44.第三王子は子爵令嬢とピクニック(?)に出かける(4/11)
砦で揉まれた翌日。
筋肉痛のおかげでベッドに縫い付けられる羽目になるかと思っていたけれど、ユーマ姉様のくれた湿布薬は優秀だった。
蹴られた脇腹だけでなく、足や腰、背中や腕にまで貼ってもらったおかげで、朝には脇腹以外の痛みは全くなくなっていた。
さっくりと起き上がって朝食の場に行くと、カレルもユーマ姉様もけろりとして席に着いていた。
もしかすると、あの程度の鍛錬は日常茶飯事なのだろうか。――おそらくそうなのだ。
カレルがあれほど強いのは、あの人に鍛えられたせいなのだろう。そう考えると、常に実技で主席を維持できた理由もわかる。
朝夕と、通常のカリキュラム以外に体を鍛えていたことを、セレシュは知っている。
いつも通り美味な食事に舌鼓を打っていると、ユーマ姉様が「そういえば」と口を開いた。
「今日はこのあと、ホルラント村まで行く予定だけど、二人は?」
「ホルラント?」
「街道を南に下った先にある村よ。近くに池があって、真冬になると凍るんだけど、この時期は花が咲き始めてきれいなの。視察がてら、行こうと思うんだけど」
「えっと……」
とっさのことにどう返事していいのか迷っていると、ユーマ姉様は眉根を寄せた。
「昨日、見回りについてきたいって言っていたでしょ? それでもしよかったら、と思ったんだけど……予定があるならいいわ」
「いや、ぜひご一緒させてください。カレルも行くよな?」
「……お前と二人きりにさせられないからな」
不機嫌そうにカレルが答えると、ユーマは嬉しそうに顔の前で手を叩いた。
「あら、カレルもついてきてくれるの? じゃあ、今日の護衛は要らないわね。ベルモント、護衛に休みと伝えてもらえる?」
「かしこまりました」
頭を下げて、家令が出ていく。
「じゃあ、お弁当作るわね。セリア、厨房を貸してもらえるか聞いてみてもらえないかしら」
「はい、ただいま」
ユーマ姉様の侍女らしい女性がいそいそと部屋を出ていく。
お弁当を持って花のきれいな村まで視察に行く。……まるでピクニックだ。そう思うとセレシュの頬は自然と緩んできた。
「ユーマ姉様のお弁当、楽しみにしていますね」
「え、ええ。ありがとう」
期待を込めて言うと、ユーマ姉様は少しだけ遠い目をした。
◇◇◇◇
街を抜けて街道をまっすぐ南に下っていく。
ユーマ姉様はかなりのスピードで馬を走らせる。まるで、学校からここに来るまでの強行軍を思わせる足の速さだ。いや、あれより厳しい気がする。
街道には山を登ってくる客と、町から下っていく客がとぎれとぎれに続いている。ぽつんぽつんと石造りの休憩所が設えられているのは、旅人のためのものだろう。視察のつもりでひとつ目の休憩所で足を止めたのだが、清らかな水の湧き出る泉があって、喉の渇きをいやせるようになっていた。
旅で一番大事なのは水の確保だ。馬車なら水の樽を乗せて運べば事足りるが、馬や徒歩の旅では持ち歩かなければならない。
その負担を軽くできるのだ。かなり助かっているに違いない。
そこを出発してからはずっと駆けどおしだ。
「もう少しだから頑張って」
前から声が飛んでくる。セレシュは馬をいたわりつつ腹を蹴った。
それにしても、それほど急ぐことなのだろうか。
朝食後、すぐに弁当を準備して出発したのは日がかなり高くなっていた。昼にはまだ遠いが、朝よりは日差しが暖かい。
それからしばらく走って遠目に街道の大きな門が見えたところでユーマ姉様は馬の足をゆるめ、休憩所の横で馬を止めた。
カレルとセレシュが追いついて馬を止めると、ユーマ姉様は門の方を指さした。
「あれが南の大門。山のふもとにもう一つ大門があるんだけど、そっちまで行くと日帰りは無理なの」
「へえ……」
「雪が降ったらこの門を閉じるんだ」
「これが……。本当に冬の間、誰も山を降りられないんだな」
「ええ。雪山はとても危険だから。で、ホルラントは門の左側に見える屋根の群れがそう」
見えたのは、石造りの頑丈そうな建物の群れだ。南の大門も石造りでがっちりしているが、北の砦ほどではない。目的が違うからだろうか。
「この門より南、山の麓の門には南の砦があるの。北の砦が突破されて、ベルエニー領が占領された場合の次の砦」
「ああ……そういえば登ってくるときに見た。でもあそこは砦としては機能してないだろう?」
