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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第三章 子爵令嬢は自領に戻る
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20.子爵令嬢の兄は妹の報告を聞く

 食事が終わって自室に戻ろうと席を立った時、妹が後で部屋に来ると言い出した。

 夜に男の部屋を訪れる意味がわかっているのか、とときどき頭が痛くなる。まあ、兄だから大丈夫だと思っているのだろうとは思うが。

 天然なのも大概にしてもらわないと。心配するこっちの身にもなってほしいものだ。

 ともあれ、食事後すぐであればかまわないと告げて、フィグは自室に戻った。


 着替えるわけにはいかないので、机の前に座って残っている書類をパラリとめくる。

 父上が戻ってくるまでの代理とはいえ、結構な量の書類が毎日上がってくるのは辟易する。だが、これも必要な仕事だと理解はしている。

 今手にしているのは、北の砦からあがってきた補修工事の見積書だ。

 砦が作られてから相応の時が経っていて、がたが来ているのは知っている。それをだましだまし使っているのが現状だ。

 いつ何時、隣国との冷え込んだ関係がさらに悪化するとも限らない。

 もちろん、そうならないことが最も望ましいのだが、最悪の場合、このベルエニー領が最前線になる。

 領民の保護はもちろんのこと、応援が来るまで何とか持たせなければならないわけで、砦とその周辺の手入れは怠るわけにはいかないのだ。

 冬が明ければたいていどこかが故障したりしている。修繕は毎年のことではあるが、今回は北の街道を閉鎖している大門の門扉の破損があったと報告が来ている。

 どうやら飢えた獣が突き破ったらしい。

 そのままにするわけにはいかないので、早急に対応しなければならないのだが、予算の面がかなり厳しい。

 門扉自体は実際は隣接する王国直轄地に所属するので、そちらに稟議を通さなければならないだろう。さすがに代理での決裁はできず、書類だけまずは作成して、父上に回すのが最適だろう。

 紙を取り上げてペンを走らせる。

 しばらく書類に没頭していると、不意に紅茶の香りがした。

 顔を上げると、ベルモントがティーカップを手に机の前に立っていた。


「お嬢様が先ほどからお待ちですが」

「あー……すまん。もう少し待ってくれ」


 ちらりとソファの方を見ると、二人掛けにちょこんと座った妹が、フィグを見て微笑んでいる。


「気にしないで、兄様。ノックしてもお返事がなかったからちょっと心配になっちゃって。お茶を頼むついでにベルモントに一緒に来てもらったの」

「すまん」


 急いで書類を書き上げて、補修工事の見積書と一緒に脇机に置く。

 それから、ベルモントの手からカップを受け取ると、ソファに移動した。


「待たせたな」

「急ぎの書類でもあったの?」

「まあな。北の砦から、北の大門の扉が壊れたと連絡があってな」

「あらまあ……明日、砦に行くつもりだから、ついでに見て来るわ」

「いや。あれは親父待ちの案件だから、俺が行ってくる。……お前も行くんなら、一緒に行くか?」

「いいの?」

「ああ、かまわん」


 妹は小さくガッツポーズをすると嬉しそうに微笑んだ。

 普通は砦に行くなど女性は嫌うはずなんだが、やはり普通じゃないよなあ、と再確認をする。だからこそ、王宮はこいつにとっては窮屈な檻でしかなかったわけだが。


「で、話があるんだろう?」


 少し温くなった紅茶で喉を潤してから口を開くと、途端に妹の表情が曇った。

 今日は街に出かけていたはずで、夕食の時に聞いた話の様子からも、なかなか楽しんできたように思っていたのだが、わざわざ部屋で話すあたり、あまり周りの者には聞かれたくない内容なのかもしれない。

