64.子爵令嬢は宰相夫人と友達になりたい(4/28)
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目録の検品が終わった、とセリアが伝えてきたのはあれから五日ほど後のことだった。刺繍の手を止めて顔を上げると、セリアの顔には疲れが見えていた。
荷物が届いてから十日、普通の仕事もしながらの検品だったし、母上の侍女が減った分の雑用も担っていたはず。わたしが倒れた間も、看病をしながら検品をしていたのだし。……本当に申し訳ない。
「ありがとう。ごめんなさいね、セリアにばかり……疲れたでしょう?」
「いいえ、それほどでもありません。むしろリリーさんの方が大変だったと思いますよ」
結局、セリアにはリリーの正体を伝えてはいない。
セリアの話によれば、我が家の使用人たちとも馴染んで仲良くやっているらしい。彼女が宰相夫人だと知れば、途端に壁ができてしまうに違いない。
結局、扱いだけでもというわたしたちの願いは退けられてしまっている。食事はセリアと一緒に摂っているし、部屋も、もっと良い客室に移ってもらおうと思ったのに、むしろ使用人たちの部屋に近い場所を希望されるし……。
部屋の移動はしていないけれど、そのうち侍女として働きたいと言い出すんじゃないかと母上もひやひやしている。
「そうよね。……セリア、リリーさんをお茶にお呼びしたいのだけれど、伝えておいてくれる?」
「はい! 明日の午前中でいいですか?」
「そうね。お願い」
「かしこまりました」
にっこりと微笑んでセリアが出ていく。
料理長にはとびきりのお茶菓子をお願いしておこう。春の館の皆さんにも差し入れられるように多めに。セレシュが帰ってから腕の振るい甲斐がないのか、最近すこしがっかり気味なのよね。彼女の正体を知ったらまた生き生きと腕を振るってくれそうだけれど。
◇◇◇◇
「お招きいただきありがとうございます」
綺麗な礼をして、彼女がやってきた。
「こちらこそ、来ていただいてありがとうございます。ただお茶を一緒にどうかと思っただけだから、どうぞ気楽にしてね?」
にっこりと微笑んで席へと促す。
セリアが同じ空間にいるから、彼女を宰相夫人として扱うことができない。違和感ともやもやを抱えつつ、口調をなんとかセリアに対するものとそろえるように心がける。
今日は天気が良いからと、庭の東屋に準備をしてもらった。
セリアがてきぱきとお茶の準備をして行く。テーブルには、料理長入魂の新作タルトとフルーツロール、マドレーヌなどが載っている。
「それに、ちゃんとお話したことなかったし、お礼も言ってないし」
「お礼、ですか?」
首をかしげるリリーに、わたしは居住まいをただすと頭を下げた。
「『忘れ物』を届けてくださってありがとう。……目録作りと梱包を一人でやったと聞いたわ。大変な作業だったでしょう?」
「ああ……いえ、フェリス様のお願いでしたから」
そこがわからなかったのよね。
手紙は王太子殿下からのもので、送られてきた品も当然、王太子殿下が送ってきたもの。なのにどうしてフェリス様の部屋付き侍女なのか。
部屋付き、というだけにフェリスに随行することはなくて、もっぱら部屋の清掃や整備などの管理、それから衣装や装飾品、調度品一切の管理をするのが仕事のはず。
もちろん、フェリスが部屋にいる間はフェリスの世話も含まれるわけなのだけれど。
第一王女の随行侍女となれば、あちこちに一緒に出掛けることになるので、顔を売ることができる。
王女と出かけることでより良い出会いも多く、高位貴族の子息たちとの婚姻に結び付く例も少なくないと聞いている。王女との関係を大っぴらに喧伝できるとあって、貴族の令嬢たちがこぞって狙うポジションだった。
対して、部屋付き侍女は部屋から出歩くことはほとんどない。
もちろん、部屋の管理に必要な外出や遠出はあるものの、そういう場所に高位貴族の子息がいることは稀で、競争に敗れたか、玉の輿を狙わない娘のポジションだ。
だから、王太子殿下との縁があるとすれば、フェリスを介してしかないはず。フェリスのお願い、とあれば断れるわけないものね。
