38.子爵令嬢の弟は帰宅する(4/7)
本日二話同時更新しています
騎士養成学校のあった町を出て七日。
さすがに強行軍の疲れが体に出てきたらしく、前を行くセレシュが馬の足を緩めた。カレルも歩調をそろえて横につくと、セレシュは馬の上で体を揺らしている。
「セレシュ、休憩しよう」
馬を並べてセレシュの馬の手綱を引くと、びくんとセレシュの体が揺れた。
「あ?」
「……馬上で寝てるとか、どれだけ器用なんだよ。ほら、休憩取るぞ。次の木の下」
「うん」
素直にうなずいて、またセレシュはぼんやりと前を向く。その瞼がだんだんと降りてきて――カレルは頭を後ろからはたいた。
と同時に手綱を引いて馬を止める。
「降りろ。馬つないでくるからそこで座ってろ」
ベルエニー領まではあと半日で着く。くたくたのセレシュを放置して行けば十分間に合うが、一応第三王子の専属護衛になることが決まっている自分が王子を置いていくわけにはいかない。
そもそも、第三王子を自領に連れて行くことを了承させる条件が、カレルが護衛として付き従うことだ。
仕方なくカレルは馬から降り、馬から降りたくないとぐずるセレシュを無理やり引きずりおろして馬を木につないだ。
ついでに昼食にしようと馬の背から鞄を下ろす。最後の町で買っておいたパンとハム、チーズのサンドイッチと水の袋。
眠気を散らす効果はない。むしろ、おなかがいっぱいになったら寝てしまいそうな気すらする。
だが、食べておかないとたどり着くまでに空腹で倒れそうだ。
七日で着くのは着けそうだが、きっとセレシュには一度も経験したことのない旅だったろう。
王都から学校への往復も王族専用のフカフカマットの馬車でのんびり移動しているらしいし、馬の上で揺られ続ける経験も――あ、これは養成学校のカリキュラムにあったっけ。
長時間の馬上行軍。八時間以上馬を走らせる、歩かせる、という実地訓練で、無理をすれば馬がつぶれることも学ぶ。
今カレルとセレシュを運んでくれている馬は三頭目だ。
やはり強行軍のスケジュールは馬に多大なる負担をかける。二日ぶっ通しで走らせるのが限度ぎりぎりだった。三日目と六日目に馬を取り換え――もちろん、それなりにお金もかかるのだが――ここまで来た。
あと半日、頑張れば暖かな寝床で寝られる。最後の踏ん張りのためにも、昼を食べて少し休むのは必須だ。
「眠いようなら食べたあと二時間ほど寝ていい。ただし馬の上でな」
「……カレル、非道なこと考えてない?」
「馬に縛り付けるとかはしない」
馬が痛がるし、とはカレルは言わなかった。だが、自分が背負ってセレシュの馬を引きながらゆっくり移動するぐらいはできるだろう。
「とにかく、飯にしよう」
セレシュを座らせると、カレルはいつも通りに準備を始めた。
◇◇◇◇
「着いた……」
城門はカレルをよく知る門番のおかげですんなり通れた。その足でまっすぐ館まで馬を向けて半時間。
邸の前にはずらりと使用人が並んでいた。
「おお、大歓迎じゃないか。ってお忍びってちゃんと伝えたんだろうな」
二時間ほど寝たおかげでセレシュもしゃきっとした顔を取り戻していた。
「連れがいるとは伝えたけど、お前とは言ってない」
「なんだよ。じゃあこれって特別なわけじゃないのか」
「まあな」
王宮だって、王子たちの帰還の際には近衛兵たちが勢ぞろいして迎え入れるだろうに、と思いながらカレルは馬を降りた。セレシュもそれに従うと、馬を引いて歩き出す。
「それにしても寒いな。もう春だろう?」
「高地だからな。花の時期は王都より遅い。ここに滞在している間に咲き始めるだろうけど」
セレシュがきょろきょろとあたりを見回してつぶやくと、カレルもちらりと庭の方を見た。
「そうか、それならいい」
なぜか満面の笑みを向けてくるセレシュに、カレルは首を傾げる。
セレシュとはそれなりに長い付き合いだ。姉が王太子妃候補になって家族の顔合わせだのなんだのと引っ張り出されてからだから、およそ六年と言ったところか。
だが、そんなに花が好きだとは知らなかった。次の誕生日には花を贈った方がいいのだろうか。
そんなことを考えながら玄関まで到着すると、家令のベルモントが待っていた。
