71.第一王女は王妃陛下と茶を嗜む(5/30)
「いらっしゃい」
近衛兵に案内されて足を踏み入れた部屋は、コーラルピンクの重厚なカーテンが全部開けられ、明るい光が差し込んでいた。
部屋の真ん中に配置されたソファセットの一つに座っているのは王妃だ。
「お招きありがとうございます」
礼儀にのっとり礼をすると、ホストたる王妃は席を立ち、フェリスの手を引いて席まで案内する。
テーブルには焼き菓子が準備されていて、手際よく侍女がお茶を入れると、護衛騎士も侍女も全員が部屋から出ていく。
その背中を見送ってから、フェリスは母上に向き直った。
「温かいうちに召し上がれ。クッキーは今朝焼いてもらったものよ」
紅茶で唇を湿らせ、クッキーを一つつまむ。甘くほろほろと口の中で解けたクッキーの後味を再び紅茶で流し去ると、フェリスは顔を上げた。
「それで、どういったご用件ですの? 母上」
「急に呼んでごめんなさいね。他に用事が入っていたのではなくて?」
「いえ……」
フェリスは視線を外してクッキーに目をやる。
本当は、今日のこの時間はあの三人を招いての四阿の茶会だった。今朝になって急遽、母上とのお茶会がセッティングされたと聞いて、オリアーナには今日のお茶会を繰り延べると伝える手紙を持たせた。
あの三人がどう受け取ったかはわからない。
気を悪くして次のお茶会には顔を出さない可能性だってある。
三人が持ってくるというユーマ姉様と愚兄の話に興味がないわけではない。今回の件でへそを曲げられて、やっぱり話をするのをやめたと言われても、仕方のないことだ。
「そう? お茶会の準備を指示していたようだけれど」
「暖かい季節になりましたもの、外でお茶をするのもよいかと思いましたの」
フェリスはにっこりと微笑んでカップを取り上げる。
この様子だと、あの三人から届いた封書の中味も、こちらが出した返信も知られている可能性は高い。母上の情報網は本当にすごいのだ。
ただ、現状で母上に何らかの情報を渡すのは早い。あの三人の目的も分からなければ、三人がもたらす情報も分からないのだから。
「そう。……あまり危険なことはしないで頂戴ね?」
「危険なことは致しませんわ」
「ならいいけど。……リリーから連絡はあったのかしら?」
リリーの名前に、フェリスはこっそりとため息をついた。
「まだですわ。でも、ユーマ姉様からはリリーとお友達になったと手紙にありました」
「そう、それはよかったわ」
にっこりと微笑む王妃は、細い指を延ばして焼き菓子を取り上げた。
「それにしても、ミゲールの企てにあなたが手を貸すとは思わなかったわ」
そう告げる母上の目は先ほどまでとは違って冷たく、笑っていない。
企て、と言われてもフェリスとしてはあまりピンと来ない。
まさか、ユーマ姉様が置いていった品をすべてベルエニー領に送るためにリリーを欲していたとは思わなかった。単に梱包の手伝いと目録の作成のためだと思っていた。
どの派閥にも属さない、という条件は、おそらく三家の息のかかった者では思惑通りに動かないだろうことを見越してのことだろうし。
そのまま検品役としてリリーが付いていくことになるのは想定外だった。おかげで、部屋付きの侍女の中で一番お気に入りだったリリーが、いなくなってしまったのだから。
「……企てと言えるほどのことかしら。ユーマ姉様が置いていった私物を送り返しただけですわよ?」
「そうね。おかしいことではないわ。あれらはすべて、あの子の個人資産で購入したものだもの。でもまあ……送って正解だったと思うわ。ユーマの荷物が残っているのを知って、虎視眈々と狙っていた貴族もいたもの」
「ええ、兄上もそう言っていました。もし紛失しているものがあるようなら探すから、とユーマ姉様には言づけたそうですわよ」
「あら……それじゃなかなか検品は終わらないわね。……あの子も、ユーマに忘れてほしいのか欲しくないのか……」
