43.第三王子は砦の親分に揉まれる
砦のヌシ、と紹介されたダン・グレゴリ王国騎士団北方警備隊隊長はでかかった。フィグ兄様より一回りは大きいだろう。差し出された手もごつごつとしてでかく、自分の手が華奢な手に見えるほどだ。
が、ダン・グレゴリはセレシュの手を握ってにやりと笑った。
「なかなかいい手をしている」
後からカレルに聞いたところによると、ダン・グレゴリとしてはいい評価をしたということらしい。
ダンの案内で鍛錬場に入ると、すでに二十人を超える兵士が刃をつぶした訓練用の剣を手に訓練を始めていた。熱気のこもった掛け声やら剣戟の音やらに満ちている。
「じゃあ、わたしたちも合流しましょ」
ユーマ姉様の一声で三人は鍛錬場に降りた。
馬で走ってきたからある程度体はほぐれている。ウォーミングアップにと鍛錬場の内側を軽く走ってからストレッチをする。
鍛錬場は屋外で、まだ薄暗い上に風も冷たい。しっかり体があったまってきたところで、ユーマ姉様が訓練用の剣を三本手にやってきた。
「じゃあ、始めましょ。えっと……カレルはセレシュと、でいい?」
「かまわない。……姉さんとだと訓練にならない」
ぼそりとカレルがつぶやくと、ユーマ姉様はぷんと頬を膨らませた。
「仕方ないでしょ、六年もブランクあるんだから。でもそのうち手合わせしてよね」
めんどくさそうに首を横に振り、カレルが剣を構える。一人あぶれたユーマ姉様は、と見れば、年若い兵士と向き合わさってぺこりと頭を下げている。
身長の高さの釣り合う相手ということらしい。確かに、セレシュとだと身長差が大きいからユーマ姉様にとっては不利だ。
「よそ見しない」
カレルが容赦なく切り込んできて、慌てて構えた剣を叩き落される。
「やるんなら本気でやれ」
「わかったよっ」
剣を拾い上げている間もカレルは打ち込んでくる。拾い上げざま剣を薙ぎ払い、ひらりと立ち上がる。
どうせならユーマ姉様と手合わせしたかった。視線をカレルに据えたまま、じりじりと間合いを取る。
でも、学校の鍛錬場とは違い、狭い場所で多くの兵士が同時に打ち合いをしていることをすっかり忘れていた。
「うわっ」
「す、すまんっ」
別の兵士にぶつかって、慌てて飛びのくと、その隙を狙ってカレルが剣を振り下ろしてくる。軽くいなされて体勢を整えると、カレルは間合いを詰めてきた。
「この訓練は切りあいの練習なんだから、間合い取ってちゃだめだろ」
「わかってらぁっ」
振り下ろされる剣を受け止める。手がしびれるほど重い一撃を往なして細かく剣を繰り出すと、カレルは剣でそれをはじきながらじわじわと後退する。
「そこまで!」
野太い号令に、激しく切りあっていた剣戟の音が絶える。カレルとセレシュも手を止めて体を起こした。
休憩なのか、他の兵士たちは剣を手に鍛錬場の壁際に置かれたベンチまで下がると、腰を下ろす。
「十五分休憩よ」
ユーマ姉様に引っ張られてベンチに腰を下ろすと、少し甘いドリンクを渡された。
「さすがは騎士様だね。あの程度じゃ汗かかないんだ」
「まあ、本職だしな。……ユーマ姉様の戦う姿、見たかったな」
「……だからよそ見してたのか」
「え? わたしなんかまだまだよ。ブランク長すぎて全然ダメ。体の切れがようやくましになってきたところよ。初心者とそう変わらないわ」
「姉様、手見せて」
「ええ、構わないけど」
はい、と差し出されたユーマ姉様の手には、剣だこがあった。最近できたものではなく、結構硬い。今まで全然気が付かなかった。
「女性らしくない手でしょう?」
苦笑しながらユーマ姉様が言う。確かに、たおやかな貴婦人の手とは違う。でも、それだけだ。
