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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第八章 忘れ物と第一王女の侍女

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66.子爵令嬢は『忘れ物』を検分する(5/10)

本日二話同時更新しています

 ガラガラと馬車の音が響く。

 北の館に行くのは久しぶりね。最後に行ったのは乾燥の終わったワーズワルトを取りに行ったときだから、もう一月近く前になる。

 あの時採れたワーズワルトはすでに依頼主に送付済みだ。追加で注文が入ってるのだけれど、なんだかんだと忙しすぎて、ホルラントへ足を延ばせなていない。

 先だって収穫祭の準備会が発足されたの。わたしも今年はメンバーに入っているのよね。

 もちろん父上は中心人物だ。準備会の長老とも言われるセリージャ村の村長さんによれば、我が家から準備会に参加するのは父上以外ではわたしが初めてなのだそうだけれど。

 兄上もカレルも十四になったら騎士養成学校に入ってしまって、その後戻ってないからチャンスがなかったのね。

 わたしはといえば、権限は全くない記録と会計を任されることになった。今まではベルモントが仕事の片手間に片付けていたらしいのよね。

 あの有能なベルモントが一人でやっていたことを、わたし一人でできるかしら。ちょっと心配。

 収穫祭自体は五か月後だから、いまから急いでやらなきゃならないことはそう多くはない。

 でも、いまから準備しないと間に合わないものもある。例えば広場で曲を奏でる楽隊や屋台の準備。吟遊詩人の手配。広場や道を飾る花や飾り絹。ふるまい用の干菓子、門の外には臨時の宿も作らなきゃならない。

 人気の高い楽隊や吟遊詩人に連絡を取るのって意外と大変なのね。もちろん、魔法使いがいれば楽なんだけど、ベルエニー領には魔法使いはいないし。

 六年前の収穫祭は楽しんだだけだから何も知らないけど、何も今年の収穫祭を仕切れと言われたわけじゃないもの、ベルモントから去年までの記録や収支を教えてもらうことになっているから、なんとかなるわよね。


「どうかなさいました? お嬢様」


 目の前に座るセリアがわたしの顔をのぞき込んでいた。


「ううん、収穫祭のことを考えていたの」

「そういえば、今年は収穫祭に出られるんですよね」


 セリアは目をキラキラさせて嬉しそうに答える。わたしと一緒に王宮に上がったから、セリアにとっても六年ぶりの収穫祭なのよね。


「六年ぶりよね、誰かと一緒に行くの?」

「えっと……お嬢様と、じゃないんですか?」

「わたしはたぶん一緒には行けないわよ?」

「えっ」


 心底驚いたように目を見開くセリアに、わたしは苦笑を浮かべた。


「今年の収穫祭はフェリス様がお忍びでいらっしゃるんだもの。ホストとしては放っておくわけにはいかないわ」

「あ……そうでした。本当に来られるんですか?」

「来られるようにスケジュール調整してるって手紙にあったから、きっと何が何でも来るわよ」


 くすりと笑うと、セリアも頬を緩ませた。


「じゃあ、お嬢様はフェリス様と回られるんですね」

「ええ、そうなると思うわ。当日の役は免除してもらうつもり」

「でしたら、お嬢様も収穫祭は楽しめそうですわね?」

「そうね、楽しみだわ」


 収穫祭にはきっとリリーもいるに違いない。

 正直な話、あの記録を手に取る勇気がわいてくる気が全くしない。……冬が過ぎて春になっても、きっとわたしはこの六年に向き合えない。

 あの方への思いを忘れられない限り――。


「そういえば、もしリリーさんが収穫祭までいらっしゃるなら、お誘いしてみていいですか?」

「え? ええ、もちろんよ。楽しんでらっしゃい」

 

 セリアの言葉に我に返ったわたしは、取り繕うように笑みを浮かべる。

 やはりリリーの正体は知らせない方がいいわね。


 ◇◇◇◇


 セリアに案内されたのは、北の館の三階の西の端の部屋だった。西日が入らないように窓はすべて塞いである。


「こちらの二部屋がお嬢様の衣裳と小物のお部屋、隣がインテリア類の部屋です。目録とのチェック、なさいますか?」


 苦笑を浮かべつつセリアがあの分厚い目録を差し出してくるので、わたしは首を横に振った。


「いいわ、セリアとリリーがきちんとチェックしてくれたんでしょ? 信用してるわ」

「ありがとうございます」


 嬉しそうなセリアに微笑み返してから部屋に足を踏み入れる。あちこちに設えられた魔石ランプからの光がなければ、衣裳部屋は真っ暗だろう。

 ウォークインクローゼットに改装された部屋には所狭しとドレスがかけられている。その多くが、あの空色を思わせる青色の布地で作られていて、胸がつきりと痛む。

 セリアが戸口で足を止めたのに気が付いた。きっと一人にしてくれるつもりなのだろう。

 歩を進める。銀糸が織り込まれた深い青のドレスやレースがふんだんに使われた漆黒のドレス。いつどんな場面で着たのか、一つ一つ思い出せてしまう。

 その一番先に、白いドレスがあった。デビュタントのドレスに手を伸ばす。

 そこに並べられたどのドレスよりも手触りの悪い、白いドレス。父上と母上がわたしのために用意してくれた、精一杯のドレス。

 このドレスを着て、初めてのダンスを踊る前に、あの方に求婚されたのよね……。

 目の前に跪いたあの方の銀の髪を、白地に銀の刺繍がされたあの方の襟元を、差し伸べられた右手が持ち上げた右手を、手の甲に押し付けられた唇の感触を、今でも思い出せるのに。

 あの時のわたしは……純真だった。

 何も知らず、何も疑わず、王太子のプロポーズを、何も考えずに受け入れた。

 そんなこと、あるはずがないのに。


 ――もしかしたらデビュタントで王子様に見初められるかもしれないよ――。


 そんなの夢だと思っていた。デビュタントの控室でささやかれる、ただの乙女な夢だと。

 ドレスから手を離し、首を横に振る。

 夢は覚めるもの。夢から覚めれば、もう夢には戻れない。


「お嬢様、隣の部屋へ参りましょうか?」


 戸口からおずおずとセリアが声をかけてくれる。

 顔を上げて戸口に戻ると、セリアがハンカチを差し出してくれた。

 最近のわたしはどうかしている。すっかり涙腺が緩んでしまったみたい。声は出なかったけれど、なかなか涙は止まらなかった。


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