57.子爵令嬢は第三王子とお別れのお茶会をする
ベルモントが報告に来た時、わたしはカレルとセレシュとともに、中庭でお茶をしているところだった。
本当はリリーも呼びたかったのだけれど、国王陛下の名代だからといって侍女であることには変わりない、と固辞されてしまった。
彼女だってれっきとした貴族の令嬢だというのに。
セリアにおもてなしをお願いしておいたから、今頃は彼女の客室でお茶会をしているはず。
「旦那様と奥方様がお戻りになりました」
ベルモントはカレルとセレシュに礼をすると、背筋を伸ばしてそう告げた。
いつもならもっと早くに連絡をもらって、二人を玄関まで迎えに出るところだけれど、今日だけは遠慮してもらった。だって、二人とお茶会ができるのは今日が最後だから。
「そう、よかった。早かったわね」
「はい。予定通り晩餐の準備を始めております」
「父上に報告は?」
「迎えの件は私から報告しておきました」
「ありがとう。春の館の方はどう?」
「皆様それぞれ部屋に落ち着かれました。食事はあちらで摂られるそうです」
「分かったわ。十分に休んでもらって」
「かしこまりました」
ベルモントが下がると、セレシュがため息を漏らした。
「どうかした? セレシュ」
「ああ、なんかさ……王宮にいた時のユーマ姉様みたいだなって、ちょっと見惚れてた……ごめん」
少し顔を赤らめてそう告げた後、セレシュは頭を下げた。
それは、わたしの表情が硬くなったせいだろう。でも、王宮にいた時のわたしって……どんな感じだったのかしら。
「そう……それってどんな感じ?」
「え?」
頭を上げたセレシュは目を丸くしてわたしを見つめ……視線をそらした。やっぱり頬は赤いまま。
「あ、うん……えっと、凛々しい感じ?」
「凛々しい」
「そう、凛々しい。背筋がピンと伸びてて、声にも張りがあるし、まっすぐな感じ。……ああ、そう、母上を見てる気がした」
「……王妃陛下?」
今度はわたしが目を丸くする。セレシュは照れたような笑みを浮かべてわたしを見た。
「姉様知ってる? 王家の中で一番強いのって母上なんだよ」
「……ええっ?」
わたしの知っている王妃様は、いつも優しい微笑みを絶やさず、心配りの上手な芯の強い女性だ。国王の横に並んでも怯むことなく、顔をまっすぐ上げて凛とした立ち姿がとても印象的だった。
「強いっていうよりは怖い、かな。母上を怒らせたら父上でさえ縮み上がるんだよね」
「怖い……」
「いつも朗らかに笑う母上が笑みを消してまっすぐ僕らの方を見るんだ。どれだけ怖いと思う? そうでなくとも目が笑ってないだけで恐怖感じるっていうのに」
ああ、それは分かる。
わたしに対する嫌がらせの話をする時、そんな目をしていた。笑っているのに笑っていない。笑顔自体は素敵なのに、醸し出す雰囲気が冷たいのよね。
わたし自身はそんな目で見られたことはないけれど、きっと心臓を掴まれたみたいに動けなくなってしまうに違いない。
「だから、母上には誰も逆らえないんだよね」
そういいながら、セレシュは最高の微笑みを見せる。怖いと言いながら、セレシュは王妃陛下をちゃんと慕っているのよね。
王家一家は本当に仲がいい。もちろん、わたしの見えないところではどういったやり取りがされているのかは知らないけれど、親が子を、子が親を、兄が弟妹を、弟妹が兄を大切に思っていて、お互いにお互いを尊重しているのをわたしは知っている。
素敵な家族だ。いずれはそんな家庭を――。
胸が痛んだ。きゅっとこぶしを握り、微笑みを浮かべる。
「わたしは王妃陛下ほど強くないわ」
「そう? ユーマ姉様は母上に似てると思うよ」
「買いかぶりよ」
セレシュの言葉にわたしは苦笑を浮かべる。
王妃様によく似ているのも無理はない。だって、わたしは王妃様をお手本にしていたのだもの。
王妃たるもの、常に冷静でなければならない。……何があっても焦ることなく、焦りを見せてはならない。
耳に胼胝ができるぐらい聞き飽きた言葉。
「あー……帰りたくない」
深々とため息をついて、セレシュがつぶやく。
「だめよ、みんなセレシュの戻りを待ってるんでしょ?」
「そりゃそうだけどさぁ、ユーマ姉様がいないんだもの……」
「……ごめんなさい」
その言葉に、わたしは眉尻を下げ、うつむいた。謝る以外にどんな言葉をかけるべきか、わからない。
セレシュが息を呑んだのが伝わってきたけれど、紡がれる言葉はなかった。
「いつでも遊びに来ればいいだろう?」
気まずい沈黙が流れかけた時、カレルがいつもの口調でこともなげに言い放った。
「あ、あのなあ、王都からここまでどんだけかかると思ってるんだよっ」
「馬なら五日。馬車なら倍」
「馬ならって……そりゃできなくはないけど」
「姉さんは兄上と一緒に馬で戻られたんだ。できなくはない」
確かにそうだけど、結構な強行軍だったわよ? 王子がお忍びで動くにしても、護衛がゼロは無理でしょうに。
「そりゃそうだけど、王都に戻ったら騎士団の新兵なんだよ? そうそう休めるわけないじゃないかっ」
「当たり前だ」
「お前だって一緒なんだからなっ」
兄上もそうだけど、専属護衛騎士は騎士団に所属しない。ただし、護衛対象が騎士団に所属した場合は、その従卒扱いになるのだそうだ。ただし、訓練への参加は基本的に護衛対象と一緒であれば受けられる。
兄上の場合、王太子は騎士団に所属しなかったからそのまま王太子付きの護衛騎士になった。訓練自体は近衛騎士団で行っているそうだけれど、カレルは違う。
「そうだ、姉様。夏になったら南の別荘に行きませんか?」
「別荘?」
セレシュの言葉にわたしは首を傾げた。
王都を南に下ると、湖に面した町に出る。そこに王族の別荘があって、避暑に行くのよね。湖で泳いだりもできる。
それ以外にも、王都からベルエニー領を目指して登ってくる途中の高台に別荘があって、こちらも結構涼しくて、避暑に使われたりしていた。
そこのことだろうか。
でも、今のわたしは王族とは縁の切れた存在だ。招待されたとしても、行くわけにはいかない。――とりわけ、社交シーズンである夏の間は。
わたしは首を横に振った。
「無理よ。十月には収穫祭があるし、そのための準備は夏から始めなければならないの。それに……」
――あの方に会いたくない。
それは口に出してはならない言葉。
眉根を寄せて視線を外すと、セレシュは首の後ろで両腕を組み、天井を向いてため息をついた。
「やっぱりだめかぁ……。じゃあ、何とかして遊びに来る。それはかまわない?」
「ええ。もちろんよ」
微笑みを浮かべたところでノックの音が響き、ベルモントが晩餐の用意ができたと告げた。