母上はそういうと深くため息をついた。
紅茶のカップを取り上げて一口飲むと、フェリスは居住まいを正した。
「ええ。……ねえ、母様」
「なぁに? 改まって」
「父様にも聞いたんだけど……ユーマ姉様と兄上、元のように戻ってほしいと思います?」
母上はしばらくフェリスを凝視していたが、やがて目を伏せた。
「難しい問題ね。……そう、あの人も言ったでしょう?」
「ええ。……じゃあ、二人が相思相愛だったら?」
「……もしそうなら、どうして婚約破棄をしたの?」
「姉様が大事だから、じゃない? 兄様はまだユーマ姉様のことが好きなんだと思う。でも、あんなことがあって……一緒にいることを諦めたんだと思う」
「……意気地のないこと」
そうつぶやいて母上は目を開いた。だが、その表情は暗い。
「ユーマ姉様だって、兄様のこと好きなはずなのに……」
「……フェリス」
「はい、母様」
「それは、本当かしら……?」
「え?」
ゆっくり顔を上げた王妃の表情に、フェリスは言葉を失った。
「あんなことをされてもまだ、ユーマはミゲールのことを好いていると、本当に思う……?」
「母様……」
でも、と言葉を継ごうとしたが、母上の言葉を打ち消せる言葉が見つからない。
「フェリス。……わたくしはね、もちろんユーマをかわいいと思うわ。娘になってくれることをとても楽しみにしていた」
「はい」
「でもね。……それ以前にわたくしはウィスカ王国の王妃なのです。ミゲールにも幸せになってほしいと思うけれど、それと同時に新たな婚約者を探さねばならない立場なのです」
「……はい」
フェリスは眉根を寄せ、うつむく。母上のいいたいことが大体わかったからだ。
「ミゲールが再びユーマを望んだとしても……ユーマが、ミゲールとの未来を望まないのであれば、叶えることはできないでしょう」
ユーマ姉様の心は痛いほど知っている。兄上から何の言葉もなく、王宮に縛りつけられていた姉様。
もし、兄上がユーマ姉様に思いを伝えていれば……婚約破棄には同意しなかったのではないか。そんな『もし』ばかりが頭の中を渦巻く。
「あれからもうじき三か月になります。次の王室主催の夜会から、ミゲールの妃候補探しを始めることにします」
「えっ……それは、兄様も同意なさっているのですか?」
目を見開いて母上を見つめると、王妃は首を横に振った。
「同意するもしないもありません。ただ、招待状を未婚の貴族令嬢全員に出す、というだけです。……顔合わせは早い方がいいに決まっていますから」
「でも……」
それでは、兄上の思いを踏みにじることにはならないの?
ユーマ姉様を思って涙をこぼす兄上が、易々と次の婚約に応じるだなんて……思いたくなかった。
「もちろん、王族は全員参加です。フェリス、あなたも」
「……いやです」
「嫌は通りません。……そうそう、十月に北方にお忍びで視察に出たいと申請がありましたね」
「それは……」
「王族としての役割をきちんとこなしなさい」
母上の言葉に、唇をかみしめる。きちんと役割を果たさなければ、ベルエニー領への視察と銘打った旅行は許可しない、とそう言っているのだ。
「……わかりました」
「……ああ、もちろん夏の避暑もあったわね。わたくしと王は王都から離れませんけれど、あなたたちは例年通り、行くのですよ」
フェリスは首をひねった。十月の収穫祭の話をしていたはずなのに、避暑の話をなぜ口にしたのだろう。
「セレシュがぜひ招待したい友人がいるそうよ」
「セレシュ兄様が?」
そういえば、向こうでの話を色々していたっけ。ユーマ姉様を避暑に誘ったけど断られたとか。そのことを言っているの?
「お前も誰か呼びたいのなら、早めに手配なさい。もちろん、きちんと招待の返事をもらってからですよ」
話は終わり、とばかりに王妃はカップを空にしてテーブルに置く。
フェリスは入ってきた侍女たちと入れ替わるように部屋を辞し、セレシュの部屋へと向かった。




