62.子爵令嬢は第一王女の侍女と話をする(4/22)
あれから数日、わたしは寝込んでしまった。
セレシュが言った通り、どうやら本当に風邪をひいていたみたい。熱っぽいのも、声が出なくなったのも、目が潤んでいるのも、一晩中号泣したせいだけではなかったのね。
セレシュを見送ったあとベッドに押し込まれて、ぐっすり眠りこんでしまったけれど、それも寝不足のせいだけではなかったみたいで、目が覚めたらさらに声が出なくなって、ぱーっと熱が出た。
もちろんセリアには思い切り怒られた。
「まだ夜は冷えますからちゃんと暖かくしてくださいと申しましたのに!」
反論をしたかったけれど、声が出ないから黙って聞くしかなかった。
朝起きるたびに額に手を当てられて、スープと柔らかいパンだけの食事の後は苦い薬を飲まされる。薬が効けば眠気がやって来て、昼と言わず夜と言わず眠りに誘われてしまって、気が付けば二人を送り出してから三日も経っていた。
その間、セリアはずっとそばにいて様子を見てくれていたようで、目を開けるとたいていそこにいた。
「ごめんなさい、セリア」
「本当に本当に反省してくださいましね?」
ようやく起き上がる許可が出て、ベッドに腰かける。まだ治りきらないかすれ声で頭を下げる仕草をすると、セリアは大きくため息をついた。
「お見送りだって、奥方様のおっしゃるように無理を押してまですることはなかったんです」
「でも、カレルが待ってるって言ってたし……」
セレシュを部屋から追い出すためのただの口実だったのは分かっている。でも、やはり見送りには行きたかったのよ。
「それで三日も倒れては意味がないでしょう? もしカレル様のお耳に入りでもしたら大変ですよ?」
「え? どうして?」
そりゃまあ、わたしが無理を押してぶっ倒れたと知れば、カレルはシニカルに笑うだろうとは思う。今回こっちにいた間も、結局ろくに視線合わせなかったし、ちゃんと話もしなかった気がする。
嫌われて当然だものね。仕方がない。ある意味すでに『出戻り』なわけだし、この後嫁に行ける可能性も低いわけで。
そろそろ、将来のことを見据えてどうにか身を立てることを考えなければいけないのだけれど……。
「セレシュ様をお見送りに出たせいでお嬢様が倒れたと知ったらどうなることか……」
はぁ、とため息をついてセリアは手で顔を覆う。
「セリアは気にしすぎよ。カレルが気にするわけないもの。それより、湯あみをしてもいいかしら」
寝付いている間はセリアが体を拭いてくれたけれど、やはりお風呂に入ってさっぱりしたい。そう口にすると、セリアはなんだか残念なものを見るようなめで私を見て、ため息をついた。
「ほんと、カレル様が気の毒です」
わたしが聞き返すよりも早く、湯あみの準備のために退室していったセリアに、首をかしげるしかなかった。
◇◇◇◇
彼女の来訪が告げられたのは夕刻、そろそろ晩餐の時間になろうかというタイミングだった。
今日もセリアやベルモントとともに目録の確認に立ち会っていたはずのリリーは、疲れも見せずに見事な笑みを浮かべていた。
「このような時間に申し訳ありません。風邪で寝込んでいらっしゃったと伺いましたが、大丈夫でしょうか?」
「お気になさらず。もう大丈夫ですわ」
彼女の浮かべる余所行きの笑顔にわたしもずいぶん引きずられているみたいだ。言い回しも口調も態度も。
「ですが、まだ病み上がりですので……」
わたしの後ろに立つセリアが口を挟むと、リリーも頷いた。
「ええ、わかっております。長くお時間をいただくつもりはありませんから、ご安心くださいませ」
にっこりと、それこそ男なら一目ぼれしてしまいそうな笑顔を浮かべてセリアに視線を向けている。セリアはとちらりと見上げると、少し頬を染めて黙り込んでいた。
「ユーマ様」
「……何でしょう」
「先日から、ユーマ様宛のお荷物の検品をセリアさんと行っているのですが、ユーマ様の記憶にあって目録にないものがないかを確認していただきたいのです」
それは、王太子殿下の手紙にも書かれていたことだった。リリーは同じ指示を受けているのだろう。
手紙のことを思い出してざわりと心が波立ち、わたしは目を伏せた。
「……構いませんけれど、わたしもすべてを覚えているわけではありません」
「そうなのですか?」
訝しむような声に目を上げると、リリーはセリアの方を窺っていた。振り返ってセリアを見上げると、申し訳なさそうにわたしを見て、小さく頷いた。
「お嬢様は王宮に居らっしゃる間、こまめに記録をつけておられました。ですから、それを手繰ればいつ何を受け取ったかはわかるはずです」
セリアが何を言っているのかを理解したとたん、血の気が引いた。
確かに、王宮に上がる前から時々記録はつけていた。
王宮に上がってからは、その日一日のことを細かく記録したりもした。誰と会ってどんなおしゃべりをしたか、何を習ったか。何をいただいたか。
それは日記というよりは業務記録みたいなもので、王妃教育が始まった日に教師から命じられたことでもあった。
貴族の系譜を覚えること、顔と家族構成を覚えること、人となりと役職を覚えること、趣味などのプライベートな話を覚えること。
聞いたことを書いて覚えて、それを政務にも役立てる。
だから、王太子殿下にいただいたものはそれを漁ればわかる。……少なくとも王宮を離れる前日までは書いていたもの。
セリアが引き上げてきてくれたものの中にちゃんと入っていて、焼いたり捨てたりするつもりだったのに、結局どこにあるのかわからないまま北の館に収められてしまった。
それを読んで目録と付き合わせろということなの?
……それは、この六年に向き合うということ。あの記憶をもう一度なぞれと、そういうの?
かといって、セリアに読ませるわけにはいかない。機密事項的な情報も載っている。……となると、やっぱり自分で読まなきゃならない。
「……少し時間をいただけますか?」
彼女とて第一王女の侍女だ。こんな僻地に長い期間拘束されるわけにはいかない。
せめて、もう少し気持ちの整理をつけてからでないと、読むなんて無理。
恐る恐る視線を彼女に戻すと、リリーはにっこりと微笑んだ。
「ええ、いつまででもお待ちします。王妃陛下とフェリス様からは許可をいただいておりますから」
「えっ……」
「検品が終わるまではセリアさんにお手伝いをお願いすることになりますけれど、目録の抜けがないかどうかはユーマ様にしか分かりません。わたくしの仕事は、目録の検品に立ち会うことと、目録の抜けがないかを確認することです。それが終わるまでは帰れませんの」
リリーの美しい笑顔が歪んで見えた。




