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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第一章 子爵令嬢は婚約破棄される

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5.第二王子は嘆息する

 にこやかな笑顔で場に降りて行ったフェリスが早速ダンスの申し込みを受けている。こういう外面は実に良い妹だ。心配などはしていないが、と妹を眺めていると、肩を叩かれた。斜め後ろに座る王妃ははうえだ。


「俺はパスですよ。もう足が動かない」

「……出立は明日の早朝のようね」


 レオが怪訝な顔をして振り向くと、扇で口元を隠したままの王妃は視線をホールに向けていた。王妃がなぜそれを知っているのかは分からないが、情報はありがたい。


「わかりました。ありがとうございます」


 うなずいて、レオも踊るフェリスに視線を向けた。

 やはりユーマは急いで自領に戻るつもりなのだ。読みは正しかったか、とレオはほんの少しだけ目を細めた。

 六年前の春の宴に出席してから、ユーマは一度も王宮を離れたことがない。王都のベルエニー家の館にすら、戻っていなかった。六年を棒に振った彼女が求める安息の地は、王都にはないのだ。

 考えてみれば当たり前のことだ。

 公務以外で城を出ることのなかった彼女にとって、城の中は常に緊張する場所で、安らげる場所など、どこにもなかったのだ。

 それを強いたのは――王族おれたちなのだ。


「レオ」

「はい」

「引き留めてはなりませんよ」

「……わかっています。見送るだけです」


 嘆息して、踊る妹を見つめる。

 きっとフェリスは泣き落としにかかるだろう。この六年、本当に仲睦まじい姉妹っぷりだった。

 だが、彼女にとって、レオとフェリスは王族であり、婚約破棄をした側の人間だ。ふるまいに気を付けなければ、あのバカの二の舞になってしまうことを、フェリスはきちんと認識できていない。


「母上。……兄上は」

「部屋に閉じこもっています。――自業自得ですから、助けてやる必要はありません」

「相変わらずきついですね」

「この程度、てぬるいぐらいです」


 王妃が本気で怒っているのを感じて、レオは苦笑を浮かべる。

 兄が昔から彼女に惚れ込んでいるのは知っている。デビュタントの日、他の男にさらわれないようにとプロポーズしたことも、月に一度のお茶会で会話が弾まないと落ち込んでいたことも、よく知っている。

 ここ二年はひどく思い悩んでいたことも知っている。不器用で言葉も足りなくて態度でも示せなくて、本当にこの人は氷の王子と呼ばれた人と同一人物なのかと疑いたくなる。

 だから、よく思い切れたものだと感心したのだが。


「しばらくは様子を見ます」

「そうね。お前にはいらぬ負担をかけることになると思います」

「いいですよ。――俺も彼女はもう家族の一員みたいなものだと思ってましたし」

「そうなのよね。……長すぎたのかしら」


 ふぅ、と王妃がため息をつき、扇を閉じた。話は終わりだということだろう。


 ――長すぎた、か。


 彼女の成人を機に正式に婚約してから二年。長すぎると言われても仕方がないだろう。一般的な婚約期間は一年半。結婚式の準備という言葉を聞くようにはなったものの、実際的な動きはなかった。

 さっさと結婚すればいいのに、と何度思ったかしれない。兄貴と結婚してしまえば――してくれれば、この思いは断ち切れるのに、と。


 彼女と初めて会ったのは、全寮制の学校の休みで戻ってきた時だった。その時にはすでに、兄の婚約者候補だった。

 彼女はまだ未成年で、正式な婚約は成人を待ってということだった。王宮にはほかにも三名の王太子妃候補者がいて、王妃教育を受けていたはずだ。

 その三人を飛び越えて、兄がデビュタントの時に直接プロポーズしたのだと聞いて仰天したのは覚えている。

 学校を卒業するまでは、休みにたまにすれ違う程度で、積極的に会話を交わした覚えはあまりない。

 だが、初めて会った時のはかなげに微笑む彼女の顔はずっと頭から離れなかった。

 それが初恋だったのだと気が付いたのは、学校を卒業して、城に戻って来てからだった。

 中庭で開かれる茶会や、王家主催の夜会で会う時には必ず兄がエスコートしていた。常に横にいられる兄に嫉妬していると気が付いた時には、もう落ちていた。

 だが、彼女の目が兄から離れることは一度もなく、自分の出番などありはしないのだということも早々に思い知らされた。

 自分の恋心は、彼女にも兄にも誰にも知られないよう、深く深く心の奥に封印して、家族としての顔で常に彼女とは向き合ってきたのだ。

 それを、抑えきれなくなったのはいつだったろうか。

 兄の様子がおかしくなり、よそよそしい態度を取るようになったのは。

 彼女の完璧な笑みが、時折寂しげにゆがむのを目にするようになったのは。

 一度実家に戻すべきだと兄や王妃に進言したこともあった。このままでは、彼女が壊れるのではないかとも言った。

 だが、その提案を彼女自身が却下した。戻っている暇はないのだ、と。

 レオは顔をゆがめた。

 あの時、無理やりにでも自領に帰らせるべきだったのだ。

 安らげる場所のない王宮に居続けた彼女は、どんどん心を削られていったのだろう。

 もしあの時そうしていれば、こんなことにはならなかったのではないか。

 そう思えて胸が痛くなる。


「レオ兄様?」


 肩をゆすぶられて我に返ると、すぐ横に妹が来ていた。


「フェリス。どうかしたか?」

「どうかしたのはレオ兄様でしょう? 胸を掴むようにして顔をゆがめているから、皆心配しているのよ?」


 言われて顔を上げると、確かにホールの方が騒がしい。自分に向けられている視線も多く感じる。

 毅然と麗しの王子を演じ続けているべきだったのに、場所をわきまえずに思索にふけってしまった挙句、皆に心配をかけてしまったのだ。

 これではフェリスを怒れないな、とレオは苦笑を浮かべると、いつものとろけるような笑みを浮かべた。


「すまない。少し考え事をしていたのだ。もうダンスはおしまいかい?」

「ええ、十分顔を売ってきたわ。もうすぐラストダンスだけど、レオ兄様がつらいようならやめておくわ」


 ちらりと後ろの王妃を見ると、眉根を寄せて扇で口元を隠している。怒っているのは見て取れた。

 レオは立ち上がると、妹の手を取った。


「あと一回ぐらいなら踊れる。挽回しておかないとね」

「わかったわ。でも本当につらいなら途中でやめてね?」

「大丈夫だ」


 ホールへ降りると、曲が変わった。

 今はまだ春の宴の最中だ。兄やユーマのことを考えるのは、終わってからでいい。

 そう自分に言い聞かせて、レオは今日一番の最高の笑みを浮かべてステップを踏み出した。

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