52.第三王子は砦に泊まる
セレシュは小さく区切られた部屋の真ん中に立っていた。
床も壁も天井も石が剥き出しで、日が落ちたせいか足元から冷えを感じる。
窓は小さく上の方にあるが、木で塞がれている。天井近くに魔石ランプが置いてあるが、薄暗い。この様子だと朝になっても外から光が入らないから、魔石ランプをつけっぱなしになるんだろう。
そんな小さな部屋に、二段になった寝床が四つ運び込まれている。人が通り抜ける程度の隙間しか残っていない。
兵士用の八人部屋だ。
「今日はここで寝てくれ」
案内してくれた兵士は申し訳なさそうに頭を下げた。どうやら自分の身分は知らないらしい。カレルは領主の息子として知られているようだが、特別扱いはしないらしい。セレシュの隣で眉根を寄せている。
「明日は日の出とともに朝練だ。あんたたちは義務じゃないけどよかったら参加してくれ」
そう言い置いて、兵士は部屋を出ていく。扉が閉まると、セレシュはため息をついた。
「すごいな。聞きしに勝るとはこのことだよ」
「何に感心してるんだか」
この砦は領を守る壁の一部でもあって、壁の内側に兵士の居住空間がある。当然スペースは限られているから最小面積で効率よく人の配置がなされているわけなのだが。
「いや、こういうのにあこがれてたんだよ。少しだけ」
セレシュは嬉しそうに言うとカレルの方を向いた。
騎士養成学校でも、大部屋に複数の二段ベッドが運び込まれている部屋はある。たいていは平民用の部屋だ。
貴族の子息の場合、警備の都合から大人数の部屋で共同生活するのは無理だと主張して、個室を選ぶ。
セレシュの部屋は問答無用で個室のしかも王族専用の部屋だった。護衛のための部屋まで用意された最高級の部屋だと知ってセレシュはがっかりしたのだ。
護衛につく騎士たちから聞いていた寄宿舎のイメージとまるで違う。狭い部屋にベッドを押し込んで、消灯後にわいわい騒ぐのだと聞いていたのに。
だから、こんな部屋でもワクワクしているのだ。
一番手前の二段ベッドの下段にごろりと寝転がる。ほこりっぽい匂いがするペラペラのマットは背中が痛くなりそうだ。だが、それがいい。
晩御飯も兵士たちと一緒に食堂で食べた。
これも、お忍びだからできたことだ。身分を明かしてしまえば、きっと上等な客室に案内されて、一人だけぽつねんと高級な料理を食べることになっていたに違いない。
訓練で手合わせなどで顔見知りになった兵士たちとわいわいしゃべりながら食べるなんて、きっとできなかった。
寮でもそうだった。警備面の問題から、食事も基本自分の部屋で摂る。
食堂でわいわい言いながら食べるのはあこがれだったのに。
「夢が叶った」
「……よかったな」
カレルはしれっと棒読みで返す。いいじゃないか。志の低い夢でも、王族である僕らにとってはなかなか味わえないものなのだから。
「それにしても、将軍に会えるなんて本当にラッキーだったよ。カレル、連れてきてくれてありがとう」
「別に……王国騎士団の施設だし、北に視察に来ることなんかそうそうないだろうから、ちょうどいいと思っただけだ」
カレルのいう通りだ。この砦は、北の大国に対峙する要の場所でもある。ベルエニー領は、ここを守るために存在していると言っても過言ではない。
山に挟まれた狭い北門は、敵の進軍を阻む。攻められたとしても左右からの挟撃もしやすく、以前の南進の際も、地形とあの砦が敵を敗走させる大きな要因になったのは間違いない。
「お前、隊長のこと、知ってて黙ってたのか?」
「いや、フルネームを聞いたのはあれが初めてだった」
カレルがいう『あれ』とは、市の詰所でのことだ。
「グレゴリが家名だと思っていた」
「家名を言えばすぐ正体が分かったのに」
「だからだろうよ」
カレルの言葉にセレシュはうなずいた。
ダン・グレゴリは、自身のことを喧伝しないことを条件に、武勇伝を聞かせてくれたのだ。セレシュにフルネームで名乗ったのも、セレシュの身分を知っていたからだ。
知っていて、あえて知らんぷりをしてくれている。おかげで、王族だの王子だのと言われずに過ごせている。
兵士たちも、カレルの友達だからどこかの貴族の子弟だろう、ぐらいに思っているみたいだ。
その配慮はありがたかった。
「明日はどうする? 僕は話を聞きたいけど……」
「そろそろ出発の準備をしろよ。……というかさせろ」
王都からは迎えが来ると聞いている。もちろんカレルも一緒に乗って戻る。だが、荷物が乗るかどうかは微妙なところだ。
寮にあったカレルの荷物は先日馬車で届いたようだ。時間を見ては王都に持っていかない品をより分けて荷造りをしているらしい。お忍びの馬車で載らなければもう一台用立てる必要があるだろう。
セレシュ自身は最低限の服以外を持ってきていないから、その準備も要らない。
「それに、明後日は春の館で祝いの宴を開いてくれるらしい」
「祝いの宴?」
「ああ、卒業祝いだそうだ。まあ、内輪の宴になるだろうけど」
「……ユーマ姉様も出席するのか?」
「するだろうな」
「そうか……じゃあ、明日は早々に切り上げて帰らないとなっ」
セレシュは嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「宴って言っても王都で開くような晩餐会とは違うぞ。昼間だし庭先でやる予定だし、楽隊もいるわけじゃない」
「そっか、じゃあガーデンパーティの縮小版みたいなものか」
「そんな感じだろうな」
「楽隊がいればなあ……あ、ダンスとかはしないのか?」
するとカレルは眉根を寄せた。
「姉さんとダンスしても面白くない」
「ええっ! 面白いよっ。というか、学校卒業して王都に戻ったら、今度こそ夜会で姉様にダンスを申し込むつもりだったのに……」
セレシュは言葉を濁した。ユーマ姉様はきっと社交界にはもう出ない。王都にも来ないだろう。一緒に踊れる最後の機会かもしれないのだ。
「楽隊がいなきゃ踊れない。……今回は諦めろ」
「今回はって……もう二度とチャンスはないかもしれないじゃないかっ!」
思わず声を荒げると、カレルは肩をすくめた。
「また遊びに来ればいいだろう? まあ、往復の時間がかかるから、そうそう簡単には来れないけど」
また、と言われてセレシュは目を見開いた。
「……い、いいのか?」
「別に……ここに遊びに来るぐらい」
そう答えたカレルに、セレシュは明るい表情を見せた。
「そっか……今回だけじゃないよな。いつだって遊びに来ればいいわけだし、むしろ招いたっていいわけだし……王都がダメなら他の場所もあるし……」
晴れやかな顔のままぶつぶつと早口で独り言を言うセレシュにカレルが冷たい目を向けていたことは、最後まで気が付かなかった。




