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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第七章 子爵令嬢は弟と第三王子を迎える

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45.子爵令嬢は第三王子に菓子を強請られる(4/12)

 目が覚めたら雨だった。

 今日は、昨日収穫したワーズワルトを軽く天日干ししておくつもりだったけれど、仕方がない。

 せめて表面の乾燥だけさせようと部屋の棚にざるを置いて実を広げる。


「お嬢様、おはようご……あら、起きていらっしゃったんですか?」

「ええ、雨のせいかしらね。あ、そうそう。今日はこの部屋はだれも立ち入らないように護衛を立ててもらえる?」

「え? どうかなさったんですか?」


 わたしは手を止めずに言葉を続けた。


「ここに置いてるの、毒なの」

「えええっ! そんなものを素手で扱って大丈夫なんですかっ」

「わたしは扱い方を知ってるから。でも、ここにこれを置いている間は誰も入れたくないのよ。セリアも今日はこの部屋の掃除はいいわ。隣の部屋との間も鍵をかけておいてね」

「は、はい。わかりました。……でも、いつもこんなこと、されませんよね?」

「ええ、もちろん。いつもならすぐ北の館の屋上で干してるんだけど、雨だから。北の館、荷物置き場になってるでしょ?」

「え、ええ。そうですけど」


 王都から引き揚げてきた服やもともと館に残っていた十四歳の時の服はすべて、北の館に収められている。夜会などしないからと倉庫代わりに使うようになった北の館の一室は、わたしの趣味の部屋としてもらった。鍵はわたししか持っていないし、部屋の掃除もさせない。薬草の保管庫。


「明日晴れたら北の館に持っていくから。今日だけお願い」

「わかりました……でも、お嬢様が寝るときにもこのままにするんですか?」

「寝るときには片付けるから心配しないで」

「はい、じゃあ護衛を頼んできますね。あ、お食事は今日はどうされますか?」

「ああ……今日はここに持ってきてもらえる?」

「ここに、ですか? ……その実が間違って口に入ったりしません?」


 恐る恐るわたしの手元をのぞき込むセリアに、わたしは苦笑を浮かべて振り返った。


「ベッドなら、棚から十分離れているから大丈夫よ。ベッドでいただくわ」

「でも……」


 セリアはやはり毒をすごく気にしているらしい。……そうよね。あれはたった二年前のことだもの。わたしだって、毒に積極的に触れたいわけじゃない。知識として必要だから……。

 そこまで考えて、口元を緩めた。……もう王族とはなんの関係もないのに、どうして毒のことだけは忘れられないのかしら。


「分かったわ。下でいただきます。セリアは護衛の手配をしてきてくれる? 着替えておくから」

「はいっ」


 ほっとしたように眉尻を下げたセリアは勢いよく出て行った。

 本当はセレシュ様と顔を合わせるのを避けたかったのだけれど……仕方ないわね。今日は見回りにも行けないし、砦も雨の中での訓練はしないからお休み。街に出るにしても、雨では面白くないし。


 ……今日はおとなしく、本を読んで過ごすしかないわね。


 セリアがすでに準備しておいたらしい朝のドレスを身に着けながら、ため息をついた。


 ◇◇◇◇


 食事が終わっていつもなら居間でお茶をいただくのだけれど、今日は頭が痛いからと先に部屋を出た。とはいえ、部屋はあの状態だから戻れるはずもなく、図書室にこもることにする。

 セリアを連れて図書室に向かうと、奥に設えられた休憩用の長椅子に腰を掛けた。


「では、お茶をお持ちしますね」

「ありがとう」


 セリアを見送って、ぐるりと書棚の本を見回す。

 この図書室に置かれた本のほとんどは読んでしまっているのよね、ここにいた頃に。

 わたしがいない間にも、カレルのために本は買い足されていたはず。きっとカレルが好みそうな本の棚にあるに違いないわ。

 冬が長いベルエニー領では、外に出られない間に本を読んだり物語を聞いたり、編み物をしたりして過ごすのが一般的。

 今日はただの雨だけれど、冬になる前にまたどっさり本を仕入れておかなければ。以前は図鑑や歴史の本などをよく読んだけれど、今度はどんなジャンルにしようかしら。

 王宮ではよく小説を借りたわね。フェリス様は恋物語がお好きだったみたいだけれど、もう少し難しい本も読むべきだと思うのよね。

 もうデビュタントも済ませたし、成人はまだだけど大人の女性として扱われるのだもの、大人な会話にも参加できるようにならないとね。茶会も夜会もこれからはどんどん招待されるだろうし。

