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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第五章 子爵令嬢は両親と再会する

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30.子爵令嬢は侍女と再会する

「お嬢様!」


 部屋に入るなり、セリアが駆け寄ってきた。

 いつもなら走らない! とわたしをたしなめる側の人が、駆け寄って来てわたしの手を取る。


「セリア」


 彼女が傍にいるのが当たり前だと思っていた。

 こちらに戻って来てずっと母上の侍女をお借りしていたけれど、ついセリアの名を口にしてしまったりと、とても失礼なことをしてしまった。

 どれだけセリアに頼りきりだったのだろう。

 自分でできることは自分でやるようにしていたけれど、気が付かないこまごましたことをセリアがやってくれていたのだと知った。

 セリアにあちこちから引き抜きの話があったことを母上から聞いてびっくりしたけれど、こんなに優秀なんだもの、当然よね。

 成り上がり子爵家よりもきっといいお給金を提示されたりしたはずなのに、どうしてセリアはわが家にいてくれるんだろう。

 目を潤ませているセリアに、わたしは躊躇なく抱き着いた。


「お、お嬢様っ服にしわが寄りますっ」

「ごめんなさい、セリア。一人だけ置いて行ったりして」

「いいえ、それよりお嬢様の方こそ、ここまでの旅で何かありませんでしたか? フィグ様がご一緒でしたから、さほど心配はしなかったんですけれど」

「……わたしの常識に問題があることはわかったわ」


 貨幣価値とか、宿や馬の預り所の使い方とか、全然知らなかった。一人で帰ろうとしていたのがどれだけ無謀だったことか。


「まあ、六年も籠っていらっしゃいましたものね。フィグ様がいらっしゃって本当によかったです」

「ええ、本当に。次があったら絶対セリアを連れて行くわ」


 次、なんて言ったけど、今回みたいな強行軍はあまりやりたくない。


「ありがとうございます。わたしも寂しかったんですよ? 道中は旦那様と奥様によくしていただきましたけれど、やっぱりお世話する方がいないと時間を持て余してしまって……結局奥様のお世話を手伝わせていただきました」

「あら、休暇だと思ってゆっくりしていてよかったのに」

「いいえ! そういうわけにはいきません。そんなにのんびりしていたら、太っちゃいます」


 そういえば、抱きついた感じがふっくらした気はしたけれど、黙っておこう。


「あ、そうだ。奥様が途中の町でいろいろお嬢様の服をお買いになられていましたよ。明日荷解きしますから、楽しみにしていてくださいませ」

「ありがとう」


 街の古着屋を巡ってよさそうな服をみつけては買いあさったおかげで普段着には困らなくなったけれど、母上のセンスは確かなのよね。


「じゃあ、お茶いれますね」

「うん、お願い。あ……二つ入れてくれる? 一緒にお茶しましょう」

「よろしいんですか?」

「もちろんよ。お茶菓子もあるの」


 にっこり微笑むと、セリアは嬉しそうにお茶の準備をしに出て行った。

 しばらくしてワゴンを押して戻ってきたセリアは、手際よく紅茶を入れ始めた。わたしは戸棚から買っておいたチュロスを取り出してローテーブルに置く。


「お待たせしました」


 セリアはティーカップを二つテーブルに置いて、わたしの向かい側に腰を下ろした。


「あ! これ、メリーおばさんのチュロスですよね。懐かしい」


 いただきます、とセリアはチュロスに手を伸ばす。


「兄上の大好物なんですって。頼まれて買いに行ったんだけど、わたしも気に入っちゃって、街に出るたびに買っているの」

「まあ、お嬢様自らがお買い物に出たんですか?」

「ええ、だってセリアいないし、母上の侍女にお願いするのも気が引けるし。門前ぐらいまでなら護衛一人つければ兄上も何も言わないから」

「でも、危なくありませんか?」

「大丈夫よ、いまのところ何もないわ。町の人たちともおしゃべりできるし、お店もいろいろ増えてて見て回るの楽しいの。セリアと一緒に回りたいなと思ってたから、今度一緒に行きましょ」

