49.第三王子は迷子になる(セレシュ視点)
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「……あれ」
一瞬だった。
ユーマ姉様が町に降りるというから、カレルと一緒についていった。
護衛はカレルと二人で十分だと思っていたのに、ユーマ姉様は三人の護衛をつけた。気に入らなかった。とりわけ最初に門で待ってた男。あいつ、ユーマ姉様が好きに違いない。
裏道をうねうね歩いてたどり着いた詰所には、あの北の砦の隊長、ダン・グレゴリがいた。
ユーマ姉様の母君が焼いたというクルミケーキ――ユーマ姉様の手作りでないのだけは残念だったけど――をお茶とともに振る舞われ、ついでにダン・グレゴリの武勇伝を聞いた。
家名を聞いて、『北砦の魔人』本人だとわかった。
なぜか僕がセレシュと名乗るとフルネームで挨拶された。そのおかげでわかったんだけど。
ダン・グレゴリ・ロイズグリン。
あの人の名前は、国の戦史書に出てくる。
かつて、隣国ファティスヴァールの南進の際、水際で食い止めた人だ。まさかそのまま、北の砦の守をしているとは思わなかった。
もちろん、書き残されているものは全部読んだ。でも、本人から話を聞ける機会ができるなんて思わなくて、つい舞い上がった。
僕はいずれ、軍を率いる立場になる。
ミゲール兄様は王太子、レオ兄様はミゲール兄様に何かあった場合に王太子となるべき存在。戦時に前線に出ている場合じゃない。
兄たちと同じだけのことができるように教育はされているけど、軍務により重きを置いている。
だから、ついつい話を聞き込んでしまった。先の戦を知る将軍の話だもの、聞かないはずがない。
とはいえ、今は市の警備本部に詰めておられるわけで、もう一つの詰所に行っていたあの護衛が戻ってきたところで僕らは引き上げることになった。
砦にまた来いと言われたのはうれしかった。もうじき王都に向けて出発する日が来るけど、それまでには訪れようと思っている。
……いや、こんなことを考えている場合じゃなかった。
市はものすごい人でごった返していて、目の前を行くユーマ姉様から一瞬でも目を離せばはぐれるだろう。
そう思っていたのに。
目の端に紫色のきれいな髪飾りが見えて、ユーマ姉様に似合いそうだと思って一瞬だけそちらを向いた。
その一瞬で、僕は姉様を見失った。
声を上げようと思ったけれど、店の売り子たちのがなり立てる声にかき消されるに違いない。
護衛の三人はと思って後ろを向いたけれど、人の波に押されて転びそうになる。
店を覗くどころじゃない。転んで倒れて踏みつけられでもしたら、どうなるか分からない。
とにかく人の波に逆らわないようにしながら、ユーマ姉様を探す。
短く切りそろえた銀の髪の毛なんて見間違えようがないはずなのに、背の高いカレルでさえ見つからない。
こんな時に備えて、待ち合わせの場所を決めてあった。一番いいのは、さっきの詰所まで行くことだけど、あれは町の入口側で、今来た方向に戻らなきゃならない。ここまで流されてきて、戻れるとは思えなかった。
館のある側には詰所はないから、広場の一番北側にある銅像の前が目印だったはずだ。
とにかくこの通りを抜けなければ。
人の波に乗って、広場の露店が密集しているあたりを抜けたところで、ぐいと腕を掴まれた。
振り向くと、カレルが不機嫌そうに眉根を寄せて僕の方を見ていた。
「カレル! よかったぁ、気が付いたらユーマ姉様がいなくて」
ほっと息をつくと、カレルは眉間のしわを深くした。
「あんな人混みで余所見するからだ。……待ち合わせ場所に行くぞ」
カレルに腕を掴まれたまま、北の銅像に向かう。
銅像は、どうやらかつての英雄を模したものらしかった。銘板はすっかり削れて読めないものの、剣と盾を持ち、馬に跨る少女のようだ。
待ち合わせ場所によく使われているらしくて、人待ち顏でたたずむ人が何人もいる。
「ここで待っていれば誰かが探しに来る」
「……あのさ、カレル。もう少し露店をゆっくり見たいんだけど……無理かな」
辺りに抜かりなく視線を向けるカレルにそう告げると、カレルが目を見張ったのがわかった。
「合流するのが先だ」
「合流した後でならいいのか?」
