63.子爵令嬢はリリーの正体を知る
北の館の二部屋を、ユーマ宛に送られてきた品々のために改装することになった、と父から聞かされたのは晩餐の時だった。
相変わらずリリーは同席しない。
あの記録を読む気は起きない。……当然よね、あれからまだ一月ちょっと。すべてを過去のものとして見るには時間が全然足りない。
思い出すだけでこんなに胸が痛むのに。
「お父様」
食事の手を止めて居住まいを正し、父上の方に向き直る。声の硬さに気が付いたのか、父上も手を止めてフォークとナイフを下ろした。
「どうした?」
「……リリーさんのことなんですけれど、一度王都にお帰りいただこうと思います」
「リリー殿を?」
訝し気にわたしのほうを見る父上に、わたしは小さくうなずいた。
「リリー殿の仕事はまだ終わっていないと聞いているが……何かあったのか?」
「それは……」
眉根を寄せて目を逸らす。
きっと詳しく説明すれば、父上は怒ってくれるだろう。でも、怒ったところで覆すことはできないのも分かっている。
それなら……詳しく伝えない方がいいよね。
「目録から漏れた品がないかを調べるのに、かなり時間がかかりそうで……」
「まあ、確かに分厚い目録だったしな。特に期限は決められていないんだったか?」
「ええ。……それに、忙しくなる時期だから、それにばかり関わっていられないし」
「まあ、確かに十日やそこらで終わりそうにないだろうな。実のところ、部屋二つで足りるかどうかわからなくてなあ」
王宮でわたしのために割り当てられた衣裳部屋は一つや二つじゃなかったし、かさばるインテリア類もあった。一時的に保管するにしても、ぞんざいには扱えない。
「ただ、ここまでの往復を考えるとなあ……。少し話をしてみよう」
はい、と返事をしてフォークを取り上げる。
顔を上げると、母上が心配そうにわたしの顔を見つめていた。表情には出ないように気を付けていたけれど、ちゃんと隠し通せたかしら。
これで一旦リリーが王都に戻ることになったとしても、目録のチェックはしなければならないのよね。……気が重い。
それにしても。
あの時のリリーの顔を思い出す。フェリスの侍女だということは知っていたし、国王陛下から名代として任じられるほどには信頼されているのも分かったけれど。
……あれは、悪意があると思ってもいいのかしら。
とはいえ、フェリスに問い合わせるわけにはいかないし、セリアも彼女とは親しいらしくてそういうことは聞きづらい。
悶々としながらも食事を終えたわたしは、父上も母上もわたしを見ていたことに気が付いていなかった。
◇◇◇◇
「それは無理です」
にこやかに答えるのはリリーだ。両親に呼ばれた居間のソファの向かいには彼女が座っている。
「王命ですので、違えることはできません」
「しかし、いつまでかかるかわかりません。長く逗留いただくのは当方としてはかまいませんが、冬までに終わると確約することもできませんので」
「こちらの冬が厳しいことは聞いておりますが、かまいません。我が主フェリス様からも許可はいただいております」
はす向かいに座る父上の顔があからさまに曇ったのが分かった。
侍女だから、と固辞されているものの、彼女も貴族に連なる者のはずで、いつまでも侍女扱いし続けるのは限度がある。我が家の侍女ではないのだし、せめて客人として扱わせて欲しいのだけれど。
「それでは、せめて客人として扱わせてもらえませんか」
眉根を寄せた父上は、わたしの考えを読んだみたいにそう告げた。リリーはそれも予想済みらしく、落ち着いた笑みは変わらない。
「ここは王宮ではないし、カルディナエ公爵令嬢をこれ以上侍女として扱うわけにはいきません」
わたしは思わず父上の顔を見た。
カルディナエ公爵と言えば、現在の宰相家。ウィスカ王国の権力を握る四大勢力の一角。
そんな名家のお姫様が、どうして侍女だなんて……。
国王陛下と同年齢で、そろそろ隠居して次代に引き継ぐという噂もあったはず。
そうなると、リリーは次期宰相の姉妹、ということになるのだけれど……わたしの記憶している貴族の系譜には、カルディナエ公爵の直系は一人息子だけで娘はいなかったはず。ご兄弟には娘はいるけれど、ちょうどリリーぐらいの年齢の女性はいなかった。……いたら王太子妃候補になってないはずないものね。
目を見開いてリリーを見ると、彼女は苦笑をうかべてわたしを見た。
「さすがにユーマ様はご存知ですわよね。……ベルエニー子爵様、わたくしは宰相の娘ではありません」
「目録の確認の際、リリー・カルディナエと書かれたではありませんか」
「ええ。つい先日婚姻が成立しましたの」
カルディナエ公爵の嫡男は三十過ぎの既婚だったはず。たった一か月で何があったの?
目を見開いて父上と顔を見合わせるけれど、父上は小さく首を横に振った。ということは父上も知らないのね。
すると、リリーがくすりと笑った。
「ああ、サリエル様じゃありません。オルディール様です。再婚なので、大々的にはお披露目していませんけれど」
「オルディール・ド・カルディナエ様の奥様だったのですか……!」
まさか、と思わず口にしそうになる。
リリーはとても素敵な笑みを浮かべ続けたままだ。
宰相閣下ご本人の再婚相手だったなんて。しかも、新婚、よね? そんな方をここに長く拘束するわけには絶対行かないわ。
「それならなおのこと、一度王都へお戻りください。蜜月に旦那様をお一人にするなんて……宰相閣下に恨まれてしまいます」
言葉を失った父上の代わりに、わたしが言葉を継ぐ。宰相閣下は嫡男の年齢から考えても六十に近いお年だと思うけれど、後妻にと望まれたのでしょう? それならリリーを大切に思ってるのではないの? 奥様と一緒に居られる蜜月は大切にしたいと思うのではないかしら。
「いえ、それもお構いなく。……国王陛下の名代となるための政略結婚ですから。宰相閣下とは顔を合わせた程度です」
にこやかに微笑む彼女に、わたしは目を丸くする。
今回の役目のためだけに婚姻を結んだというの? 貴族の婚姻に必ずしも愛があるわけではないことは分かっているけれど……養女にするだけではだめだったの?
「書面上の結婚ですから、宰相閣下はわたしのことを気にしませんし、仕事を完遂していないのに戻ったら怒られてしまいます。……もしご迷惑ということであれば、宿を移しますので」
「いやいやいや! それには及びません。ただ、侍女として扱うことはもうできません。それだけは、お許し願いたい」
慌てたように父上が口を開く。さすがに彼女を町の宿屋に泊まらせるわけにはいかないもの。なんといっても現宰相閣下の奥様。雲の上の人だ。それが紙の上での関係だとしても、何かあれば大変なことになる。
「ですが……わたくし自身はただの侍女ですから。お話はそれだけでしたら、下がらせていただいてもよろしいですか」
さらりと立ち上がると、リリーは軽く会釈をして出て行った。わたしたちは顔を見合わせてため息をつくしかなかった。