セリアがお茶を入れて少し離れる。声が聞こえない範囲ではないが、内緒話程度の大きさの声なら聞き取れない程度の距離。
ティーカップを取り上げて、わたしは口を開いた。
「それにしてもフェリス様も酷いことをなさったんですのね。こんなに綺麗で賢くて若い女性に倍以上の年の宰相のところに無理やり後添いに入れだなんてご無体なこと」
宰相夫人と会話するのにふさわしい口調を選ぶ。
「いえ、無理やりではありません。そんなことをおっしゃらない方だと、ご存じでしょう?」
リリーは一瞬だけ目を見開いた後、目を細めた。もちろん、そんな無体をするわけがない。むしろ無理強いされたと聞けば、なんとしてでも止めただろうことは予想に難くない。
わたしは小さくうなずいたのち、言葉を継いだ。
「では、国王陛下に? それとも王妃陛下? 王太子殿下? わたくし、絶対許しませんわ」
「いいえ! 無理強いはされていないのです」
慌てたように首を横に振る彼女に、わたしは首をかしげて答えた。
「あら、違うんですの? 国王陛下の名代となるために結婚をなさったとおっしゃったでしょう? 政略結婚だと」
少し意地悪な聞き方だということは自覚している。でも、そうでもしないとこの『国王陛下の名代である、第一王女の部屋付き侍女』の仮面はきっと外れない。
「それは、間違いありません。もともと、運ぶ荷物の重要性と検品のためにわたくしが派遣されることになっていたんですの。ところが、セレシュ様の迎えが同時期に出るとを聞いて、フェリス様が別々に二部隊派遣するよりは合理的だと仰いまして」
リリーの視線はまっすぐで、揺れることがない。
「ええ」
「セレシュ様の迎えの部隊には、国王陛下と王妃陛下からのお品物が積まれているとも伺いました。……国王陛下の名代として随行することになっていたのが、宰相閣下だったんです」
「あら……それはお辛いわね。王都からの旅路は決して楽なものじゃないし」
「ええ。……身に染みてわかりましたわ」
国王陛下の名代を務められるほどの人物はそうそういない。
宰相ならば、いずれその地位を継ぐ長男が補佐として職務に就いている。多少の期間、王都を開けても問題ないと判断されたのだろうけれど。
六十を超えた宰相閣下が、馬車とはいえあの道を十日以上かけて馬車で移動するのはかなり苦痛だろう。しかも、セレシュの迎えということもあって、到着が遅れることは許されない。
「だから、わたくしが代わりに参ります、と名乗り出たんですの。そうしたら名代としては軽すぎる、と仰られまして」
うんうん、と頷きながらクッキーをつまむ。確かに、一国の宰相が行くのと王女の侍女が行くのとでは、受け取り方が明らかに変わるだろう。
我が父も、侍女だと思っていたリリーが宰相夫人だと知って完全に態度が変わったのだから。
「いろいろ話し合った結果、宰相夫人であれば名代として通用する、と」
「それで、強要されたのね?」
「いいえ!」
少しだけ語気を強めて、リリーは首を横に振った。心なしか顔が赤い気がするのは……気のせいかしら。
「わたくしが名代としてこちらに来たかったので、宰相閣下のお申し出をありがたくお受けしたんですの。表向きだけのことですし、王都に戻れば離縁してかまわない、とも仰られました」
宰相様の申し出に目を見張る。普通はそんなこと、許可しないものよ? 嫡男もその嫡子も生まれているからとは言え、書面上でも後添いをもらうのは結構なリスクがあるもの。よっぽどのことがなければ受けないわ。まあ、今回の話は、その『よっぽど』に当たるのかもしれないけれど。……宰相様には何のメリットもないのに。
「……本当はこんなこと、子爵様や奥方様、ユーマ様にはお伝えするつもりはなかったんです。名代として扱われなかったりした場合のみ、伝えるつもりで……。サインをした時点でお気づきになるかもしれない、とは思っていましたけれど、子爵様はさすがですわね」
リリーのほめ言葉にわたしは微笑みで返す。
父上が貴族の系譜に詳しいのは、どの家がどの派閥かを覚えておくためのもの。どこの派閥とも距離を置くことにしているため、誤解されないように気を配っているのをわたしは知っている。