「ええ、ぜひ。――あ、そうだ。お預かりしたものがあるんです」


 セリアは席を立つとぱたぱたと部屋を出て行った。しばらくして戻ってきた時には、セリアの手にはいくつかの箱と本があった。


「これ、預かってきたものです。お受け取りください」


 ローテーブルにずらりと並べられたのは、茶色い皮のカバーがかかった本が一冊、少し大きめの箱が二つ。手のひらサイズの箱が三つ。巾着袋が一つ。


「どうしたの、これ」

「えっと……王宮の荷物を取りに行ったとき、フィグ様に会えるまで時間があったので、懇意にしていただいていた皆さまにご挨拶に行ったことはお話ししましたよね」

「ええ、覚えてるわ」

「その時に、皆様からお預かりしたものです。……お嬢様と最後にお会いしたかったと泣かれたりして、大変だったんですよー」


 そんなこと、王都の館に戻ったときには一言も言ってなかった。まさか、預かりものをしていたなんて。


「馬でお帰りでなければ、すぐにお渡ししたんですけど……痛むようなものはないと聞いていましたので、他の荷物と一緒にベルエニー領に運んでからお渡ししようと思って」


 わたしの心を読んだかのようにセリアは言い、箱を取り上げた。大きめの箱。青いリボンがかけられた茶色い箱。


「これは厨房のマリーベル様からです」


 渡されてリボンを外すと、中からは白いレースのエプロンが出てきた。マリーベルはお菓子担当の料理人見習いの十六歳の女の子だ。

 わたしが無理言って厨房を使わせてもらっていた時に、いつも片付けとかしながら一緒にお菓子作りの練習をしてくれたのよね。

 エプロンを広げてみると、わたしが厨房で使っていたのと同型の新品だった。厨房で使われている備品だったと思うんだけど、右胸のところにわたしの名前が刺繍で入れてあった。

 わざわざ入れてくれたんだ。もしかして、マリーベルが刺してくれたのかしら。刺繍は苦手だって言ってたのに。


「それから、こちらは給湯室係のケリー様からです」


 同じく大きめの箱。こちらはピンクのリボンがかけられている。開けてみると、かわいらしい端切れで作ったティーコゼ。

 ケリーは、時々自分でお茶を入れるためにお茶をもらいに行ってた給湯室の子だ。時にはわたしの部屋までお茶を持ってきてくれて、焼き菓子を振る舞ったこともある。

 ティーコゼは自分でひとつづつ作っていると聞いたから、きっとこれもケリーの手作りね。


「まあ、かわいい。わたし専用にするわ」

「いいですわね。紛れないようにあとでイニシャル入れておきますね。次はこれをどうぞ」


 差し出されたのは小さな赤い巾着袋。ずっしり重いその口を開くと、丸く磨かれた石が入っていた。拳よりは小さいくらいの黒い御影石の玉。


「これ……」

「それはあの……庭師のベン爺さんがくれたんです。前にお約束したから、と」

「ああ……覚えていてくれたのね」


 庭を散策していた時に見かけた石があまりにきれいに磨かれていて、文鎮に持ち帰ろうとしたのよね。

 ちょうどそこにベン爺さんが通りがかって、もっときれいな丸い石で作ってくれると約束してくれた。もう出来上がっていたのね。


「本当は文鎮にするためには下をまっすぐ切らなきゃいけないんですけど、あまりにきれいにまん丸にできたからそのままなんだそうです。飾るための台座も入れてくれてます」


 袋の底に、確かに石を置ける丸い台座が入っていた。テーブルの上に飾ってみる。


「それにしても、こんなに丸くなるまで磨くなんて、すごく時間と手間がかかってますよね」

「本当ね」


 ベン爺さんって、もしかしたらただの庭師じゃないのかもしれない。王宮の中庭には手のひらサイズの石を削り出して作られた小物があちこちに置かれていた。あれも全部ベン爺さんの作品だったのだろう。小鳥の塑像なんか、本物と勘違いしたくらいだもの。


「次はこれを」


 セリアはそういって手のひらサイズの小さな箱を三つわたしの前に置く。

 どれも箱自体にはリボンがかかっていない。蓋を外すと、中から香油の瓶が出てきた。


「これって……」

「ええと、それは湯屋係のサリー様からです。いつも湯あみの後にお嬢様の手足にすり込んでいたものだとか。一応許可をいただいてあるそうなので、安心してくださいって」


 瓶のふたを外すと、ふわりと花の香が広がった。


「懐かしいわ。ありがとう」

「二つ目も三つ目もたぶん一緒です。湯屋係のチェルシー様とパオラ様から、匂い違いだと思います」


 蓋を開けるとセリアの言う通りで、清々しい森林の香りと、薔薇の香りのものだった。


「ちなみに、この香油なら王都で入手できるそうです。使い切ったら取り寄せましょうか」

「そうね。……でも、この瓶も大事に使うわ。ありがとう」

「じゃあ、最後。これです」


 そう言って渡されたのは、茶色い皮表紙の本だった。

 表紙をめくると、インクの香りがする。


「これ、どなたから?」

「料理長のピエール様からです」

「えっ」


 王宮の厨房を束ねる料理長と言えば、普段は王族の食事を作る厨房のスタッフを取りまとめて指揮する立場にある、雲の上の人だ。

 ただの子爵令嬢が顔を合わせられるような人じゃない。

 どうしてわたしにこの本を?


「実は……お嬢様が時々厨房をお借りしてお菓子作りをなさっていらっしゃったの、ご存じでした」

「……えっ」


 言いにくそうにセリアが口にした言葉に、わたしは真っ青になった。

 王宮の厨房は基本的に認められた人間以外立ち入れないのがしきたりらしい。

 そのいくつもある厨房のうち、茶会や夜会の時にもほとんど使われない、王族が料理をするための厨房を無理を言って借りていた。

 料理長に知られたら料理人やスタッフの首が飛ぶというので、それはもうこっそりと、尚且つ料理人見習の練習という名目で食材を運び込んだり、使用許可を取ったり……。主にマリーベルが手配をしてくれたんだけれど……。