「別にそんなこと気にしないよ?」
「最近は畑仕事もやってるから、どんどん掌の皮が厚くなってるのよ」
そういわれて掌をそっと撫でる。確かに柔らかな手というよりは、張りのある働き者の手だ。
「でもこういう手は好きですよ。働き者の証拠ですから」
ね? と首をかしげて見せると、ユーマ姉様は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。……そろそろ始まるわね。カレル、頑張ってらっしゃい」
ユーマ姉様は立ったままだったカレルの背中をぽんと押す。カレルもわかっているのだろう、剣を手にぶらりと鍛錬場の方へ歩き出した。
「ユーマ姉様、何が始まるんです?」
「ああ、砦の親分の特訓、よ。カレルが戻って来てるのに顔を出さないって怒ってたから」
「特訓……」
恒例行事なのだろう、ぐるりとベンチで休憩中の兵士たちは、鍛錬場に出てきたカレルと、壇上から降りてきたダン・グレゴリをじっと見ている。
セレシュのところからは二人が小声で交わしている会話は聞こえない。
剣を手にした二人がそろってセレシュを振り返った。
嫌な予感が少しだけした。
ダン・グレゴリが手招きをする。
「あらまあ」
「ユーマ姉様?」
ニコニコしながらユーマ姉様が腕を引っ張り上げる。無理やり立たされたセレシュは目を丸くしてユーマ姉様に向き直った。
「隊長が手合わせしたいんですって。行ってらっしゃい」
「えっ、俺?」
「そう。行ってらっしゃい」
ポン、と背中を押されてグラウンドに立つ。こうなってはしり込みするわけにはいかない。
ダン・グレゴリの射貫くような視線にぐっと奥歯をかみしめて、二人のところに向かった。
◇◇◇◇
一対二の戦闘のはずなのに、それを全く感じさせないのはダン・グレゴリの力量と技術の高さによるものなのだろう。
カレルとの連係プレーは苦手じゃない。むしろ得意な方で、相手がどこからどう攻撃をするのかが大体読める。おかげで目くばせ一つで狙ったように二人で動くことができるのだが。
「ぐはっ」
「わきが甘いっ」
同時に繰り出した攻撃をいつの間にか両手に握っていた剣で反らされる。体勢を立て直す前に脇腹に蹴りが入った。痛みよりも呼吸が一瞬止まる。目の前に星が飛んだ。
三度目ともなると、胃の中はもうからっぽだ。……ああ、一度目の時にカレルの忠告を思い出したものの、後の祭りだ。とっさに差し出されたバケツのおかげで場を汚さずに済んだけど……もしかしてこれ、日常茶飯事なのか? バケツが出てきたタイミングが見事だった。
畜生、せっかくユーマ姉様の作ってくれたサンドイッチが……。
ぎろりと睨み上げたその怒りにはもちろん食べ物の恨みがたっぷり込められている。
「セレシュ、頑張って」
ユーマ姉様の声が聞こえて、立ち上がる。視界の脇にはカレルが立ち上がったところだった。脇腹を押さえているところから、おそらくあのでかいのは自分を蹴ったあとカレルにも蹴りを入れたのだろう。
「やっぱり騎士様だなあ。……戦闘はゲームでも試合でもない。まあ、今までは試合でしかなかっただろうが、実際の戦場では通用しねえからな。命の取り合いのためには何でも使う。蹴りだろうが目つぶしだろうが何でもな」
ダン・グレゴリの言葉が耳に痛い。
確かにそうだ。
卒業試験の時だって、特に剣以外の攻撃は禁止されていないのに、それ以外の攻撃を繰り出すと非難される風潮があった。美しくないだの、騎士精神に悖るだのと言われる。
戦いで勝てば問題ないはずで、実際に過去にも剣だけでない戦いで主席卒業した者はいた。が、それが受け入れられないような風潮が強くなっているのは事実だ。
