41.子爵令嬢は第三王子に謝罪される
食事は実に美味だった。美味しいのはいつものことではあるんだけれど、今日はセレシュがいるから最高級の食材が使われたんだと思う。普段なら食べないような珍味や、うさぎ肉のオーブン焼きまで出たもの。付け合わせも、いつも食べている少しかたちの悪いものではなく、完璧な形に仕上げられている。
きっと料理長が頑張ったのね。
うちはこんな田舎だし、近隣の領とも距離があるから来客なんかほとんどない。晩餐なんて年に数えるほど。だから、客が来ると聞いて精一杯腕を振るったんだと思う。
しかも王族が来たと知って、最高級の品を準備したんだわ。
最後に出たフルーツの盛り合わせも、新鮮できちんと冷やされていて、実においしかった。
食後のお茶は居間に移動していただく。暖炉にはまだ火が入れられていて、暖かい火が赤く揺れる。
父上と母上は早々に部屋に戻り、カレルとセレシュ、わたしだけが残された。セリアと、カレルの侍従ダニーがいるから三人きりではないけれど。
暖炉を囲むように一人掛けのソファを三つ置き、それぞれの横に置かれたローテーブルにお茶と茶菓子を置いて二人は壁際に下がった。
お茶で唇を湿らせていると、不意に正面に座るセレシュが立ち上がった。どうしたの、と顔を上げると、セレシュはつらそうに眉根を寄せ、頭を下げた。束ねただけの銀髪がさらりと流れる。
「ユーマ姉様、ごめん」
「……え?」
突然のことに目を丸くする。カレルをちらりと見たけれど、弟は眉一つ動かさない。
「バカ兄が……ごめんなさい。姉様を傷つけるなんて……本当にごめん」
「セレシュ様、頭を上げてください」
あわててわたしは立ち上がったものの、無理やり顔を上げさせることはできない。どうしよう、とおろおろして壁際の二人に視線を送ってみたものの、何も打つ手が思いつかない。
「……セレシュ様」
「呼び捨てで」
頭を下げたままセレシュは言う。コホン、と咳ばらいをすると、仕方なく「セレシュ」と呼びかけた。
「あなたが謝ることじゃないわ。……頭を上げて」
ようやくセレシュは顔を上げた。見上げるほどに成長したセレシュは、それでもしゅんと落ち込んだ表情で立っている。
「座って、ね?」
子供をあやすように言うとセレシュは肩を落としたまま席に戻った。
「セレシュ……王太子殿下を勘違いしないでね? あの方が悪いのではなく、わたしが悪いんだから」
「……え?」
「婚約破棄されたのは、わたしのせいだもの。……兄上を責めちゃだめよ」
こんな形で口にしたくはなかった。セレシュが謝らなければ、言わずに済ますつもりだった言葉。
「そんなはずないです! ユーマ姉様には何も悪いところなんかない。バカ兄が悪いんですよ」
「……そんなこと、どっちだっていい」
沈黙を貫いていたカレルがいきなり口をはさんだ。
「カレル?」
「……姉上がそうだから、婚約破棄されたんでしょう?」
弟の顔をのぞき込むが、カレルは決してわたしと目を合わせようとしない。帰って来てから一度も、カレルはわたしを見ない。
「おかげで……どれだけ俺が迷惑をこうむったか分かってますか?」
「カレル! おい、やめろよ」
セレシュの言葉にカレルは口を閉ざした。が、眉間に深いしわが刻まれている。
迷惑。……弟はそう言った。わたしの婚約破棄が、弟に影響を与えた……?
