59.子爵令嬢は王太子からの手紙を受け取る
ふらふらと部屋に戻り、ソファに座ってセリアが紅茶を入れて退出していくのを見送り、ようやくわたしは肩の力を抜いた。
いまだに右手でがっしりと掴んで胸に抱いたままの封筒を、膝の上に降ろす。
――怖い。
まさか、一月以上も経った今になって、王太子殿下から手紙が届くなんて。
しかも、あの目録。――全部見たわけじゃないけれど、きっとわたしが城に置いてきた品々の一覧。
リリーは『忘れ物』と言っていた。
そんなつもりじゃないことは、ちゃんと置手紙にしたためておいた。
あれは――わたしが受け取ってはならないものなのに。
――どうして?
蓋をしたはずの感情があふれそうになって、あわててわたしは頭を振った。
とにかく落ち着こう。
封筒を一旦テーブルに置き、ティーカップを取り上げる。
寝る前だからと気を聞かせてくれたのだろう、ミルクと砂糖が加えられていて、温かさが身に染みる。
このまま忘れて眠ってしまいたい。封を開けるのも怖い。
でも……そういうわけにはいかないのもわかっているの。
――王太子殿下からの手紙に返事を書かないなんてこと、できるはずがないから。
ミルクティーを飲み干し、嫌々ながら封筒に視線をやる。手に取って、裏返す。封を開ける手が震えるのを自覚する。
ようやく引き出した便箋は三枚あった。王太子からの手紙はいつも簡潔で短くまとめられていたけれど、今回は違うみたい。
恐る恐る開くと、一枚目は「ユーマへ」と書かれた以外、白紙だった。二枚目をめくると、見慣れたあの方の手に間違いなかった。びっしりと文字が書き連ねられている。
一度目を閉じ、便箋を胸に抱いて深呼吸する。
どちらにせよ、これですべての縁が切れる。
あの方からの最後の手紙。何が書かれていても、最後だから。
ゆっくり目を開くと、手紙を読み始めた。
◇◇◇◇
ユーマへ
置手紙、読んだ。気が付くのが遅くなってすまない。
そなたの忘れ物、無事に届いただろうか。
あれらはすべて、『王太子』が『王太子妃になる者』へ贈った物ではない。
私が個人的にユーマへ贈った物だ。
そなたの私物という扱いになるゆえ、城に留め置くことはできぬ。
ゆえに、忘れ物をベルエニー領まで運んでもらった。
目録の通り、一つたりとも失ってはおらぬはずだ。きちんと確認をしてほしい。
もし、そなたが覚えていてそこにないものがあれば、途中で不届き物が抜き取ったに違いない。
必ず犯人を見つけて処罰するゆえ、品々の確認は怠らぬように頼む。
もしも不要であれば、処分してくれてかまわない。
送り返してきたら、再びそちらに送るだけだ。手間をかけさせないでくれ。
それから、同じ便で父上と母上から子爵宛ての賠償の品々を贈る。
そちらは子爵がよろしくしてくださるだろう。
別便でフェリスが何かを贈ると言っていた。
何を贈るのかは知らないが、早晩そちらに届くだろう。よければ受け取ってやってくれ。
なお、私からユーマへの賠償は別途させてもらう。
そちらも受け取り拒否・返却はせぬように。
追伸。
――すまなかった。
ミゲール
◇◇◇◇
追伸だけ、三枚目の便箋に書かれていた。
二枚目をめくってそれが見えた時、喉の奥でつっかえていた声が漏れた。
二枚目はぎっしり書かれているものの、相変わらず簡潔だなと思って読み進めていた。
事務的で淡々とした文。
文章の端々に不穏な空気を感じはしたものの、そこに感情的なものは何もなくて。
気負っていたのが馬鹿らしくなるほどの事務口調な文体にほっと安心していた。
あの方は予想していた通り、やはりあっさりと手を放すのだな、と口元を緩めさえした。
だから、三枚目の一言にすべてを浚われた。
脳裏に、いつもの不機嫌そうな顔をしたあの方が浮かんだ。不機嫌そうな表情のまま、ぷいと背を向けて置き去りにされる。……ああそうだ、されたのだ。
それが当たり前だと、ありえないことなのだとずっと自分に言い聞かせてきた。
いつかはこうなると分かっていた。
分かっていたのに……わかっていなかった。いつの間にかすっかり心を奪われていた。
唯一つながっていた糸が切れて、一人だけ闇の中に取り残される。
去っていくあの方を見たくなかった。
ぐらりと視界が歪んだ。ソファからふらりと立ち上がり、ベッドにうつぶせになる。手には便箋を握り締めたままだと気が付いて、枕元に置いた。
――言葉は、なかった。
プロポーズされた時も、それからも、一度もなかった。
あの方が王宮の各派閥のトップである高位貴族四家のうち三家の令嬢を王太子妃候補と定めていたことはずいぶんあとになって知った。
財務大臣を務めるウェルシュ伯爵、外務大臣を務めるアーカント侯爵、将軍職にあるチェイニー公爵。
それぞれの派閥の勢力争いを三人の令嬢は担っていた。
わたしを選んだのは、どの派閥にも属さないからに他ならなかったのだと。
あの時点で、最も適した存在だったというだけのこと。王太子が力をつけて他の貴族を抑え込めるようになるか、どの派閥と手を組むかを決めるまでの、仮初の婚約者だっただけのこと。
仮初の存在はもういらなくなった。
ただそれだけのこと。
声を上げて泣くようなことじゃないの。……そう自分に言い聞かせても、止まらない。声を押し殺そうとしても無駄だった。