「……合流したら、次は古着屋巡りだ。露店を見てる時間はない」
僕は押し黙る。そういえば、ユーマ姉様は露店を見てなかったような気がする。
詰所に差し入れを頼まれただけで、広場の露店自体は目当てじゃなかったんだ。
ユーマ姉様と一緒に露店を見て回れる、と浮かれていた自分が恥ずかしくなる。そうだ、これは姉様にとっては公務なんだ。
でも……少しだけ。あの髪飾りをもう一度見たい。ユーマ姉様に似合うに違いない。
「……わかったよ」
僕がもう一度ねだろうと顔を上げる前に、カレルの声が耳に飛び込んできた。
驚いて顔を上げると、眉間のしわは若干薄くなっている。
「俺も少し用があるしな」
「いいのか?」
「ほっといたら勝手にいなくなりそうだからな。その代わり急ぐぞ」
「わかったっ」
銅像から離れて人の流れに乗る。
いろいろな店があった。店の前で立ち止まっているのは買う気があるか、買うかもしれない客。そのすぐ後ろを歩くようにして、品物を見ていく。
遠方の珍しい果物や豆類などの食料を売る店、毛皮を売る店。王都から来たのだろう、服飾の店も少ないながらあった。ドレスの布地を売り、仕立ては地元の店に布地を持ち込んで頼むのだろう。
防具や武具の店もあったが、あまり良い品はない。そもそも腕のいい鍛冶職人がこんなところに露店を並べるはずがない。いいところ、どこかの戦場から奪ってきたものだろう。所属を示す紋章のあたりが焼かれているのがその証拠だ。
そのついでに兵士の服が置いてあった。――王国騎士団の服。
思わず手を伸ばして掴むと、布地は間違いなく本物だ。ついているボタンや飾りもおかしいところはない。
「おや、お目が高いね。どうだい? 買っていかないか?」
「これは――どこで手に入れたものだ?」
思わず詰問口調になりながら顔を上げると、店主は褐色の肌をした黒髪の若い男だった。
「さあ、どこだったかな。確か旅人から買い取ったんだよ、古着を」
「何――」
「もらおう」
さらに質問を重ねようとした僕の言葉を、後ろにいたカレルが遮った。思わず振り返ると、カレルはまったく僕の方を見ずに店主に金を払った。
「まいどあり。これ着ると女の子にモテモテだよっ」
店主は嬉しそうに服を麻袋に収めるとカレルに渡す。
「それはありがたいな。他にもないかい? 同好の士がいてね。もし入手できるなら連絡してほしいんだが。ヒュージ村のグレン宛に」
「ああ、それはかまわないよ。うちは王都につてがあってね。手に入ったら連絡するよ。モランボのウダってんだ」
がしっと握手を交わし、カレルは店を離れる。
「残念だったな、坊ちゃん。さあさ、用がないならどいておくれ」
意地悪そうに店主に言われ、渋々僕は店の前を離れた。少し歩いたところでカレルが店の前に立っている。顔を上げると、奇しくもあの髪飾りの店だった。
「どういうことだよ」
「……領内ではこの手の服は回収命令が出てるんだ」
ごく小さな声で答えるカレルに、驚いて目を見張る。そういうことなら納得がいく。僕は小さくうなずいた。
「詳しくは帰ったら話す」
「わかった」
しかし、王都につてがと言っていた。もしそれが本当なら、どこかで横流ししてるやつがいることになる。
さっきの男から何らかの連絡が来たらわかるだろうか。
王都に戻ったら調べなければ。あんな……本物が市中に出回ってるなんて、ありえないはずなのに。
「ところで……ここでいいんだよな?」
はっと顔を上げると、カレルは口角をほんの少しだけ上げた。
「……お前が見てたの、ここだろう?」
はぐれた時に見ていた店。カレルはすぐ後ろにいたはずだから、気が付いてたんだ。
もしかして、だから露店を見るのも許可してくれたのか?
「う、うるさいなっ」
さっと目当ての品を掴むと、店主に硬貨とともに差し出した。紫色の水晶を使った細い銀の髪留め。
「はいよ、毎度あり。好い人にでもあげるのかい?」
「えっ、あの、そのっ」
人のよさそうな店主に言われてしどろもどろに返すと、店主は笑いながらかわいい色の袋に入れて渡してくれた。
「じゃあ、そのかわい子ちゃんによろしくな!」
大きな声で送られる。大きなお世話だっ。すぐ後ろにいるカレルの生ぬるい視線に耐えながら、僕はその場を後にした。