「おかえりなさいませ、カレル様」
「ただいま帰りました。父上たちは?」
「居間にいらっしゃいます。……カレル様、そちらは」
「初めまして。セレシュです。この度はご招待いただきありがとうございます」
「セレシュ様。ようお越しくださいました。どうぞ、こちらへ」
招待なんかしていない。勝手に無理やりついてきただけじゃないか。そう思いながらちらりとセレシュを見るが、セレシュは実に嬉しそうに笑みを浮かべている。
ベルモントはにっこりと微笑み、中へ促す。さも当然のように手綱をカレルに預けてついていくセレシュに苦笑しながら、使用人たちに、セレシュの荷物を持ってベルモントについていくように指示する。
馬を厩番に預け、自分の荷物を外して担ぎ上げると、カレルも使用人たちの後を追った。
「セレシュ様には客間を用意いたしました。長旅でお疲れでしょう。先にお湯をお使いください。その後、晩餐にいたしましょう。そのころには皆さまお揃いでしょうから」
「父上はどこかにお出かけだったか?」
父ニールが領内の視察に時折出ていたのはよく覚えている。泣き落としでついていったこともあるが、子供心には面白くもなんともなく、長く馬で揺られた記憶だけが残っている。
時には二日三日、十日以上も館を空けることがあった。春先で雪も解けたからとあちこち見回りに行っているのだろう。
「いえ、旦那様は居間にいらっしゃいますよ。お出かけされているのはユーマ様です」
「ユーマ姉様が?」
割り込んだセレシュの言葉にベルモントが一瞬目を見開いたのがわかった。
姉を「姉様」と呼ぶのは――カレルを除けば王族しかいない。王族がここに来たことはないからベルモントは知らないはずだが、なぜかベルモントは非難するようにカレルを見た。
「では、セレシュ様はこちらへどうぞ」
客室はカレルの部屋があるのとは別のフロアだ。ベルモントに誘導されるままに階段を上がっていくセレシュを見送ると、急いでカレルは部屋へ戻った。
荷物を置き、着替える前に居間に飛び込むと、お茶をしていたらしい両親は驚いたように目を丸くして振り向いた。
「あら……あらあら、カレル。おかえりなさい」
母上がソファから立ち上がり、嬉しそうに息子を抱きしめてくる。父上もソファから立ち上がった。
が、カレルは母上をやんわりと離しながら、父上の方を向いた。
「お風呂に入ってからでよかったんだぞ?」
「いえ、急ぎの用事が。……手紙で知らせた連れのことで」
「ああ、連れが一人いると書いてあったな。客間は用意させておいたが、なにか問題があったか?」
「いえ。……それが」
ノックの音がして、振り向くとベルモントが入ってくるところだった。
「おや、カレル様。いらっしゃったのですね。ちょうどよかった」
「何だ?」
「お客様を客間の方へお通しいたしました。……カレル様、あのお方は第三王子セレシュ様、ですね?」
「なっ……」
カレルは苦い顔をしながら頷いた。
「申し訳ありません、父上。どうしても連れて行けと言われて仕方なく。……手紙でも知らせるなと口止めされて」
ニールはしばらく目を丸くしていたが、額に手を当てて頭を振った。
「全くだ。……ベルモント、すまないが粗相のないよう取り計らってくれ」
「かしこまりました」
「それにしても……よく許されたな。お前と連れ一人と聞いていたが、護衛はついてこなかったのか?」
力なくソファに座り込む父上に、カレルはため息を漏らした。
「私がついているからと無理やり許可を取り付けたんですよ」
「何かあったらどうするつもりだったんだ」
厳しい顔で睨んでくるニールに、カレルは肩を竦めるしかなかった。断っても断ってもねじ込んできたのはセレシュだ。護衛をつけろと言ってもカレルがいるからと言ったのも。
「あなた、難しいことは後ほど。カレルは長旅で疲れてるんですから。カレル、お湯を使っていらっしゃいな。セレシュ様には晩餐の時に改めてご挨拶いたしましょう」
「……そうだな」
「それと、お忍びのおつもりなので、そのようにお願いします」
「わかった」
二人に頭を下げて居間を出ると、カレルは一つため息をついた。




