35.子爵令嬢の兄は王都に戻る(4/3)
12万PV達成祝いで一話先行公開します☆
王都に着いたのは、日が落ちる直前だった。
王都を囲む砦の門は日没と同時に閉鎖される。門の入口で時間を取られずに済んだのは、フィグがまだ王国騎士団の身分を持っているおかげだ。
もちろん、日没後も兵士や役人など一部の特例はあるが、停職中のフィグに特例が適用されるとは限らない。厳密に適用されればフィグは対象外だろうから、日没前に入れたのは本当に幸いだった。
大通りを騎乗のままゆっくり歩かせる。
門が閉じる前に駆け込んだ者たちが急ぎ足で目的地に向かうせいか、門から伸びる大通りはずいぶんごった返していた。
門の近くには、旅人のための旅籠や食堂が並んでいる。呼び込みの声も門が閉じてからは本日最後の客を奪い合ってか激しくなっていった。
平地にある王都は中心に王城と神殿があり、そこから同心円状に城下町が広がる。中心に近いほど、貴族や豪商の館が多く、壁に近いほど平民や旅人の居住区になっている。
王国の発展に伴って、手狭になった王都の外側に門前町ができた。そのエリアを保護するためにとさらに外側に作られたのが先ほど通った壁だ。
貴族の居住区が手狭になったため、一つ目の壁の内側にあった平民の居住区を一つ目と二つ目の間に移したのはずいぶん昔の話だ。以来、一つ目の壁の内側に住めるのは貴族のみと決められている。
そうやって空いた場所を整理して、大通りに面した場所や便利な場所には大貴族の館が立ち並んだ。家々のファサードをきれいに飾り立てるのも貴族の矜持というものらしい。
下位の貴族や新興の貴族は、そうやって食い荒らされた隙間に館を立てるしかない。しかも、貴族の序列に従って、敷地面積も決められている。
まあ、市壁内部の面積が狭いのだから致し方ないことではあるが、男爵位では満足に庭も持てないのはやはり寂しいところだ。
ベルエニー家の館は、もともと男爵だったこともあって城から離れたところにある。下町の再開発をする前からぽつねんとある郊外の一軒家がベルエニー家であった。
元が下町だからといって特に何も変わりはしないのだが、新興の貴族たちは皆、このエリアに望んでは館を置きたがらない。おかげで道の果てにぽつんとベルエニーの舘が建っている状態だ。
そのせいで、夜の帳が降りてくると、家まで辿る道が真っ暗になる。普通なら家々が並んでいて篝火が焚かれているものなのだが。
完全に真っ暗になる直前、道に沿って篝火が付いた。それが館まで続いているのを確認して、フィグはスピードを上げた。
一つ目の篝火までたどり着いて馬を止めると、お仕着せを着た館の使用人が松明を持って立っていた。
フィグが今日戻ってくると知って、準備させていたのだろう。
「フィグ様!」
「遅くなってすまない。館まで戻るぞ」
「は、はい!」
声からするとまだ年若い少年のようだった。馬の歩調を少年が付いてこれる程度のスピードに落とし、二つ目の篝火まで歩く。
同じように順に篝火と使用人を回収しながら屋敷に戻る。
門をくぐり、館の玄関に馬を寄せると、すぐに家令のリューイが迎えに出てきた。
「おかえりなさいませ、フィグ様」
「ああ、すまん。遅くなった。松明がなければ道を見失っていた。ありがとう」
フィグがそういいながら、篝火の始末をしている使用人たちに向けて言うと、彼らは一斉に腰を折った。
馬を降りて手綱を厩番に渡すと、馬の背に括り付けていた鞄を二つとも取り外す。
「まずはお部屋へ。湯の用意をしてありますので」
「わかった。食事は部屋に運んでくれ。それから、食事のあと、部屋まで来てくれ」
「かしこまりました」
リューイが他の使用人たちに事細かに指示を出していくのを背中に聞きながら、フィグは足早に部屋へ向かった。
部屋に荷物を下ろすと、家令はてきぱきと着替えを準備してサイドテーブルに置いて行く。
さっと湯あみを済ませると、鞄を荷解きする。
明日の王太子との面会の結果によっては、ここに戻ってくることも可能性としてはある。が、もし元の職に戻るのなら、王宮内の部屋を使うことになるだろう。
すべてを荷解きするのはやめて、騎士の正装や最低限必要なものだけを広げる。
あの日から一か月。
いまだに怒りはくすぶっている。
だが、以前王太子を殴りつけたような激情はもう鳴りを潜めていた。
それはおそらく、自領に戻ったユーマがだんだんと昔の姿に戻っていくのを目の当たりにしていたからだろう。
確かに、六年も妹を拘束したあのバカは許しがたい。
それでも、手を離してくれたからこそ、昔の、快活に笑うユーマが戻ってきたのだと思っている。
あのバカがどんな思いでユーマの手を離したか、フィグは知っている。
ベルエニー領で妹が自分に向ける笑顔を見るたびに、あのバカの顔がちらついた。
一番その笑顔を見たがった人間は、もう見ることができない。……そう、今のままでは。
王太子の気持ちは知っている。ユーマを遠ざけた理由も。
どうすれば皆が幸せになれるのか、ユーマが泣かずに済むのか。今はまだわからない。
ただ、今はようやく戻ってきた妹の笑みを守る。それだけでいい。
ノックの音に顔を上げると、リューイがワゴンを押しながら入ってきた。
「お待たせして申し訳ありません」
執務机の上は主の不在にもかかわらず、きちんと磨かれてほこり一つなかった。リューイはそこに皿を並べていく。
フィグは鞄から預かった封筒を出すと、リューイに差し出した。
「父上からの預かり物だ」
「ありがとうございます。中を拝見しても?」
「ああ。――使用人たちの紹介状だと聞いている」
リューイは封筒を受け取るとその場で開封して中身を確認していく。それを横目で見ながらフィグは食事にありついた。
やはりここの料理人の腕はよい。
強行軍で帰ってきたから、宿で落ち着いた食事をほとんどしなかった。朝も昼も途中で簡単に食べられるものを買って走りながら食べ、夜は走れる限り走ってから宿に入ることが多かったから、夕食も簡単に食べられるもので済ませた。
だからまともな食事は五日ぶりだ。
「ありがとうございます。これで彼らを送り出せます」
「そうか」
「ですが、フィグ様がここをお使いになられるのでしたら、引き留めねばなりませんが」
言外にどうなさるのですか、と問いながらリューイはフィグの顔を覗き見る。
パンをちぎりながら、フィグは首を横に振った。
「明日の登城の結果次第だ。……明日まで待ってくれ。戻るとなったら連絡をする」
「かしこまりました。明日は何時ですか?」
「いつも通りなら朝八時だ」
「ではそのように。……フィグ様、明日はそれを召される予定で?」
フィグが顔を上げると、リューイはつるしておいた騎士の正装を見ながら眉根を寄せている。
「そのつもりだ」
「……お借りしてよろしいですか」
ちらりと服の方を見る。確かに、鞄にしまい込んでいたせいでかなりしわが付いている。雨に降られずに済んだから濡れてはいないが、王太子の前に出るには憚られるか。
王宮の自室に行けば、替えがもう一着あるはずだが、そちらに出向くよりは先に王太子の部屋に向かうべきだろう。
「それと、シャツもアイロンの利いたものを準備してございますから、そちらを明日はお召ください。これは、超特急で手入れさせます」
「すまないな」
リューイは服と封筒を手に急いで部屋を出ていく。フィグは目の前のシチューを平らげることに集中した。




