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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第七章 子爵令嬢は弟と第三王子を迎える

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60.子爵令嬢は第三王子を見送る(4/19)

 翌朝、わたしの顔を見たセリアに絶句されてしまった。渡された濡れタオルで真っ赤に腫れ上がった両目を冷やす。


「昨夜、寝られなかっただけよ」

「嘘をおっしゃらないでください! 声まで枯れて……ああもう……お一人にしなければよかった」


 確かに、傍にセリアがいたら意地でも泣かなかった。涙をこぼすことはあっても、号泣なんて絶対しない。

 おかげで今朝のわたしはハスキーボイスだ。

 何があったかなんてまるわかりね。


「朝食はこちらにお運びしますから、お二人の出発までに少しでも喉と目を休めてください。旦那様にはお風邪を召して声が出ないと伝えておきますから」

「ありがとう」

「ああ、だから声出さないでください。いいですね?」


 口を開きかけたら、セリアにすごい目で睨まれてしまった。

 おとなしくタオルを目に当てる。

 結局眠れなかったから、体を横にすると眠ってしまいそう。せめて二人を見送るまでは気力で起きていなくちゃ。

 ほどなく食事を乗せたワゴンを押しながらセリアが戻ってきた。

 喉を心配してくれたらしくて、スープと柔らかいパン、それからミルクと蜂蜜の入った紅茶という朝食をゆっくり味わう。


「お食事が終わりましたらこちらを羽織っておいてください」

「いいわよ、着替えるから普通のドレスを準備してくれる?」

「だめです! 風邪なのですから、おとなしく寝ていていただかないと」

「でも……」

「ああもう、しゃべらないでくださいっ。いつまでたっても喉が治りませんよっ」


 ぷん、と頬を膨らませてセリアはベッドの足元にガウンを置く。


「下の様子を見てまいりますけれど、勝手にベッドから出てドレス着たりしないでくださいねっ!」


 ものすごい顔で睨みながらセリアは出て行った。

 こんな顔をするセリアは久しぶりだ。王宮にいた時には体調もよくて臥せることはほとんどなかったけれど、王宮に入ってすぐの頃は、環境の変化のせいかよく風邪を引いて寝込んでいた。あれ以来かしら。

 食事を終えて、膝の上に置かれた盆を下ろそうとしたところで、扉の外が騒がしくなった。

 何かあったのかしら。そろそろ食事は終わった頃よね?