「そうね。砦というよりは兵舎として使ってるから。平和な時間が長いおかげともいうわね」
ふふ、と笑ったのち、ユーマ姉様は指を南の大門に向け、そこから右側、街の反対側に指を動かした。
「あの先の池に用があるんだけど、ほら、ホルラントに近いでしょう? 素通りして行くわけにはいかないの。この間行ったばかりだから、そう引き留められないと思うけど……引き留められたら長引くのよね」
「じゃあ、先に用事を済ませてからホルラントに立ち寄っては? 村には用はないんですよね?」
「まあ、そうなんだけど……」
はあ、とため息をついてユーマ姉様は眉間にしわを寄せた。
「じゃあ、こうしましょう。今日は俺とカレルを歓迎したピクニックで、視察じゃない」
「え?」
唐突になされたセレシュの提案に、ユーマは目を丸くした。
「だって、村には用はないんでしょ? 来賓とのピクニックで近くに寄っただけ、なら後回しにする理由になりませんか? ほら、ユーマ姉様としては、来賓のもてなしの方が大切と言えますし」
「ピクニック……」
その言葉に反応するとは思わなかったけれど、ユーマ姉様はしばらくうんうんと悩んでからぱっちりと目を開けた。
「そうね。……そうさせてもらおうかしら。お弁当持ってきたし、ピクニックと言えなくもないわよね。……欲しいものさえ手に入れば、あとは気楽に遊んでもいいし」
欲しいもの、というのが少し引っかかったけれど、ユーマ姉様がにっこり微笑んでいるので忘れておこう。
「じゃあ、改めてピクニックに行きましょう。カレルもいいよな?」
「……好きにしたら」
「ごめんなさい、カレル」
ユーマ姉様の言葉にカレルは小さくうなずく。ユーマ姉様は馬をゆっくり歩かせると、街道から森の方へ伸びる細い道に足を踏み入れた。
◇◇◇◇
池はすぐにわかった。池の周りは色とりどりの花が咲いていて、馬で踏み入れるのがはばかられるほどだった。
近くの木につないで、花を踏まないように歩くユーマ姉様の後をついていく。花のない一本道が確かあって、池のほとりに立てられている休憩所まで続いていた。
バスケットを休憩所のテーブルに置くと、ベンチに腰を下ろす。
「じゃあ、お昼にしますか? あれほどの花畑を踏み荒らすのは気がひけますからここで、になりますけど」
「ええ、構わないわ。わたしもいつもそうしているから。それに……ここの花はどれも、薬草なの。踏みにじるのはもったいないわ」
バスケットからカップと紅茶の入った保温ボトルを取り出す。サンドイッチは三等分して油紙で包んであって、食べやすくカットしてあった。
めいめいの前に置いて、カップを取り上げる。魔石のついた保温ボトルから注いだ紅茶は、実に暖かかった。日の差し込まない休憩所だと池から吹く風が冷たかったから、紅茶のあたたかさはありがたい。
「薬草? じゃあ、それを摘みに?」
「それもあるんだけど……ワーズワルトという親指大の緑色の実をつける薬草があるの。育てるのが難しい薬草で、自生しているところも少ないらしくて……頼まれたの」
「誰に?」
薬草としてのワーズワルトについてはセレシュもよくは知らない。ただ、毒草としてなら知っている。そんなものを誰が欲しがるというのだろう。
「それは……秘密です。でも、変なことに使わないのは保証するわ」
「……なら、いいですけど」
セレシュは目を眇めてユーマを見つめていたが、彼女の表情からは後ろ暗い感情は見られない。目を伏せて、肩の力を抜くと、いつものようににっこりと微笑んだ。
「じゃあ、いただきます」
サンドイッチの包みを開く。昨日の朝食べたものよりも、さらにいい匂いがする。チーズの匂いだ。
「ユーマ姉様の手作りですか?」
「え、ええ……いまだにその程度しかできないの。ごめんなさいね」
「いえ。おいしいです。ピクニックに姉様のサンドイッチがいただけるなんて、最高です」
「うふふ、ありがとう」
カレルはすっかり沈黙を決め込み、護衛に徹している。
まるで二人だけでお茶会をしているような気分に、セレシュは口元を緩ませて目を伏せた。
「そういえばユーマ姉様はお菓子作りも上手かったですよね。今度作ってくれますか?」
だから、何の気なしにそう告げた時のユーマ姉様の顔を、セレシュは見逃していた。
「……考えておくわ」
かすれるような声でそう告げたユーマ姉様が、それまでとはまるで違う、泣きそうな顔をしていたことを、カレルだけが見ていた。