 今度、何冊か贈ろうかしら。

 そんなことをつらつら思いながら本棚を巡っていると、読んだことのない本がどかっとまとめておいてある場所があった。

 おそらくこれがカレルのために揃えられた本ね。どれも新しい。ざっと見たところ、戦記物と歴史書が多い。三冊ほど選んだところでソファに戻る。

 戦記ものが一冊、あとは他国――とりわけ隣国の歴史の本が二冊。

 やはり男の子よね、と思いつつ読み始める。

 戦記ものの方は大昔のこの国の英雄のお話だった。それ自体は女の子向けに書かれたものを読んだことがあるから知っているけれど、男の子向けの、戦記ものとして描かれているのを読むのは初めてで、視点が違うと全然違う物語に見えるのとか、注目している事柄が全く違うのとかが実に面白かった。

 女の子向けだと、英雄の活躍もさながら、周囲の女の子たちや姫との恋物語とかが多いのよね。

 でも、これはむしろ、国対国の戦乱の実情に近いのだと思う。英雄だけじゃなくて国の中枢の人たちや、兵站を担う人たちの話も拾い上げてある。もちろん恋物語もあるんだけど、それだけじゃない。人間模様っていうのかしら。

 セリアの入れてくれたお茶を飲みながら、続きを読もうと手を延ばしたところで、足音と声が聞えた。


「だから、あの本は希少価値が……あ、ユーマ姉様!」

「あら、二人も本を取りに来たの?」


 ちょっと会いたくなかったなと思いながらも笑顔を張りつけて顔を上げると、仏頂面で黒づくめのカレルと、嬉しそうな王子様然とした衣装のセレシュ様が並んで立っていた。


「ええ、まあ。姉様も?」

「そうなの。新しい本がないかなと思って」


 しおりを挟んで閉じた本をテーブルに置くと、セレシュ様は向かいの長椅子に腰を下ろした。カレルはしばらく立ち尽くしていたけれど、結局セレシュ様に促されてその隣に座る。

 セリアにお茶のお代わりをお願いして向きなおると、セレシュ様は先ほどまでわたしが読んでいた本を取り上げていた。


「ユーマ姉様、こういう本も読むんですね」

「ええ」


 女性向けでないものを読むのはやはり珍しいのだろう。ただ単に読んだことのない本をチョイスしただけなんだけれど。


「ここにいた時にあらかた読破してたから、読んだことのない本を探してたの」

「へえ、すごいな。カレルも読んでるの?」

「これ、全部読んだ」


 カレルは積んである三冊をちらりと見てカップを傾ける。


「へえ! 本読むんだ。寮にいた時は全然だったろ?」

「……そりゃ、他に娯楽があるからな」


 そうよね、ここだと本を読むくらいしか娯楽がない。盤上ゲームもあるにはあるんだけど、相手がいないとどうしようもないし。時々父上と母上が暖炉の前でやってるのを見たことあるけど、ゲームをしているというより、お話のついでにやってた感じだし。


「そういえば、何か本を探しに来たんじゃないの?」

「あ、いや……本当はユーマ姉様を探しに来たんだ」

「え……わたし?」


 嫌な予感がした。こういう時の予感って当たるのよね……。


「昨日言ったでしょ? ユーマ姉様にお菓子作ってほしいなって」

「あ……」


 ずきりと胸が痛む。


「雨で出かけられないし、ちょうどいいかなと思ったんだけど……ダメかな」


 膝に両肘をつき、捨てられた子犬のように上目使いに見つめてくる。セレシュ様が悪いわけじゃないんだけれど、目を見ることができない。わたしは視線を逸らすとカップを取り上げて紅茶を飲み干した。

