見るのだろう。――デビューの夜会で見初められた例が身近にあるだけに、期待も高い。
そんなことを考えながら見ていると、不意にミゲールがこちらを向いた。令嬢との会話を打ち切りこっちに向かってくるところから、休憩を入れたいという意図だろう。
「フィグ。少し休憩する」
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
公式の場での口調に改め、王太子用の休憩場所へ先導する。広間からそう遠くない場所にあるが、王族用の休憩エリアは基本的に王族と護衛騎士以外は立ち入りを禁じられている。
王子を狙う令嬢たちからも身を守れる安全地帯だ。
部屋に入るなり、ミゲールは青い上着を脱いでソファに投げた。フィグはテーブルの上に置かれた水差しからレモン水をグラスに注ぎ、王太子に渡す。
「お疲れ」
「ああ。……今日はやけに娘連れが多いな。おかげで挨拶だけでくたびれた」
「顔見せのつもりだろうな」
その言葉にミゲールは眉間にしわを寄せる。
「何もお前のためとは言っていない」
「……俺も含まれているんだろう」
「まあ、未婚男性も多かったから、四人ともなんだろうさ」
グラスを空にして、ミゲールは深々とっため息をつく。
「このあとどれだけダンスさせられるか恐怖だよ」
「どうだろうな。お前の場合はあの三人がいるから、それほどでもないんじゃないか? むしろセレシュやレオの方が多いだろう。セレシュはこれが初めての公式デビューだしな」
「ああ、そういえばそうだな」
男性の社交界デビューは多くが十六歳からとなっている。それは、騎士養成学校に行く高位貴族の子息が多いためだ。
卒業後に初めて開催される王家主催の夜会でデビューするのが一般的で、今回参加している未婚男性のうち、学校上がりの新米騎士は全員、これがデビューだった。
「で、どうだった?」
「何がだ」
ソファの後ろに立つフィグをじろりと睨み上げると、フィグは王太子の手から空のグラスをもぎ取った。
「よさそうな子はいたか?」
「……まだそのつもりはないと前にも言ったぞ」
「わかっている。だが、いずれはだれかを選ばなきゃらない。あの三人の中からか、それ以外からかは知らないが」
「……わかっている」
むっとして言葉を絞り出すと、フィグはミゲールの肩にぽんと手を置いた。
「ユーマを傍に置かないのなら、誰だって同じ。だろ?」
「……何が言いたい」
「そうだな……家柄や条件からなら、王太子妃候補のあの三人から選ぶだろう?」
フィグはレモン水のお代わりを注いだグラスを差し出し、向かいのソファに腰を下ろした。
「だろうな」
「でも、誰でもいいなら試してみればいい」
「試す?」
「今日の夜会で声をかけて、気に入った子にダンスをしながら会話をしてみればいい」
怪訝そうな顔のままのミゲールに、フィグは口角を上げた。
「あの三人とも、どうせダンスをするならきちんと会話をしてみればいい。……今までユーマがいるからとおざなりな対応をしてきたんじゃないのか?」
「そんなわけあるか」
「正式に婚約者になってからは、ユーマ以外と踊ることがほとんどなかったじゃないか。例外は春の宴ぐらいで」
指摘されて、ミゲールは目をそらした。ユーマとしか踊らないからこそ、あの婚約破棄は本当に青天の霹靂だったのだから。
他に好いた女ができたからでないことは、夜会での二人を知る者なら全員そう口にするだろう。
ミゲールとて、カムフラージュするならば婚約破棄の数か月前から、他の女と踊るなりすればよかったのだが、ミゲール自身がそれを受け入れられなかったのだ。
「だから、よほどの理由がユーマにはあったんだってことになってる。……ま、おかげでユーマが嫁に行く道はなくなったけどな」
よかったな、と笑うフィグに苛立って、ミゲールは一気にグラスを呷った。
「戻る」
「分かった」
上着を着込んで出ていくミゲールに従いながら、フィグは苦笑を浮かべた。
ユーマを解放すると言いながら、ユーマを束縛しているのは誰なのか。隣に立つのは誰でもいいと言いながら、誰とも踊りたがらないのは誰なのか。
なまじ行動力があるから、婚約破棄までしちまって。
「自覚がないって怖いねえ……」
フィグの独り言は、広間の喧騒に飲まれて消えた。




