6.子爵令嬢の兄は投獄される(3/3-4)
フィグが連れていかれたのは騎士団の地下牢だった。見習いの時に掃除をしたことがあるが、まさか入ることになるとは、とため息をこぼす。
板一枚の寝台に素直に横になったが、怒りのせいか眠気は全く来ない。
あのバカを殴ったのは後悔していない。その結果、首になるのも受け入れる。
だが、館に置いてきた妹のことだけが気がかりだ。
自分が戻るまで出立するなと命じてはあるが、まさか牢屋に放り込まれるとは思っていなかったのだ。ここにどれぐらい拘束されるのかも今の段階では分からない。
このままでは、両親の方が先に館に戻ることになりそうだ、と再びため息をつく。
館に連絡を取ろうにも、見渡す限り誰もいない。使っていない地下牢なのか、フィグ以外の入牢者はいないようだ。大声で叫んでも見張りの兵士一人やってくることはなく、結局フィグはあきらめて、寝返りを打っては明り取りの窓から外を眺めているだけになった。
王太子殿下への暴行となると、近衛騎士団の取り調べを受けることになるのだろう。処分が出るまでは身動きが取れそうにない。
何度目かのため息をつく。
参った。
殴った時点で辞職を申し出るべきだった。そうしておけば、すんなり退出できたのかもしれない。
そこまで考えて、フィグは頭を振った。
……いや、ないか。
騎士団として、暴行を働いたものを無罪放免にするわけにはいかない。
結局なるようにしかならないのだ、とあきらめて目を閉じる。
何度目かにようやく少しだけうとうとした頃、通路に響く足音がした。
「おはようございます、ベルエニー殿」
格子の向こう側に立っていたのは、リニーだった。昨夜巻き込んでからずっと迷惑をかけ通しで、心なしかやつれて見えた。
「……ああ」
「早朝に申し訳ありません。あの、ベルエニー家から妹君の侍女がいらしてまして、昨夜からずっとベルエニー殿をお待ちなのですが」
てっきり処分を言い渡されるのだろう、と寝不足の頭でのろのろ考えていたフィグは、リニーの言葉を聞いても何のことかすぐには分からなかった。
同じ言葉を繰り返され、リニーに「セリア殿です」と言われて初めて、顔を思い出す。
「昨夜から待っていた? どういうことだ」
「妹君からベルエニー殿宛ての手紙を預かってきたとかで、事情をお話しすると、待つと申されまして……。王宮内の妹君の部屋にお通ししてあります。もともと王宮で妹君付きの専属侍女だったと伺っておりますし、王妃陛下から問題ないと伺っておりますので」
「そうか。……で? 俺はここから出られないわけだが」
少なくとも、取り調べを受けて処罰が決まるまでは動けない。そう告げて、両親とともに領地に戻るように伝えるべきだろう。
だが、リニーは申し訳なさそうに懐から一枚の紙を取り出し、格子の隙間から差し出してきた。
「すみません、事情を聞いていれば昨夜にでもお渡ししたのですが」
受け取った紙には、見慣れたミゲールの文字で『一か月の登城禁止、自領にて謹慎』と書かれていた。昨夜フィグの目の前でミゲールが書き、リニーに渡していたものだろう。
フィグはどこの騎士団にも属さない、王太子直属の専属騎士だ。主が処罰を決めたのなら、それに従うしかない。
近衛の領分で犯した罪だから近衛騎士団の預かりだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
「登城禁止が解けたら必ず登城せよとのご伝言です」
フィグはがっくりと肩を落とし、頭を抱えた。
……どこまでお人よしなんだ、お前は。俺は殴ったんだぞ。お前の顔を力いっぱい。首も覚悟してたっていうのに、謹慎だけだと?
「王太子殿下は、ベルエニー殿が辞職するつもりだとおっしゃっておられました」
「……ちっ、お見通しってわけか」
だから、あの時に避けなかったのか、とフィグは納得した。
あのバカなら、自分の拳ぐらい受け止めるなり避けるなりできたはずだ。それを体の力を抜いて吹っ飛ばされるなど、あるはずがない。……ほんっと、バカだ。
「……俺はもう出ていいのか?」
「はい。ユーマ様がお使いだった部屋はご存知ですか?」
「いや、だが謹慎処分の俺が立ち入っていい場所なのか?」
「許可はいただいております。ご案内します」
フィグはリニーについて外に出た。
◇◇◇◇
案内された部屋は、王宮でも王族しか入れないはずのプライベートエリアにあった。王太子殿下の私室までは立ち入りは許可されているが、それ以外への立ち入りは許可されていない。
とりわけ女性の住まうエリアはほぼ立ち入り禁止だ。いつもなら、面会でも公的エリアで行われていたのに、こんなところにいていいのかという気がどうしても拭えない。
ノックをするとすぐ返事があった。聞き覚えのあるセリアの声だ。
「お待たせしました。……フィグ様!」
「すまん、ずいぶん待たせた」
「いいえ、おかげさまでここを引き払う準備ができました。先ほど旦那様と奥様にもお会いしました。お二人はまだ帰れないそうで、荷物を運ぶのに馬車を使っても良いと許可を頂きました。すぐにでも荷物を引き上げて戻れます」
「そうか」
案内してくれたリニーに感謝を告げると、出るときにも誘導が必要だと言われた。ここから自分で戻れと言われても自力で出られる気はしない。とりあえずリニーには扉の外で待ってもらうことにした。
「それにしても驚きました。若様が地下牢に入ってるなんて。いったい何をなさったんですか」
「ああ、ミゲールを殴った」
「……王太子殿下を?」
セリアは真っ青になって立ち尽くした。
「大丈夫だ、処刑されたりはしない。一か月の謹慎だ。……荷物はこれだけか?」
フィグは目を瞬かせた。六年もこの部屋に住んでいたのに、セリアがまとめたのは比較的大きめな鞄に二つだけだ。
ぐるりと部屋を見回しても、まだいろいろ残っている。ドレスや宝飾品も。
ようやく気を取り直したセリアがまだ幾分青い顔でうなずいた。
「はい。ユーマ様から、王太子殿下からいただいた豪奢なドレスも宝飾品も、お返しするようにと。ただ、乗馬用の服と普段使いしていた簡易ドレスなどは必要なので」
「……もらっときゃいいのに」
ため息を漏らす。
おそらく、王太子はこの部屋の状態を見てさらに落ち込むだろう。完全に拒絶されたと感じて。
落ち込むぐらいなら婚約破棄などしなければいいのにと思うが、あいつの言い分があることをフィグは知っている。
きっと、あいつはこれらを処分しないだろう。そんな気がする。それか、まとめてベルエニー領に送り付けるぐらいはしそうだ。王太子から送られたものを拒絶できるほど、子爵は肝が太くない。
「じゃあ、行くとするか。ユーマが待ちくたびれてることだろう」
「はい」
扉を開ける。最後に部屋をもう一度だけ見回して、外に出た。