29.子爵令嬢は両親を迎える(3/20)
馬車の列が館の前に到着するのを待って、わたしは馬車に歩み寄った。兄上もすぐ後ろに控えている。
ベルモントが開いた扉から降りてきたのは、父上だった。続いて降りてきた母上も、顏には疲れがにじみ出ていて、馬車での移動が堪えたのが伺える。
二人がわたしを見て息を飲んだのはわかった。きっとこの髪のことだろう。あとでお小言は覚悟しておかなくちゃ、と、内心ため息をつきつつ、わたしは笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、父上、母上」
「おお、ユーマ、フィグ。戻ったよ」
「ただいま戻りました。二人とも元気そうね」
父上はわたしの手を取ると、手の甲をそっと撫でてわたしの顔をじっと見つめ、やんわりとわたしを抱きしめてくれた。
「ユーマ。すまん。長い間つらい思いをさせたな……」
「父上、わたくしは大丈夫ですから」
そうは答えたものの、父上の体が震えていることに気がついてぐっと熱いものがこみ上げてきた。
父上の胸に顔をうずめて、涙をやり過ごす。
「ごめんなさい……」
「お前が謝ることは何一つない。……胸を張りなさい」
「……はい」
そう促されて、父上から離れて顔を上げる。
父上は目じりからこぼれるものを拭いもせず、そっとわたしの頭を撫でてくれた。
「お前はわしの自慢の娘だ。お前の価値のわからん男になぞやるものか」
「あなた、独り占めしないでくださる?」
母上がすっと横に並んでわたしの手を取った。母上の方が少し背が低い。わたしは母上を見下ろした。
「リーシュ」
「母上」
「……よく頑張ったわね」
その一言に、わたしは母上に抱きついた。堪えていた涙がこぼれる。母上はわたしをやんわりと抱きしめて、背中を撫でてくれた。
「あらまあ……まだまだ子供ね、あなたは」
「まったくだな」
笑いながら言う母上の声も相槌を打つ父上の声も、涙声だった。
「さあさ、皆さま。中にお入りください。まだ寒いですから」
ことさら明るく振る舞うベルモントの声に、わたしは顔を上げた。母上の背後には兄上が不機嫌そうに立っている。
その後ろでは、使用人たちが荷物を運び込んでいる。通りがかったセリアがちらりとこちらを向いて会釈したのが見えた。
「二人とも、俺のこと忘れてるだろ」
「フィグ、お前も大変だったな」
「あらあら、あなたまで子供っぽいことを。さあ、入りましょう。積もる話もありますしね」
むくれた兄を促して母上が歩きはじめる。わたしは父上と顔を見合わせて笑うとその後ろに従った。
◇◇◇◇
居間に移動して、わたしは改めて父上から婚約破棄のことについて聞かされた。
「国王陛下も王妃陛下もお前にはすまないことをしたとおっしゃっておられたよ」
「そんな……」
「恐縮することはないのよ、ユーマ」
「ああ、一番かわいい盛りのお前を六年も王宮に閉じ込めたんだ。当然だろ」
母上はともかく、兄上、どうしたんですか一体。か、かわいい盛りとかなに口走ってるんですか。
それに王族の方に頭を下げさせるだなんて……。
「そうよね……十四から二十なんて、女の子が一番変わる時期よ。あなたの花開く様を身近で見守ることができなかったのは本当に残念だわ」
「そうだな。もっと手元に置いてかわいがってやりたかった。――すまんな」
「父様、母様、頭をお上げください。それに、こうならなくてもわたしは騎士団に入ってたはずだもの」
わたしが告げると、父上は目を吊り上げた。
「何? そんなことを考えていたのか。許さんぞっ」
「あなた。何をおっしゃってるの」
「いや、しかしだな……」
熱くなった父上を母上はくすくすと笑っていなした。
「もし本当にそう思っていたのなら、ユーマが剣を習いたがった時にやめさせるべきでしたわね」
「いや、やめさせたところで勝手に砦のヌシのところに通っただろうな」
母上と兄上の言葉に、父上は撃沈して拗ねたようにカップの紅茶を飲み干した。
「ともかく、これからはずっと一緒にいられるのだから。ね?」
「はい」
母上のとりなしにようやく父上は咳払いして居住まいをただした。
「それからな。ユーマ。……王太子殿下からも謝罪をいただいた」
つきりと心が痛んだ。目を伏せて、カップをローテーブルに戻す。
あの時のことを考えるとずっしり心が重くなるからと、頭から締め出していた。――実際には兄上がいろいろとわたしに仕事を押し付けてくるから、毎日忙しくて考える余裕もなかったけれど。
「理由はどうしてもおっしゃらなかったが……ただ、お前を嫌ってのことではないとしきりに言っていた」
「そうですか……」
わたしはあの人の隣に立つにはふさわしくない。
そんなこと、他の人に言われなくてもわかっている。
あの方々のように美しくもない。生来の気品や優雅な立ち居振る舞いには叶うはずもないし、資力もなければ家格も低い。
最初から分かっていたことだし、それを理由にいつ婚約解消をされても仕方がないと思っていた。
だから――今になって婚約破棄されたのは、それ以外の理由――愛想をつかされたか嫌われたのだと思っていたのだけれど。
そうじゃなかったと聞いただけで、ずいぶん心が軽くなった気がする。
「ありがとうございます」
「いや。わしらは何もしとらんよ。むしろフィグの方がな……」
「え?」
「父上、それ以上は」
びっくりして顔を上げると、兄上は眉根を寄せてぷいと横を向いていた。
「いいじゃないの。あれはわたくしもびっくりしたんだから。あのね。……フィグが王太子殿下を殴り飛ばしたのよ」
「ええっ?!」
「ああ、あれは本当に肝をつぶしたよ。家の取り潰しも覚悟したぞ」
うふふ、と笑いながら母上が言うと、父上もうんうんと頷きながら言葉を継いだ。
……どうしてそんなに嬉しそうなんですか、父上母上。言ってる内容は実に物騒なんですけれど。兄上、怒ってくださったんですね。
「兄上……」
「お前のためじゃない。――腹が立ったから殴っただけだ」
後悔はしていない、とぼそっとつぶやいて兄上はごまかすようにティーカップを取り上げた。
「ごめんなさい、兄様」
「お前が謝ることじゃない」
ずっと気になることはあったの。
わたしの護衛としてここまでついてきてもらったけれど、兄上が王都に戻る気配がまるでないの。
王太子殿下から特別に休暇をもらってるのかなとしか思っていなかったのだけれど……。
「もしかして兄様、そのせいでお役御免になったの……?」
「それは違う。――一か月の謹慎を食らっただけだ」
「本当に?」
「……お前が気にすることじゃない。心配するな」
兄上はそう言って口角を上げる。
見えないところでいろいろな人に守られてきたのね、わたし。――家族だけじゃない、ベルモントもセリアも、ううん、きっともっといろんな人に守られている。今も、これからも。
「ありがとう……兄様。わたし、果報者ですわね」
「気にするな」
だから、今度は守れる立場になりたい。
砦での訓練は相変わらず厳しくて、痛くないところはないくらい。でも、これはわたしが六年の間、怠けていたせい。
いざというときにちゃんと動けるように、大事な人を守れるようにならなくちゃ。
父上、母上、ごめんなさい。
きっとわたしはいつまでもここにいないと思うけれど、ここにいる限りはずっと一緒にいますから。