わたしが家だけでなく個々人までを覚えているのは、王太子妃になるための教育の一環だったから。……ただそれだけ。
「……リリー様、聞いてもよろしいでしょうか?」
「様だなんて、よしてください。敬語もいりません。あの……いつものように喋っていただけませんか?」
リリーは申し訳なさそうに眉尻を下げてわたしの方を見る。その顔は、国王陛下の名代としての美しく完璧な微笑みとは違う、困ったような笑み。きっとこれがリリーの素顔なんだ。
わたしもいつもの微笑みに戻す。
「じゃあ、リリー。……好きでもない方と仮初でも婚姻を結ぶのに、抵抗はなかった?」
こんなプライベートなことを聞くのは失礼かもしれない。でも、聞いてみたくて恐る恐るそう口にすると、リリーは目を丸くしてわたしを見、くすりと笑った。
「わたくしはもともと貧乏な男爵家の出ですの。いずれは家のために嫁ぐ覚悟はできていましたから、気にしたことはありません」
「じゃあ……恋もしたことはないの?」
「ええ……ありません。しても辛いだけですから」
そう告げたリリーが一瞬だけ目を伏せた。
リリーは恋の辛さを知っているんだ。……わたしと同じね。
わたしも……もう恋はしない。
残っていた紅茶を飲み干すと、セリアをちらりと見る。セリアも心得たもので、わたしたちが小声で話をしている間にお湯をもらってきていたらしく、手早く紅茶の準備を始めた。
「ところでリリー。あの……目録の取りこぼしの件なのだけれど……前にも言った通り、時間がかかるの。その間、待っていただくことになるのだけれど」
「ええ、わかっております」
「……本当に冬までかかるかもしれないの。それでも、構わないの?」
「はい。……ベルエニー領は秋と冬が最も美しい、とフェリス様から伺っております。もし叶うなら見てみたいと思っていましたの。フェリス様よりも先に見られることになりそうですわね?」
リリーは心底楽しそうな笑みを浮かべた。
人を待たせてしまうのはとても気が重いのだけれど、リリーの言葉で少し楽になれた。
「それで、リリーさえよかったら……こうやって時々お茶に付き合ったり、話し相手をしてくれると嬉しいんだけれど……どうかしら」
恋の辛さを知っている彼女とはもっと話をしてみたい。建前抜きの本音を聞いてみたい。
リリーはしばらく目を瞬かせていた。その合間にセリアがお茶のお代わりを持ってきて、リリーが硬直しているのを見て首をかしげていたけれど、リリーはそれも気が付いていなかったみたい。
温かい紅茶を一口飲んで、ようやく落ち着いたのかリリーは少しうつむいた。
「あの……ユーマ様はフェリス様の大切なお姉様と伺っております。主の大切な方のお友達にだなんて……」
「わたし自身はただの子爵の娘よ。リリーの方が今は立場が上なのだから、気にすることはないでしょ?」
むしろ、公爵夫人にこんな口をきいてると知られたら母上に怒られるわね。気をつけなきゃ。
「それはそうですけれど……ユーマ様とお友達になったなんて言ったら、フェリス様に怒られてしまいます」
「そんなことないわよ」
拗ねるかもとは思ったけれど、だからって侍女をいじめるだの首を切るだのするような人じゃないもの。
「もしフェリス様に拗ねられたりいじめられたりしたら、わたしに知らせてくれる? わたしから言っておくから」
実際には何の権限もないけれど、わたしのせいでリリーが不利益を被るのは見過ごせないもの。
「ありがとうございます」
リリーは軽く頭を下げ、それからくすくすと笑いだした。
「ユーマ様って、本当にフェリス様のおっしゃった通りの方なんですのね」
フェリスがわたしのことをどう伝えたのかわからないけれど、王宮でのわたしとはまるで違うように見えるのでしょうね。
戻ってきてから肩ひじ張らずに気楽にしているもの。戻って来て貴族らしからぬ生活をしているせいもあるかもしれないけど。
「わたくしなどでよろしければ、いつでもご一緒いたしますわ」
にっこり微笑むリリーに、わたしも同じ笑みを返した。