そうだ。……当然よね。あのニュースはきっとすぐに学校にも伝わったに違いない。カレルはどれだけ驚いたろう。そしてどれだけ傷ついただろう。……きっと、わたしとおなじように周りの人からもいろいろ言われたに違いない。
「……ごめんなさい、カレル」
「今さら謝られたところで、どうにもなりません」
「カレル、そんなに主席で卒業できなかったのが悔しいのかよ」
セレシュが詰るように言うと、カレルは顔を上げてセレシュをにらみつけた。が、一言も口を開かずに席を立つと居間を出て行った。
「全く……すみません、ユーマ姉様。あいつ、姉様の噂を聞いてずいぶん取り乱して」
「そう……」
カレルとセレシュが同じ騎士養成学校に入ったことは知っていた。時折セレシュが王宮に戻って来て、王妃陛下やフェリス様と学校の話をしていたのも。
セレシュが寮に戻ってからフェリスから聞くことがほとんどだったけれど、カレルが学内でも優秀な成績を維持し続けていることを聞いて、誇りに思ったものだ。
「卒業試験で負けたんです、俺に。……あいつらしくなかった」
それを聞いても、わたしはどう言葉を返していいのか分からなかった。
わたしの婚約破棄がどれほど影響をもたらすか、わかっていたつもりだった。……父上母上は当然、兄上や弟にも迷惑をかけるだろうとは思っていた。
兄上は……気にするなと言ってくれた。それに甘えてしまっていたのだ。
王太子の婚約者の兄という立場だったのに、今や婚約破棄された娘の兄。……王宮内での立ち位置もかなり微妙になるに違いないのに。……破棄されたわたしに罪はないと言ってくれた。
だから、許されたと……わたしは悪くないと思い込んでしまっていた。
でも、弟は……わたしが婚約破棄されたことを知って、大事な試験で実力を発揮できなかったのだ。どうして婚約破棄されたかなんてカレルには関係ない。……わたしが悪いのだから、詰られても当然だ。
「あいつ、入学からずっと主席だったんですよ。そのまま主席卒業するだろうと言われてた。知ってます? 主席卒業すると、配属先を自分で選べるんです。でも、俺が勝った」
「そう……」
「……ユーマ姉様、ごめんなさい。俺、カレルが欲しかったんです」
「……え?」
それはどういう意味だろう。どうしてわたしに謝るのかしら。訝し気にセレシュを見ると、紫色の瞳を伏せた。
「あいつが希望する配属先をずっと前から決めていたことは知っていた。けど、手を抜くわけにはいかなかった。……ずっとフィグ兄様みたいな側近が欲しかった。俺は三男だから政治にはかかわることはないと思うけど、何でも言いあえる相手が欲しかったんだ」
知らなかった。
カレルと第三王子のセレシュが顔合わせをしたのはわたしが王宮に上がったあと。時々二人でお茶会に乱入してきたこともある。仲がいいとは言い難い雰囲気だったように記憶しているけれど。
カレルはセレシュに対して敬語を使わない。
わたしを姉様と呼ぶように、カレルも一時期兄と呼んでいた。誕生日がたった一か月早いというそれだけの理由で。そしてそれを理由に敬語を使うなと言ったのよね。
だから敬語を使わないだけだと思うのだけれど。
「俺たちはね、ユーマ姉様。公の場所では常に王子でなきゃいけない。だから、王子としてふさわしいふるまいをする。人々はみんな、俺たちを王子という色眼鏡で見る。それは当たり前なんだ。でもね。……プライベートまで王子を演じたくはない。王子でなくてもいられる人としか一緒に居たくない。バカ兄にとってはそれがフィグ兄様で、フェリスにとってはユーマ姉様。……レオ兄様は知らないけど、俺にとってはカレルがそれなんだ」
ゆっくりと紫の目が開かれ、柔らかく微笑む。
「だから……カレルには僕の護衛騎士になってもらいます。弱みに付け込んだのは自覚してるけど、そうでもしないと勝てなかった」
それは、兄上と同じ位置。王太子殿下の横に立つのと第三王子の横に立つのでは、責任の大きさは違うけれど。
でも……いいの?
「いいの?」
思わず口に出していた。王族の横に立つ、わたしの兄と弟。……きっとカレルもセレシュも要らぬことを言われるに違いない。
するとセレシュはにっこり微笑んだ。
「外野の言うことなんか気にしなきゃいいんです。カレル以外は要らない」
それは聞く者によっては勘違いしそうな言葉ではあるけれど、弟への熱烈なラブコールには違いなかった。
「そう。……カレルをよろしくね?」
「もちろん。――だから、カレルが言うことは気にしないで。あれは、姉様の噂に心を揺さぶられて、俺に負けたのが悔しいだけなんです」
「でも、カレルが怒るのも当然だもの」
「だから。姉様のせいじゃないでしょう? バカ兄のせいなんだから」
そうなったのはわたしのせいだもの、と言いたかったけれど、堂々巡りすることになってしまう。眉尻を下げて苦笑を浮かべるしかできなかった。




