32.子爵令嬢の兄は砦の親分と語る(3/28)
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砦の門を抜けると、やはり砦の入り口前に青い訓練服の巨漢が立っていた。
フィグは会釈をすると、坂を上るスピードを速めた。
「遅かったの。もうユーマは訓練に入っとるぞ」
「ああ、今日は訓練には参加しないんで」
今日のフィグは訓練には向いていないこざっぱりしたシャツとズボンの姿だ。
「そろそろ発つのか」
「ええ。明日がギリギリですかね。単騎でも五日はかかるんで」
「そうか。……またしごける相手がへるのう」
「ユーマで勘弁しといてください。それと、月が替わったら弟が戻ってきますから。軽く揉んでやってください」
「ああ、カレルか。もうそんな年か」
「ええ。生意気にも王宮勤めだそうですよ」
そう言って口元を緩めると、ダン・グレゴリは大口を開けて笑った。
「お前の時と同じじゃな」
「まあ、どこに配属になるかは聞いてないですけど、主席を逃したのは聞いたんで」
「なるほどの。……まあ、兄弟仲良く王宮でがんばって来い。ユーマはしっかり鍛え直しておいてやるから安心せい」
「ええ、お願いします。――どんな感じですか?」
ちらりと訓練場の方へ視線を向ける。
にぎやかな声が上がっているのはまさに今、訓練中だからだろう。
「まあ、六年のブランクにしちゃぁ、よくついて来とるよ。二週間でかなり体もできてきたしな」
「あんまりしごかないでくださいよ。一応女なんですから、筋肉ムキムキとかになったら嫁の行き手がなくなる」
フィグの心配そうな声にダンは再び大笑いした。
「大丈夫じゃろ。それにあの子はまだ女性騎士団入りをあきらめておらんぞ」
「……本気ですか」
「ああ、本気も本気。この間も『女性騎士団への加入試験は何歳まで受けられますか』と聞かれたよ」
「で、なんと?」
額に手をやりながらフィグが聞くと、ダンはにやりと笑った。
「自分で調べろと言っておいた。――そのうちまた王都に出るやもしれんのう」
「……勘弁してください」
「仕方がなかろう? ベルエニー家はもともと北方の守りを固める武官の家だ。その流れがあるから、お前もカレルも騎士団に入ったんじゃろう? 嬢ちゃんがその道を目指すのも分からなくもない」
「……俺たちが悪かったんですかね」
「いや、自分のやるべきことを知っている、というだけじゃろう。王宮での評判も悪くなかったんじゃろう?」
「さあ……どうですかね。俺の耳には貴族の声しか聞こえてきませんから。使用人と王族には好かれてましたけど」
肩をすくめるフィグに、ダンはふぉっふぉっと笑った。
「あれは生来の人誑しじゃからのう。……まあ、よい。お前がおらん間は、わしがしっかりと見守ってやろう」
「お願いします」
フィグは素直にダン・グレゴリに頭を下げた。ダンはフィグの頭に手を置くと、がしがしとかき回す。
「えらい素直になったもんじゃ。……王宮が辛ければ、戻ってこい。いつでも北方国境警備隊の副隊長職に就けてやろう」
「そんなこと言ったら今の副隊長が泣きますよ」
「副隊長はおらんぞ。強いて言うなら、ニールがその職にある」
急に父上の名前が出て来て訝しむ。
「……先日見かけたあれは誰なんです?」
フィグは、妹とともに訪れた時に見た副官らしい兵士を思いだしていた。
「あれは事務局長だ。まあ、いわば事務方のトップだな」
「ああ、道理で」
副隊長にしては細っこい、と思っていたのだ。ダンが事務処理を苦手としているのは知っていたから、彼が砦の一切を仕切っているのだろう。
「で、なんで親父が副隊長なんですか」
「ここの伝統でな、副隊長はベルエニー家の家長と決まっている。だから、いまはニールだ」
「ああ、そういえばそんなことを聞いたことがあったな……」
「だから、もし王都がいやになったら戻ってこい」
「はあ、まあ考えときます」
そう答えながらも、実際にそうなるかもしれないな、とダンの顔を見ながら考えていた。
まあ、そうなったとしても王国騎士団の所属であることには変わりない。給料はちゃんと出るだろうし、生活には困らないだろう。
「ところでな、あの服なんだが」
いきなり話を振られてフィグは眉根を寄せた。
「あの服って……ユーマが買ったあれですか」
ダンがうなずく。古着屋に流れていた兵士の服は、あのあと砦に届けて一切をダンに任せた。
古着屋への注意喚起は名乗り出た通りユーマが自分で行ってくれた。ついでにいろいろ買い込んでいたようだが、まあそれはいい。
ユーマからは、六年前より古着を扱う店が新しく二件増えていたと報告があった。しかもその店も、古くからやっていた店が二軒つぶれていて、そこを外から来たオーナーが買って看板をかけ替えて営業しているらしかった。
顔見知りの古着屋は、兵士の服を売りに来た場合は買い取ったうえで館に通報し、買いとった服は館が妥当な金額で買い取るというユーマの話に同意してくれた。
館や王国騎士団の兵士の服だけでなく、主だった兵士の服や官服などの絵を書いて、それらも同様に扱ってもらうようにお願いしている。
だが、新しい二軒は協力を渋った。
仕方なく、領主代行の権限で店の商品改めを行い、問題がある場合は営業許可を取り消す旨を通告すると、渋々ではあるが協力に同意した。
この二店については、いずれどこかのタイミングで調査に入る予定だ。どちらも領外の人間の出入りが多く、活動拠点になっている可能性もある。
父上が帰ってきて領主代行の権限を返したので、それ以降はタッチしていない。
父上には父上なりの領地経営の方針があるだろうから、それを押してまでやろうとは思わないし、すぐいなくなる身ではどうしようもない。
「嬢ちゃんのおかげで制服の流出は今のところない。出奔した兵士については現在王都にも申し送りして調査中だ。結果はもう少し後になるだろう。なんなら王都で動いてるメンバーとつなぎが取れるようにしておこうか?」
「いえ、それは俺の職分を超えるんで。……気にならないわけじゃないですけど」
「そうか。……まあ、今後は受け入れる兵士の身元確認だけはきっちりするように言っとく。例外はなしってな」
「そうですね。……それも軍部に影響力を持つ貴族ならどうにでもできるのでしょう」
「……ああ、忌々しいことにな」
ダン・グレゴリの口調に、フィグは口元を緩めた。
「軍部のトップがダンみたいな人ばかりだといいんですけどね」
「もしそうなったら力馬鹿ばっかりになるから、戦争なんかすぐ負けちまうぞ」
「確かに。それはまずいですね」
二人は顔を見合わせてどちらともなく笑った。
「だからまあ、うまく使ってくれる奴が上にいりゃいいのよ。お前はお前らしくいればいい」
「……肝に銘じます」
訓練場の方から聞こえていた声が途切れた。どうやら休憩に入ったらしい。
「顔、見ていくか?」
「いえ、他にも回るところがあるので。隊長、お元気で。俺が戻ってくるまで生きててくださいよ」
「おう。お前もな」
「次に戻ってきた時は負けません」
「楽しみにしてらぁ」
そういいながら片手を上げ、ダンは訓練場の方へ消えて行った。フィグは頭を下げてその背を見送ると、坂を下った。