 どう誤魔化そう、どうやって断ろう。

 それを考えながら目を伏せていると、ため息が聞こえた。


「姉さんが菓子? そんなの、あるわけないだろ? 料理一つできなかったんだぞ?」

「何言ってんだよ、カレル。昨日のサンドイッチ食べたじゃないか。ユーマ姉様の手作りだって」


 目を開けるとカレルが心底呆れたような目でわたしをちらりと見ていた。カレルはぷいと視線を外すとセレシュ様の方を向く。


「サンドイッチなんて、誰が作ったって美味いだろ。パンの間に具をはさめばいいんだから。俺でも作れる」

「でも、作ってくれたのはユーマ姉様じゃないか」

「……だから、あれは料理とは言わない」

「そ、そうかもしれないけどっ、姉様はいつもミゲール兄様にお菓子を焼いていたんだよっ」


 セレシュ様がそう言った途端、カレルの眉間に深いしわが刻まれたのをわたしは見た。カレルはすっと立ち上がると、わたしたちに背を向けた


「……俺は部屋に戻る」

「えっ、カレル?」


 弟は、それ以上何も言わずに図書室を出ていく。セレシュは慌てたようにわたしとカレルの背中を見比べて、わたしに頭を下げると弟を追いかけて行った。


「お嬢様」


 傍に控えていたセリアが近寄ってきた。申し訳なさそうな顔をしている。……させているのはわたしね、きっと。


「ごめんなさいね。片付けてもらえる?」

「はい。……あの、カレル様は……」


 ティーカップを下げながらセリアが言いにくそうに口にする。


「ええ。……まだ怒っているのだと思うわ」


 その証拠に、戻って来てからほとんどカレルは目を合わせてくれない。自分の将来を台無しにする原因になったわたしも婚約破棄したあの方も、憎くて仕方ないのだと思う。


「やっぱりそうなんですね。……それにしても、もう少し包容力をお持ちになってもっと愛想を振られればよろしいのに」

「……え?」


 セリアが言っていることが一瞬分からなかった。わたしのこと……よね? 愛想は振るようにしてると思うのだけれど……。


「あ、お嬢様のことじゃありませんよ。カレル様です。もう社交界にはお出でしょう? 正式に騎士の身分になったのですし、今後は夜会などにも呼ばれることが出てくるでしょう。なのにあのお顔では、せっかくの美貌が台無しですよ。少しでも微笑まれたら、女の子にはモテモテでしょうに」


 目を丸くしていたらセリアがフォローを入れてくれた。カレルのことなら納得だわ。

 昔は笑い顔もかわいかったのだけれど、いつの間にか仏頂面をすることが増えたのよね。……セレシュ様のお相手として王宮に上がるようになってからかしら、もしかして。


「お嬢様が王太子殿下にお菓子を作ってたって聞いて怒るなんて、シスコンかと思われますよ?」

「……えっ?」


 わたしは再び目を丸くする。セリアの今の言い方だと、わたしがあの方にお菓子を焼いていたと知って怒ったの?


「えっ、お嬢様気が付かなかったんですか?」

「えっと……わたしがお菓子を焼くのがダメだったの?」

「違いますって! 料理をほとんどなさらなかったお嬢様が、王太子殿下のためにお菓子を焼くようになったのが面白くないんですよ、あれは」


 いろいろぐさぐさと突き刺さるセリアの言葉を聞き流して――聞き流してないと胸が痛むのだもの――ようやく、なんとなくわかってきた。


「それって……」

「ええ、嫉妬ですね。……カレル様、顔に出さないくせに実は結構なシスコンなんじゃないですか?」


 新しいお湯もらってきますね、と言いながらセリアはワゴンを押していった。

 カレルがシスコン……? そんなにべったりされた記憶は全然ないけど。気のせいなんじゃないのかしら。

 ともあれ、カレルが怒ってくれたおかげでお菓子作りからは逃れられたことには感謝をしつつ、なんだか別の複雑な何かを抱え込んだような気がして、深くため息をついた。

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