 まだ部屋の片隅に控えていたベルモントを下がらせる。

 扉が閉まると同時に妹の肩から力が抜けた。


「どうした。ずいぶん緊張していたようだな」

「うん……侍女との距離の取り方が難しいの」


 今日の買い物につきあった侍女の話だろうか。だが、フィグとて自領にはほとんど戻っていない。ましてや妹につきあったのは母上の侍女のはずだ。接点はまるでない。

 フィグはため息をつくと首を横に振った。


「すまん、それは門外漢だ。むしろアンナに聞いたほうがいい」

「そう……そうよね。セリアやアンナは昔から私を知っているから距離の取り方がわかるんだけど……サラはどこかの貴族の令嬢よね? だからかちょっとね……」


 そういえば以前、父上が嘆いていたのを思い出した。

 ユーマが王宮に行ってから、高位貴族の子女から執事見習いや侍女見習いとして働かせてほしいという申し込みが殺到したのだとか。

 要するに、あのバカが直接プロポーズした娘の家と、何とかして関係を作りたかったのだろう。

 今頃手のひらを返して、侍女を呼び戻す算段をしている家がいくつあるか。父上が戻るまでにそういう手紙がいくつ舞い込むか楽しみですらある。


「まあ、あまり気にすることはない。母上には母上の都合や思惑もあるのだろう。お前のセリアが到着するまで手を貸してもらうだけなのだから」

「そうね……忘れておくわ」

「そうしておけ」


 ユーマはうなずいて、紅茶を一口飲む。だが、まだ何かわだかまりがあるのだろう。むしろ、侍女の話はおまけで、これからの話が本題なのだろうと知れる。


「で?」

「……あのね、兄様。わたしが王都に行ってから、街の雰囲気が変わったなんてことはないのかしら」

「俺もほとんどこっちには戻ってきていないからな。……あまり比較はできん。何かあったのか?」


 ユーマは視線を手元に置いたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。

 曰く、以前より治安が悪くなった気がする、とのこと。

 街に出かける話をした時に、アンナが護衛を必ず連れて行けと言ったこと。

 とりわけ城壁に近いあたり――旅行者向けの安宿や食事処が立ち並ぶあたりは目つきの悪い人をちらほら見かけたこと。

 以前はそんなことなかったのに、と妹はつぶやいた。


「もしかして……わたしが王太子妃候補となったから……?」

「それは違うだろう」


 人が集まったのは、確かに妹が王太子妃候補として取り立てられたのが一因ではある。

 王都から人がやってきたのも、いずれは王妃になると目されたユーマの家族に取り入ろうとしてのこともあるらしい。侍女がわんさかとやってきたのもその一環だ。

 だが、だからといって治安に直結はしない。たいていやってくるのは貴族と連なる者か……諜報員。

 おそらく安宿辺りに潜伏しているのだろう。

 ベルエニー領は父上の方針でそういった者たちを抱えていない。重要な拠点であることは重々承知の上だが、長らくこの状態が続いたおかげで、危機感は薄い。探られたところで痛む腹はないというのもあるのだろう。

 武に長けた者を配置して、支援が来るまでを乗り切る。それがベルエニー領の役割だと、フィグも教えられてきた。だからこそ、自分もカレルも騎士の道を選んだ。

 今潜伏しているのは、隣国の者たちよりは、国内の各派閥に所属する貴族たちの諜報員の方が多いに違いない。

 今までも父上と妹の動向を監視するために潜伏していただろう。だが、そういった報告が上がってきたとは一度も父上からもベルモントからも聞いていない。

 妹でさえわかる程度に増えたのだとしたら……妹の動向を監視するために派遣された者たち、もしくは妹を害するために派遣された者たちのどちらかだ。


「今までそういった報告は受けたことがないからな。春になれば様々な人が出入りする。そのせいではないか?」


 フィグとしては、傷心だろう妹にこれ以上の心労は負わせたくない。だが。


「……わたしを狙う者も入って来てるわよね?」


 ふう、とため息をついてこともなげに口にした妹に、フィグは眉根を寄せた。


「お前……」

「分かってるわ。……兄様、ちゃんとわかっているから、言って」


 真顔になってフィグを見つめてくる。

 ここにいるのは十四歳のユーマではない。王太子妃として教育を受けた一人の貴族の令嬢なのだ、と今更ながらに思い知らされた。


「……面白い話じゃねえぞ」

「わかってるよ。ちゃんと聞くから」


 フィグは手にしていたカップをローテーブルに戻した。


「……俺たちが戻るのと前後して、かなりの人数が領内に入った」

「諜報員? 工作員? それとも暗殺者」

「おそらくどれも、だろうな。……この六年でも入植者は結構いる。まあ、とはいえ領内で養える人数は限りがあるからな、増えたと言っても知れた数だとは思うが」

「その人たちも、諜報員や工作員の可能性は高いのね」

「……そう思っておいた方がいい」

「兄様のことだから、把握は済んでいるのではなくて?」


 妹はくすりと笑ってフィグを流し見る。


「……父上とベルモントがな」

「父上が?」


 驚いたように目を丸くする妹に、フィグは苦笑を浮かべた。


「親父殿を侮るなよ? ……と言いたいところだけど、砦のヌシが一枚かんでる」

「やっぱり。……でも、そうなると一人で出歩くのはよろしくないってわけね」

「そういうことだ。まかり間違ってお前がやっぱり王太子妃に返り咲くこともないわけじゃない。――生きている限り安心できない輩もいるからな」

「……そうね」


 妹は目を伏せた。こんなことを妹相手に言いたくはない。だが――あのバカが諦めるとは思えないのだ。正直な話をすれば。そして、あのバカが諦めないということは、その隣を狙う者たちもユーマの命を狙い続けるだろう。


「じゃあ、侍女も使用人も信用しない方がよさそうね」

「残念ながらな。……まあ、使用人はベルモントが見極めてるから大丈夫だろうとは思うが、侍女は今まで野放しのはずだ」

「それはわざと?」

「たぶんな。……母上としては、預かった令嬢を無碍にできないんだろう」

「アンナも知っているの?」

「……どうだろうな。そっちは分からん。ともあれ、セリアが到着するまで油断はするな」

「ええ、わかった」


 すっかり冷めた紅茶に手を伸ばしながら、ふぅとため息をつく妹をちらりと見る。

 自領に戻って来ても、思うように楽になれないのは、立場のせいだ。こればかりは仕方がないだろう。

 普通なら婚約破棄されればそういったしがらみからも解放されるはずなのだが……。


「戻って来てもあまり変わらないな」

「……そうでもないわ。普通に笑えるし、気軽に出かけられるし。こんな口調で喋っても怒られないし」

「そうか」


 様々に頭の痛くなることはあれど、妹が微笑んでいられるのならばそれでいい。

 そのためなら、あのバカの目を他の女に向ける手伝いぐらいはしてもいいか、とフィグは思うのだった。

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