「……ダメですっ! セレシュ様!」


 はっきりと聞こえたのはセリアの声だった。

 驚いてそちらに顔を向けた時、寝室の扉が引き開けられた。


「姉様っ! 大丈夫っ?」

「えっ」


 目に飛び込んできたのは銀の髪。紫色の瞳と視線がぶつかる。

 その後ろに赤毛が見えた。セリアの頭だ。


「姉様が風邪だって聞いて」

「だからって勝手に女性の寝室に押し入るなんて、非常識ですっ!」


 セリアの声が響く。本当はセレシュを部屋から引っ張り出したいのだろうけれど、お忍びとはいえ王子の体に勝手に障るのは憚られる。

 カレルがいれば対処してくれるだろうけれど、残念なことにカレルの姿は見えない。

 そうこうしている間にセレシュは部屋の中へ足を踏み入れて、ベッドの傍までやってきた。

 膝の上に乗る盆に気が付いて、さっさと取り除けてくれたのはありがたいけれど、ベッド傍に椅子を引き寄せて座るのはちょっと……。

 それに、まだガウンを着ていないことに気が付いた。

 昨夜、ドレスのまま寝入ってしまって、セリアに寝間着に着替えさせられた。今のわたしは寝間着しか身に着けていない。

 こんな格好で至近距離にセレシュがいるなんて、ありえないのに。

 ちらりと視線をセリアに向けると、真っ赤な顔をしながら扉を開け放したまま、どこかに走って行った。カレルを呼んできて欲しいと願ったのだけれど、通じたかしら。

 とにかく、慌てて毛布を引き上げ、体を横たえる。顏以外をすっぽり隠してようやくセレシュの方を見上げると、眉間にしわを寄せていた。


「姉様の風邪が治るまで、帰るの延期しようかな……」

「だめっ」


 慌てて口にしたものの、かすれた声しか出ない。


「ああ、喋らないで。こんな様子の姉様を置いて帰るなんてできないよ。目も真っ赤だし、熱もあるんでしょう?」


 これは風邪じゃないし、泣き寝入りしただけだし、タオルも額じゃなくて目に当ててたものだし。

 それなのに、こんなに心配させて、帰らないと言わせてしまって。……ホストファミリーとしてどうなのよ。

 体は辛くないのよ。多少頭痛がするだけだし、ちゃんと見送りに出られるから。


「医者は? 呼んでないの?」


 ベルエニー領には産婆と薬師はいるものの、常駐の医者はいない。近隣の領地を巡回する医者はいるけれど、残念ながら今はベルエニー領にはいない。


「この程度なら薬で大丈夫だから。それより、もう出るのでしょう? 見送りに行くから」

「だめだってば。姉様が治るまでは――っ痛い痛い痛いっ!」


 悲鳴を上げたセレシュの後ろに旅装のカレルが立っていた。ひとくくりにされた銀髪をぐいぐいと引っ張っている。


「抜けたらどうするんだよっ」

「……勝手に姉さんの部屋に入った不審者をつまみ出しにきただけだ」

「不審者って……痛い痛いっ」


 結局痛みに負けて立たされたセレシュは涙目になりながらカレルをにらみ上げた。


「ほんと、お前って容赦ないよな」

「主を諫めるのも護衛騎士の役目、なんだろ」


 そのまま戸口まで引っ張り出してから、カレルはちらりとわたしの方を見た。


「下で待ってるから」

「ええ」


 俺は残るんだぁ、という悲鳴が響き渡る中、セリアが入って来て扉を閉じた。

 ため息を一つついて、ようやくわたしは体を起こしてベッドから出た。


「申し訳ありません、お嬢様。押し切られてしまって……」

「いいのよ。カレルを呼んでくれてありがとう。助かったわ」


 室内履きに足を通して、ガウンを羽織る。前をきっちり合わせて紐で留めると、セリアがその上からショールをかけてくれた。

 玄関ホールまで降りていくと、父上と母上が立っていた。


「おはよう、ユーマ。もう大丈夫なのか?」

「ユーマ、まだ顔が赤いわよ。寝ていなくてよかったの? ああ、声は出さなくていいわよ」


 わたしは喉元を押さえながら、会釈をする。

 ホールを抜けて外に出ると、リリーがすでにいた。頭を下げる彼女に会釈を返し、馬車の前にたたずむ二人の弟に向き直った。


「姉様!」


 ぱっとカレルから離れて駆けてこようとしたセレシュに、わたしは微笑みを浮かべる。

 両親そっちのけでわたしの前に来たセレシュはがしっとわたしの手を掴んだ。


「まだ熱あるんじゃない? 手が熱いよ。やっぱり帰るの延期して――」

「そんな暇あるか」


 カレルがセレシュの銀のしっぽを引っ張った。


「痛っ、そんなことないだろっ、まだ十日以上ある……」

「もともと日程的にもギリギリだってのに、馬車一台のつもりがこんな大所帯になって、十日で帰れるわけないだろうが」


 着任日は決まっている。その日までに王城に戻れなければ、何らかの罰則があるのだろう。もしかしたら仕事そのものがなくなるのかもしれない。


「大丈夫だって」

「そんなわけあるか。それにお前だって王国騎士団の入団日に間に合わなきゃまずいんだろう? あそこは王子だからって容赦してくれないって、兄上から聞いたぞ」

「え、そうなの?」

「初日から遅刻とか、最悪だろうな」

「……分かった、帰る」


 しぶしぶながらわたしの手を解放して、セレシュはじっとわたしを見つめた。


「姉様、しばしのお別れです。でも、すぐにまた戻ってきますからっ」


 王都から遠く離れたこの地では叶わない約束なのは分かっているけれど、その思いはうれしかった。

 にっこりと微笑み、小さくうなずく。

 それからはあっという間だった。

 セレシュとカレルはそれぞれ父上と母上に別れの挨拶をして、馬車へと乗り込んでいった。

 リリーは馬車に乗り込む直前のカレルに何かを託したようだった。白い筒状に見えたそれをカレルは鞄にしまい込む。

 騎馬兵の後ろに数台の荷馬車が続き、二人の乗った馬車が動き出す。小さな窓からこちらに手を振るセレシュに手を振り返す。護衛と荷馬車が交互に続いて玄関前を通り過ぎる頃には、二人の馬車は小さくなっていた。

 そのまま、一行が門を抜けるところまで見送ると、室内に戻る。

 温かくなってきたとはいえ朝の空気は冷たかったようで、寝間着の上にガウンを羽織っただけのわたしはすっかり冷え切ってしまっていた。

 そのままセリアに連れられて部屋に戻り、ベッドに押し込まれるとあったかい布団の誘惑に負けて、あっという間に眠り込んでしまった。

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