54.第三王子は城での子爵令嬢を語る(4/16)
花ほころぶ庭に笑い声が響く。
同席しているのは、子爵夫妻とカレル、ダン・グレゴリ隊長、ユーマ姉様だ。
「へえ、姉様ってガキ大将だったんですねえ」
セレシュはテーブルの向かいに座る人たちにくすくす笑った。ユーマ姉様は顔を真っ赤にしながらそっぽを向いている。こんな顔をするユーマ姉様を見るのは初めてで、セレシュはなおさら嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「そうなのよ、町の子供たちといつも遊んでたわ。子供たちもみんなユーマの後ろにくっついてねえ」
「お、お母様、もうやめてくださいっ」
「そうなんだ。カレルも一緒に遊んだりしたのか?」
隣に座るカレルの方を見ると、憮然とした顔で首を横に振った。
「カレルは四歳も年下だから、遊ぶまではいかなかったわね。なにしろユーマは足が速かったし」
「……遊んだ覚えはないな」
「むしろ、カレルの世話をよく見てくれて助かったわ。小さなころのカレルはかわいくてね、ユーマの後ろを姉様姉様とくっついて歩いて、それはもうかわいくて……」
子爵夫人がころころと笑う。カレルは荒々しく手に持っていたカップをテーブルに戻すと、腰を浮かした。すかさず腕をつかんで椅子に引き戻す。
「なんだよ、逃げるのか?」
「……用事を思い出しただけだ」
「恥ずかしいのか?」
にやにやと笑うとカレルはぷいと顔を背けた。
「ほう、お前もそんな顔ができるんじゃな」
そういって笑うのは、今日は黒い騎士の正装に身を包んだダン・グレゴリ隊長だ。肩の家紋はロイズグリン家のものだとわかる。
将軍用の正装とは違う。今の隊長は将軍ではないから着ないのだろう。
昔の肖像画が確か軍務の施設にあったはずだ。王都に戻ったらじっくり見に行こう。
「それに、早いうちから砦の訓練場に通うようになったのよね。うちの訓練場で十分だって言ったんだけどねえ」
「ああ、あれはフィグにくっついてきてからだったな。最初は剣を持ち上げるので精一杯じゃったろうに」
「六歳ぐらいだったかしらね。ちょっと早いと思ったんだけど」
ダン・グレゴリの言葉に子爵夫人がうなずく。
「カレルもそれぐらいだったかしら。ユーマにくっついていったのが最初よね?」
「……覚えてない」
カレルは自分の覚えてない過去話に居心地が悪いらしく、憮然としたまま椅子に体を預けている。カップを取り上げて空っぽなのに気が付いて、ユーマ姉様が腰を上げた。
「お茶をもらってくるわね」
ティーポットの載ったワゴンを押しながら館の方に戻っていく。その背中を見送って、子爵夫人はセレシュの方に向き直った。
先ほどまでころころと笑っていたとは思えないほど真摯な表情で、セレシュは居住まいを正した。
「殿下にお願いがありますの」
「ええ、なんでしょう」
「……王宮でのあの子のことを、聞かせていただけませんか?」
はっと息をのむ。視線を動かすと、子爵本人も眉尻を下げている。
「あの子が戻ってくるまででいいですから……」
セレシュは紫の瞳を伏せてうなずいた。
「僕が話せるのは、初めて会った時から寮に入るまでの姉様ですけど、いいですか?」
「ええ、もちろんです」
目を開けると、向かいに座る三人に視線を走らせる。ダン・グレゴリ隊長は視線が合うと楽しそうにうなずいた。
「僕が初めて会ったのは、十歳の時でした――」
◇◇◇◇
その頃、ば――兄上には三人の妃候補がすでにいて、彼女と引き合わされた時はてっきりレオ兄の妃候補だと思ってた。年齢も僕より四つ上で、レオ兄と同い年だったしね。
紹介されて照れたように微笑む彼女を、ちょっとしたことでとても朗らかに笑う彼女を素敵な人だなぁ、と思った。
僕の周りにあんなふうに笑う人なんていなかったから、とても印象的だった。
妹のフェリスでさえ、生意気にも母上に似た笑い顔をするようになっていたからなおさらだ。
