72.第三王子は妹の訪いを受ける
妹の来訪が告げられたのは、セレシュが騎士団の訓練を終え、夕食と風呂を済ませた後のことだった。
扉が開いて入ってきた妹は、紺色のイブニングドレスの上からショールを羽織っている。
「こんな時間にごめんなさい、兄様。……カレル様」
部屋に入るなりフェリスは口を開いたが、傍にカレルが控えているのに気が付いて立ち止まった。
「……茶を頼んでくる」
ちらりとカレルを見ると、妹の戸惑いを察したのだろう、カレルはさっさと部屋を出て行った。
「ごめんなさい」
「いや、構わない。昼間にも来てくれたんだって? よほど大事な用事だろうと思って待ってた。さあ、座って」
妹をソファに誘うと、おとなしく一人掛けに腰を下ろした。ほどなく侍従が茶を運んできたから人払いを頼む。
香り立つ紅茶を一口飲むと、落ち着いたのか妹はようやく口を開いた。
「今日、母上に呼ばれたの」
「うん」
「……セレシュ兄様、夏の避暑に誰か招待するの?」
「ああ、聞いたの?」
予想していたほどは重要案件ではないらしい。セレシュは緊張を解いて口角を上げた。
「一応声はかけてあるんだけど、忙しいからって一度断られたんだよね」
「え、そうなの……?」
「うん、収穫祭の準備があるとかで。でも招待状は送るつもり」
「えっ……収穫祭って、本当にユーマ姉様だったの? でもユーマ姉様には断られたって」
妹は目を丸くする。
「ああ、向こうにいる時にね。でも諦めないよ」
「……そういえば兄様、ずるいですわ。一人だけユーマ姉様に会いに行くなんて」
フェリスは途端に恨みがましい目になって兄を睨んだ。が、セレシュはむっと唇をとがらせると妹をにらみ返す。
「それ、まだ言う? 帰って来てからもうずいぶん経つよね?」
「だって、やっぱり許せませんもの」
「あのねえ、僕はこの二年、騎士養成学校の寮に入ってて、ユーマ姉様にほとんど会えなかったんだよ? その間、お前は好きなだけユーマ姉様と一緒にいたじゃないか。それに、僕のいない間にあんなことになって……この機を逃したら二度と会えないと思ったんだ」
「それはそうですけど……」
「それに、ミゲール兄とユーマ姉様には悪いけど、僕にもチャンスが回ってきたと思ってるよ」
「……本気ですの?」
「もちろん」
「そう……じゃあ、兄様は敵ですわね」
じろりと妹に睨まれて、セレシュは目を丸くした。
「敵? どうして」
「わたくし、ユーマ姉様とミゲール兄様の中を取り持とうと思ってますの。もちろん、レオ兄様も賛同してくれてますわ」
「……そんなはずは」
ない、と言いかけてセレシュは口ごもる。それを聞いたのは、寮に入る前のことだった。二年前、まだユーマ姉様が正式にミゲール兄の婚約者になる前のこと。
今はどうなのか、聞いてはいない。レオ兄はあきらめたんだろうか。
「とりあえず、僕は僕で好きなようにやるよ。だから協力はできない」
「そうですか……。残念ですわ、セレシュ兄様も収穫祭にお誘いしようと思ってましたのに」
「いいよ別に。カレルと二人で行くから。それに、ベルエニー領の視察に王族は二人も要らないだろう?」
そう告げると、フェリスは悔しそうに顔をゆがめた。
ベルエニー領の重要性はよくわかっている。だが、カレルの里帰りに付き合って視察した報告書は提出済みで、大門の修理の決裁はもう降りているだろう。その確認のためにわざわざ王族を二人も派遣する理由はない。
「……わかりました」
「それから。……ユーマ姉様の思いを踏みにじるつもりはないから」
カレルにも釘を刺されているし、ユーマ姉様がその気になるまでは待つつもりだ。もちろん、アプローチは続けるけど。
「当然ですわ。選ぶのは姉様です」
「わかってるよ」
ここに戻ってきた時、テーブルに置いてあった手紙に驚いたと同時に嬉しかった。
婚約破棄直後に書かれたもので、ユーマ姉様の方こそ辛かったはずなのに、別れの挨拶ができない非礼を詫びる内容だった。
手紙を読んで、姉様の心残りをつぶせたのならベルエニー領に行ったことが間違いじゃなかったと心底思った。
「じゃあ、わたくしはこれで」
腰を上げた妹を戸口まで送ると、扉の前でフェリスが振り向いた。
「母上から次の王家主催の宴には全員参加するように言われたわ」
急に話題を振られてセレシュは目を丸くする。
「え? 僕も出るの?」
「ええ。未婚の貴族令嬢を全員呼ぶのだそうよ」
それが何を意味するのか、分からないセレシュじゃない。
「……見合いか」
「まずは顔合わせらしいけど。兄様たちの婚約者をそろそろ決めようって腹なんだと思うわ」
「兄さんたちはいいよ。でも俺はまだ十六だよ? 早すぎるだろ」
思わず崩れた口調でつぶやく。ミゲール兄の妃が決まらない限り、レオ兄の妃は決まらない。セレシュはもっと先のはずだ。
しかし、フェリスは首を横に振った。
「母上は本気よ。……もう時間がないの」
母上の思惑は分からなくもない。婚約破棄の件は国内外に知れ渡った。国内はともかく国外からはすでにいくつも打診が来てるに違いない。
ミゲール兄の本意がどこにあるのかは分からない。でも、いつまでもその隣を空にしておくわけにはいかないのはセレシュにもわかる。
そうでなくとも、ミゲール兄の婚約は遅すぎると言われていたのだ。
「だから……邪魔しないで」
きっと上目遣いに睨みつけて、妹は出て行った。
セレシュはため息をついて、妹の消えた扉をじっと見つめていた。




