28.子爵令嬢の弟は第三王子に懇願される(3/20)
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カレルは寮の遊戯室に足を踏み入れた。
いつもならうるさいほどに学生が集ってはおしゃべりやゲームに興じているのに、今日は静かだ。
卒業式までの十日ほどは授業もなく実質的な休みだ。
卒業式の後、任地の割り振りが発表される。着任日までに任地に赴けばよいので、その間に自宅に戻ったり赴任の準備をしたりするのが一般的だ。
特に遠方に赴任が決まった場合、移動にかかる時間を考慮しなければならない。もちろん、着任日は王都および学校と本人の出身地を考慮して決められているとはいえ、たいていがカツカツの日数である。
ゆえに、卒業式が終わってから着任までの間は、休暇のように見えて実は最も忙しく、緊張する時期である。
最終試験の結果が出てから卒業式までの間が、最後の『本当にゆっくりできる休暇』なのだと先輩方に教えられた。
実際、寮に残っている人数は少ない。皆、一番近い町に遊びに出ているのだ。
教授方も、この期間だけは大目に見ることにしているという。
「カレル、参加しないか」
テーブルでカード遊びをしていた一人が声をかけてきた。が、そんな気分ではない。
首を横に振ると、同級生は肩をすくめてゲームに戻った。
暖炉のそばの長椅子に体を横たえ、あおむけになって目を閉じる。
姉の一件は、学校内ではすでに終わった話題として忘れ去られている。今は誰がどこに割り振られるのか、その噂ばかりが耳に入る。
上位三十位に入っているカレルにとっては、その話題すら終わった話だ。
王宮に行くのは確定した。後はその中での割り振りだが――。
「カレル」
閉じたままの視界が暗くなった。目を開ければ、第三王子セレシュがソファの背から覆いかぶさるようにしてカレルを見下ろしていた。
「何か用か」
「話があるんだ」
「ここで聞く」
「……頼みがある」
セレシュは見下ろす位置からぐるりとソファを回り、カレルの頭の傍に膝をついた。
「頼み?」
「お前、卒業式が終わったら家に戻るんだろう?」
「ああ」
「……お願いだ、僕を連れてってくれ」
「……は?」
驚いて上体を起こすと、セレシュはカレルの右手を取って両手で握りしめた。
「何言ってるんだ。お前も城に戻るんだろう?」
「そりゃ帰るさ。でも、別にいつ戻ったっていいんだ。僕の場合はどこかに赴任するわけじゃないし、卒業後は王国騎士団の下っ端になるだけだから」
「だとしても、国王陛下への報告とか準備とか、あるだろう? お前が帰ってくるのを待ってるんじゃないのか?」
「少しぐらい遅くなったって大丈夫だって。いつ帰ると伝えときゃいい」
「少しじゃないだろうが。大体、ここからベルエニー領まで馬でも片道七日、馬車なら十四日だ。ベルエニーから王都までが馬で五日、馬車で十日。馬車なら丸々二十四日間はかかるんだぞ?」
目を丸くしていうと、セレシュはにっこり微笑んだ。
「馬車で戻るわけないだろ? 必要最低限の荷物以外は先に城に戻すつもりだし、何か足りなくてもどうにかなるだろ?」
「……王都と違ってなんでもある場所じゃないぞ」
「多少の不便は我慢するよ。だから、お願いだ。連れてってくれ」
「それに、護衛の一人もつけずに戻るつもりか? いくら治安が良くなってきたからって、安心しすぎだろう」
「護衛ならいるじゃないか。君が」
気楽にそう告げるセレシュに、カレルは額を押さえた。
「……俺一人で対処できない事態になったらどうするんだよ」
「僕だって騎士だ。一応君も負かしたことだし、二人いればどうにかなるよ」
「……お気楽だな、ほんと」
負かされた発言に若干不愉快な気分を思い出した。眉根を寄せて言い捨てると、セレシュは嬉しそうに微笑んだ。
「それ、僕にとっては褒め言葉だからね。……で、連れて行ってくれるの、くれないの?」
「……そんな危険な賭けに乗れと?」
「そう」
「教授たちが聞いたら目を回しそうだな」
「そうでもなかったよ。まあ、説教はされたけど、許可はくれた」
にこにこと目の前で許可証を広げられて、さらにカレルは頭を抱えた。
「……向こうには十日いるつもりだった」
「かまわないよ。帰りも馬?」
「いや、馬車」
王都への移動日数を考え、また自領から持っていく予定の荷物を考えると、帰りは馬車を使うしかない。
四月半ばには出発していなければならない。
「じゃあ、ベルエニーを四月の二十日に出れば大丈夫だな。わかった、そのつもりで準備しておく」
「誰も連れていくとは――」
「連れて行かないなら、お前の恥ずかしい話、ユーマ姉様の前で暴露してやる」
「どうぞお好きに」
目の前で悔しそうに舌打ちする第三王子に、カレルは眉根を寄せる。これが王子というのもアレだが、それにもまして、なぜカレルの姉を姉様呼ばわりするのか。
姉が今も王太子の婚約者という立場にいるのなら分からなくもない。第三王子の義理の姉となるわけだからそう呼ばれるのも分かる。
だが、いまはもうその立場にない。なのに呼び続けるのは、ただの惰性なのか?
「とにかく、僕はついていくからなっ。勝手に出たら、あとから一人ででも追いかけるからなっ」
「それはやめろって。立場考えろよ。せめて護衛つけて」
「その護衛が一緒に行ってくれないからだろ?」
まだ片膝ついたままのセレシュは頑として聞き入れない。部屋にいる人数は少ないが、だんだん激高して声が大きくなっているセレシュの様子に気が付かないはずもない。
結局カレルはため息をついて頷くしかないのだ。
「わかったよ。連れて行きゃいいんだろ」
「ありがとう! で、僕が行くことは、領地の人には黙っておいてほしいんだ」
「お忍びってことにすればいいんだな。――まあ、そっちの方が都合はいいけど。身なりは考えろよ? いつもの格好だとお忍びにならないからな」
「それも含めて、必要のものがあるなら町に買い物に出かけたいんだが、付き合ってもらえないか?」
「……分かったよ。お前と言い王太子と言い、ほんとごり押しするのが好きだよな」
「兄上? そんな人には見えないけど」
カレルは、きょとんと首をかしげるセレシュに苦笑を浮かべた。自覚がないところもそっくりか。
「買い物は明日。って町まで出かけて大丈夫なのか?」
「ああ、それなら大丈夫。何度かお忍びで町に降りたことはあるから」
ちらりと壁際に立つ二人の護衛を見る。王子セレシュの護衛だ。学内とはいえ、様々な層の人間が集まるところだ。油断ならないということなのだろう。
「ならいい。じゃあ明日」
カレルは握られたままの手を取り戻すと、遊戯室を出て行った。