僕はまだ幼かったから、勉強の合間によく脱走しては中庭に逃げ込んでいた。
中庭では高確率で母上がお茶会をしていて、茶菓子を目当てに乱入したりもした。
彼女が王宮に来てからは、お茶会で見かけることが増えた。
客がいるときの彼女は笑顔が固い。まるで母上が二人いるみたいに。
印象的だったのは、十一歳の誕生日。
大人になると大々的に宴を開くけれど年若い僕らは誕生日といっても家族だけで祝う。
もちろんそこには王太子妃候補の四人もいて、それぞれに祝いをいただいた。
高位貴族である三人はどれも高価な品だったのを覚えている。
でも彼女は、手編みのマフラーだった。
ベルエニー領で紡がれた羊毛の毛糸を使った、手編みのマフラー。
兄上は、自分より先に僕が彼女の手編みの品をもらったので機嫌悪かったけど、最高のプレゼントだと思った。――貧相だのなんだのと言ってる奴がいたし、なんかそのことで後でずいぶん謝られたけど、間違いなく最高だった。
今でも大切に使ってる。
それから――焼き菓子。
これは僕がもらったものじゃないけど、兄上のティータイムに添えられる焼き菓子は、いつしか彼女が手ずから焼いたものになっていた。
気が付いたのはレオ兄様だったな。
それを聞いてから、兄上のティータイムを狙って執務室を訪れるようにした。
時には三人で奪い合いもしたし。
王太子妃候補はみんな平等に扱うことになっていて、全員がそろうときだけ、王太子妃候補も一緒に食事をとることになっていた。残り三人もついてきて、いろいろ面倒だったけど。
そうそう、中庭の花壇をもらって花を栽培してたっけ。
公務で母上が孤児院や救貧院を慰問するんだけど、その時に鉢に植え替えて持って行ってもらってたのを覚えてる。どうして鉢植えのままあげるんだって聞いたら、その方が長く花が楽しめるから、と言っていた。
あとは……彼女が成人する前に僕らは寮に入ったから、それ以降のことはあまり知らない。
騎士養成学校に入る前に、お守りにと王家の紋章の入ったハンカチをもらったっけ。今も大事に取ってある。母上やフェリスからももらった。どれも宝物だ。
僕がもらっているのを見て、レオ兄様がうらやましそうにしてたのは知ってる。あの後作ってもらったのかどうかは知らないけど。
だから、僕は姉様が馬を颯爽と乗りこなし、剣を振るうことのできる人だなんて、ちっとも知らなかった。本当にね。
◇◇◇◇
「お待たせしました。……あら、どうなさったの?」
ワゴンに新しいティーポットと、追加の焼き菓子を乗せて戻ってきたユーマ姉様は、涙ぐんでいる子爵夫人と、涙を堪えようとして顔をこわばらせている子爵に首をひねった。
隊長は――一度だけ目じりを拭った。カレルも神妙な顔をしてうつむいている。
「いや、ちょっと姉様の話をね?」
「あ、あらいやだっ、わたしがいない間に変なこと話したんでしょう」
ぷん、と頬を膨らませて、姉さまは空になったカップを引き去り、新しいカップに紅茶を入れて配ってくれる。
「別に変な話はしてないよ。姉様が馬を乗りこなせたり、剣を振るえたりするのにびっくりしたって話をしてたんだよ」
にっこりと微笑むと、姉さまは真っ赤な顔でセレシュをにらんだ。
「も、もうわたしの話は終わりっ。今度は二人の寮での話をたっぷり聞かせてよっ」
「おう、それがいいな。最近は卒業生の質が落ちたっていうし、一度文句を言いに行きたいと思ってるんだけどな。とりあえずお前たちがちゃんと真面目にやってたかチェックしないとな」
矛先を変えようと話題を振ると、隊長が身を乗り出してきた。にやにや笑いながらセレシュとカレルを見る隊長は、どうやら本気らしい。
カレルと顔を見合わせて、セレシュはため息をついた。
卒業祝いと言いながら、祝いなのか何なのかわからないお茶会は、結局日が傾いて寒くなるまで続けられた。