「……誰もやめさせられたりはしていないそうですよ」

「そう……よかった」


 わたしの顔色を見て、セリアがフォローを入れてくれた。わたしのためにせっかく手に入れた職を失うなんてことになったら、申し訳が立たないもの。もし料理長に知られたらわたしの名前を出してと言ってはあったけれど、責任を取れない立場になってしまった今では、どうしようもないもの。

 最悪の場合はうちに呼ぼう、と決めていたけれど、こんな北の果てに呼ばれても気の毒よね。

 ぱらりとページをめくる。白いページにはびっしりとレシピや作り方のコツが書き込まれていた。


「これって……」

「お嬢様が作られていたお菓子のレシピの写しだそうです」

「まあ……」


 きっと、婚約破棄のことを聞いて慌てて写したのね。インクの匂いがまだ新しいし、文字も乱れたり滲んだりしている。

 一度だけ、お菓子作りを習いたいとお願いしに行った時の料理長の顔を思い出す。わたしの気まぐれに心底迷惑している、と顔に書いてあって、取り付く島もなく追い出されたのよね……。

 後で聞いたら、他のお三方も厨房に出入りしてはなんだかんだと料理に口出しをしたり、自分の家から連れてきた料理人に料理を作らせようとしたらしいのよね。

 そういう状態なら、わたしが歓迎されるはずはないのも道理だわ。

 だから、こっそりと厨房を使わせてもらっていたのだけれど。ご存じだったなんて。


「それに、お嬢様が使っていた厨房なんですけど、王妃陛下から使用許可が出ていたんだそうですよ」

「……王妃様もご存じだったの?」

「たぶん、ご存じでなかったのは、フェリス様だけかと」

「嘘……」

「王子様方は、王太子殿下の執務室に運ばれる焼き菓子がお嬢様の手作りだと知って、王太子殿下の執務室によく出入りするようになったそうですから」


 こっそりこっそりやってたつもりだったのに。マリーベルにも無理をお願いしてると分かっていたから、すごく申し訳なくて……。新作レシピをあげたりもしたけど、到底そんなものでは足りないよね、となにかお礼を考えていたんだけれど。


「えっと、ピエール様から伝言です。『まさか自分で料理しているとは思っていなかった。すまなかった』だそうです」

「……穴があったら入りたいわ」


 きっと今のわたしは真っ赤な顔をしているだろう。

 何なのこの、周りから見守られていたのにわたしだけが知らずに一生懸命秘密にしようとしてたとか、恥ずかしすぎるじゃないのっ。


「お嬢様、お顔が赤いですよ」

「言わないでよっ」


 本を置いて手で顔を隠す。なんだか自分が痛い子みたいじゃないの。


「お茶が冷めちゃいましたね。入れ直してきます」


 セリアはそういうとさっさと部屋を出て行ってしまった。お茶を入れ直すとか言いながら、ワゴンもポットも置きっぱなしじゃない。

 しばらく悶々としていたけれど、冷めた紅茶を飲み干すと、もう一度本を取り上げた。


 お菓子作りに挑戦するまで、料理のりの字も知らなかったものね。……最初は包丁の持ち方から教えてもらったっけ。

 ページをめくると、どれも作ったことのあるレシピばかりだ。門外不出のレシピもあったような気がするんだけど、いいのかしら。

 一つずつたどりながら、作った時のことや失敗した時の思い出、成功した時の喜びがよみがえる。――これを食べた時の王太子殿下の反応も、笑顔も。

 つきりと胸が痛んだ。

 うつむくと、鼻の奥がつんと痛くなった。

 初めてお菓子を差し出した時の訝し気な顔。失敗したお菓子を食べた時の引きつった顔。お菓子を口にしてほんの少しほころんだ顔。

 しまい込んで頑丈に鍵をかけたはずの心の引き出しから、どんどんあふれてくる。

 手作りだと知ったときの驚いた顔。照れてはにかむ顔。怒った顏、悲しむ顔。剣を振るう真摯な顔。

 ああ、だめだ。

 本を閉じ、顔を手で覆う。ぼろぼろと涙がこぼれて止まらない。

 きっともう二度と会うこともなく、言葉を交わすこともない。あの笑顔がわたしに向けられることも、澄んだ空色の瞳がわたしをとらえることも、もう二度とない。

 そう思うだけで。

 こんなに――こんなに胸が痛むだなんて。

 わたしはようやく――自由を得た代わりに何を失ったのかを知った。



 どれぐらい泣いていただろう。気が付けばずいぶん部屋の中は暗くなっていた。

 セリアは戻ってこない。きっと、扉の陰からわたしの様子を見ていたのね。

 本を取り上げ、表紙を指の腹でなでる。

 料理長には悪いけれど……きっとこの本が活躍することはない。ううん、きっと二度と、お菓子は作らない。

 わたしのお菓子は、王太子殿下に捧げるためだけのもの。

 ……もう二度と、作ることはない。


 本を手に立ち上がると、本棚に並ぶ本の後ろに隠すように置く。目につくところにあったら、きっと見るたびに涙が込み上げてくる。

 わたしは捨てたの。……自分の自由のために、大事なものを。

 だから、忘れなきゃならない。

 わたしの初恋は――今終わったのだから。

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