しばらく戦乱のないこの国では、本当の意味合いでの戦争を知らない騎士ばかりを量産していることになる。形式美にばかり注目するのでは、本当に戦争が始まったときには役に立たない。
「王都とちがってここは隣国との前線だ。長く休戦状態が続いているとはいえ、いつ戦端が開かれてもおかしくはない。だからこそ、ここにいる者たちは常に切磋琢磨し、強さを目指す。……確か今年の卒業生主席と次席だったか。王宮で仕えることになるんだろうが、手を抜くな。油断するな。増長するな」
「はい」
「……はい」
それはおそらく、卒業生であるセレシュとカレルへの贈るお言葉だったのだろう。
直立不動でその言葉を受け取ると、ダン・グレゴリは嬉しそうに笑った。
「いい返事だ。……よし、次行くか。全員入れ!」
おう、と一斉に声が上がってベンチから続々と兵士が戻ってくる。全員がダン・グレゴリに剣を向けているところを見ると、ダン・グレゴリ対その他全員、ということらしい。
「今日は、誰かがわしに一本入れられたら休みにしてやる。がんばれよ」
「おおーっ!」
セレシュはカレルと顔を見合わせ、にやりと笑った。ユーマも二人の横までやって来て、ぱんと背中を叩いた。
「さあ。頑張るよっ!」
「ああっ」
にっこり微笑むユーマは、やはりきれいだった。
◇◇◇◇
「今日はいい汗をかいたわね」
ぽくりぽくりと馬を歩かせながら、ユーマ姉様は馬上で大きく伸びをした。朝からちょうどいい感じに体もほぐれて機嫌がいいらしい。早朝に食べたサンドイッチはもうほぼ全部消化済み消費済みなのだろう。砦で朝食代わりに堅パン一つもらったけれど、あれでは足りないのかおなかを時々さすっている。
「全く……疲れた」
「ああ」
「それにしても、あの蹴りは反則だよな」
「あの人、絶対あれやるんだよ。……何度食らってもタイミングが読めない」
「さすがは北の魔神よね」
「生き残るための戦い方だからね」
セレシュは目を見開いた。その二つ名を持つかつての将軍のことなら知っている。
かつての戦乱の際、大国を相手に見事な勝利を収めたというロイズグリン将軍のことだ。あまりの強さに敵国から『魔神』と呼ばれたとか。戦史にも出てくる名前だ。
まさか、そんな英雄がこんな辺鄙なところにいるはずないか、と自身を納得させる。
きっと、かつての将軍にあやかって、この町の人たちがそう呼んでいるのだろう。実際に、砦のヌシの名と違う。
「あ、そうだった。……二人とも、帰ったら湿布薬渡すわね。お風呂から上がったら貼るようにベルモントに伝えておくから」
「あ、ああ。ありがとう、ユーマ姉様」
それにしても、サンドイッチがもったいなかった。……あの時食べ残したサンドイッチ、まだ残っていないだろうか。
「はー……」
「だから言ったろ、吐くともったいないって」
「……あの時点でわかるわけないだろ」
「忠告はした」
「わかってるよっ」
むっとして声を荒げると、カレルは肩をすくめた。
「サンドイッチ……残ってないかな」
「あら、おなかすいた? カレルもセレシュも育ちざかりだものね、堅パン一つじゃ足りないか。じゃあ急ぎましょう」
ユーマ姉様はひらりと手を振ると、馬の腹を軽く蹴った。実に嬉しそうに馬を走らせるユーマ姉様に、セレシュはため息交じりに口を開いた。
「なんであんなに元気なんだ……?」
「さあな。……サンドイッチ、確か残ってたはずだよな。早い者勝ちで――」
「お先っ」
言葉を最後まで聞かずに馬の腹を蹴る。
ユーマの馬を追いかけ始めるセレシュの背中にカレルはため息をついたのだが、それをセレシュが知る由もなかった。




