4.第一王女は憤慨する
フィグが怒りに任せて友であるミゲール王太子をぶちのめしたと同じ頃。
春の宴が開かれている大広間の真ん中で、一組の男女が踊っていた。
本日がデビュタントの令嬢の最後を飾る、第一王女フェリスと王太子の代役を務める第二王子のレオである。
急遽代役となったため、レオは白い装束が間に合わず、白ければよいと騎士団の正装を身に着けている。白地に金の豪奢なそれは、奇しくも王太子が身に着けていた白地に銀のものよりも映えて見えた。
デビュタントの令嬢たちも、一時は王太子とのダンスができなくなったことで不平を漏らしていたものの、改めて現れた金髪のレオ王子に、頬を染めて見入っていた。
今も、フェリスとレオのダンスを囲む令嬢たちの口からため息や黄色い声が絶えず漏れ聞こえてくる。
だが、当の本人――フェリスとレオは、完璧な笑顔を貼り付けて一つのミスもなく踊りながら、にこやかにぶつぶつと不平を漏らしていた。互いにしか聞こえない声で。
「まったく、どういうことですの。あの愚兄は――」
「俺の方が聞きたいよ。出番はずっと先だからとのんびりしてたらいきなり引っ張り込まれて――」
レオはそういいながらちらりと周囲に視線を走らせる。国王も王妃も愚兄を連れて行ったまま、まだ戻ってこない。
デビュタントのダンスが終わり、妹の披露の際のエスコートを本来は父である国王がするはずだったのだ。だが、三人がいないことで、仕方なくフェリスはレオのエスコートで入場した。
何十人といる令嬢とのダンスのあとで、正直勘弁してほしい、と泣きついたものの、この場に王族は他にいない。
フェリスのデビュタントのあとで祝いの晩餐をするからと弟セレシュを学校から呼び戻そうとしたのだが、結局戻ってこれないと連絡が来たのが今朝。
他は叔父にあたるウルバヌス公爵が臨席してはいるものの、ご自身の末娘のデビュタントのために来られた叔父にこちらの不手際の後始末を押し付けるのも申し訳ない。
結局自分が出るしかないのか、とレオは深く深くため息をつき、諦めた。
「この後、デビュタントの令嬢たちへの挨拶が残ってるのに……親父殿はまだかよ」
「それ、後回しにはできません?」
「無理だろ。お前のデビュタントが終わった時点で親父からの祝福の言葉ってなってるんだから。……くっそ」
「言葉が悪いですわよ、レオ兄様。それにしても――愚兄にはほとほとあきれましたわ。終わったら締め上げて朝まで説教コースですわよ」
「その前に、ユーマを引き留めに行かないと」
優雅にステップを踏みながら、フェリスは兄を見あげた。視線を絡めてほんの少しだけ頬を染めると、レオも答えるように蕩ける笑みを浮かべる。ホールのあちこちから黄色い声が上がる。
「やっぱり、レオ兄様もそう思います?」
「ああ。だって六年だぞ? 生まれ育った町を離れて――」
「……そうですわよね」
フェリスは目を伏せた。
兄弟はと言えば兄ばかりの王宮で、フェリスはずっと『姉』が欲しかった。時には甘やかに、時には厳しく律してくれる姉が。
身近な女性と言えば母か侍女どまり。年の近い友達として幾人かの貴族の令嬢が話し相手として登城してきてはいた。だがそれはあくまで『友達』であって、『姉』では決してないのだ。
だが、ある日兄の婚約者だと引き合わされたユーマは、まだ幼かったものの、フェリスより六歳年上で、末の姫であるフェリスにやさしく接してくれた。あまつさえ『わたくし、妹が欲しかったんですの』とにっこり微笑んでくれたのだ。
すぐに『ユーマ姉様』と呼ぶ許可をもらい、以来ずっと姉様と慕って来た。
なのに。
「許せませんわ」
「ああ。……おい、笑顔が黒いぞ」
「あら、いやだ」
ふふふ、と笑い直してフェリスは顔を上げる。
「姉様を奪わせたりはしませんことよ」
「……まあ、手荒なことはするなよ?」
あれでも一応兄だし、とレオが苦笑を浮かべると、フェリスはにっこりと微笑んだ。
「腑抜けな愚兄に喝を入れてさしあげるだけですの。……それにしても、どうしてユーマ姉様はすんなり受け入れたのかしら」
「さあな」
レオはそっけなく答え、くるりとフェリスを回らせる。
「あら、レオ兄様冷たい」
「……彼女には彼女の考えがあるんだろう」
「それは、そうでしょうけれど……あら」
ざわざわと声が聞こえてきた。ちらと視線を向けると、ちょうど国王と王妃が席に着くところだった。
「ようやく戻ってきたな」
「ええ、よかった。そろそろ足が疲れてきてたから」
「それは俺の台詞だよ。……二時間ぶっ通しで踊るとか勘弁して欲しいよ」
楽団の指揮者がちらりと国王の方を見て合図を送るのが見えた。戻ってくるまでの時間つなぎに曲を引き延ばしていたのだ。
それからしばらくしてようやく曲が途絶え、二人は足を止めると礼をした。周りを囲んだ令嬢たちの声と拍手を受けたところで、国王陛下が立ち上がるのが見えた。令嬢たちもホールの中央に集まってくる。
レオは席に戻るために、人の間を縫って壇上に上がっていった。フェリスはデビュタントの令嬢たちに祝福を贈る国王を見上げた。
宴が始まる前に会った時よりかなり顔色が悪い。婚約破棄の一件が堪えただろうことは見て取れた。王妃も青いとは言わなくとも血の気の引いた顔でうつむいている。
祝福の言葉が終わると、場が崩れた。ホール中央にいた令嬢たちは駆け寄ってきた両親とともに喜び合っている。それらを見つつ、知った顔の令嬢やご家族に会釈をしながらフェリスも壇上に上がった。
「レオ兄様、お疲れさま」
「ああ、本当に疲れた。当分ダンスはしたくない」
にこやかな笑顔を顔に貼り付けたまま、心底疲れた声でレオは応じた。
「それよりお前はここにいちゃダメだろうが。デビュタントの宴なんだぞ。フロアに出てちゃんと顔を売ってこい」
「そうよ、フェリス。それにお友達も来ているんでしょう? お話はできたの?」
後ろから王妃が口をさしはさむと、フェリスはちょっとだけ唇をとがらせて振り向いた。
「でも、ユーマ姉様に会いに行かなきゃ。いいでしょう? 母様」
眉尻を下げてお願いのポーズをして見せると、途端に王妃は表情を曇らせた。
「フェリス。今日が何の宴か分かっているの? 言いましたよね? デビュタント以降は公の場では王族の一員として、大人の女性として振る舞わなければならないと。きちんと役目は果たしていらっしゃい」
扇で口元を隠してのきついお叱りに、フェリスはばつが悪そうに目を伏せた。
「ごめんなさい」
「……分かったのならば場に降りていらっしゃい。『ユーマ姉様』が笑いますよ?」
あからさまにしょんぼりする娘に、王妃は苦笑を浮かべつついつも通りに声をかけた。ユーマと言われてぱっと顔を上げたフェリスは、素直にうなずくと立ち上がった。




