19.子爵令嬢はお出かけする(3/13)
「行ってもいい?」
夕食のカルパッチョをフォークで刺しながら言うと、向かいに座っていた兄上はああ、とあっさりうなずいてくれた。
「で、どこに行くんだ? 砦か?」
「お買い物。兄様はなにか必要なもの、ない? ついでだから買ってくるけど」
「そうだな……門前のメリーばあさんところのチュロス」
「ああ、あれね。わたしも好き」
「馬車で行くのか?」
「ううん、馬で。ついでにぐるりと回ってきたいし」
すると兄上はちょっと眉根を寄せて手を止めた。こういう時ってたいてい何か言いたいときだったよね、確か。
「だめ?」
「だめじゃねえが、買ったものはどうするんだよ。馬じゃ運べねえだろ?」
「そんなに買うつもりはないんだけど……」
「服買うんだろ? まあ、こっちにある服は合わないだろうから、しっかり買ってこい」
兄上はなんだかにやにや笑っている。
館から町までは大した距離じゃないし、本当は歩いて行ったっていいんだけれど。
ちらりとアンナを見ると、口角を上げて頷いている。
確かにそうなんだよね。
母上の服を無理やり着ているのだけれど、やっぱりサイズが合わないのよね。下着とかも必要だし……。
「わかったわ。じゃあ馬車を使うわね」
「ああ、そうしろ。母上の侍女がよく知ってるだろうから、誰かついてってもらえ」
「そうね。……アンナ」
「それでしたら、今日のお嬢様の担当をつけましょう。サラ、お願いしますね」
「かしこまりました」
壁際に控えていた侍女の列から一人、進み出た。黒髪を短く揃えたボーイッシュな女性。髪を短くしている人は久しぶりに見るわ。そういえばわたしも髪の毛を切りたかったのよね。
「よろしくね」
笑顔を向けると、サラは黒い瞳を見開いてから頭を下げた。
わたし付きの侍女はセリアだけで十分手が回るのだけれど、セリアがここに到着するまでは母上付きの侍女に手伝ってもらうしかないものね。仲良くなれるといいけれど。
◇◇◇◇
サラが連れて行ってくれた一軒目のお店は、六年前にはなかったお店だった。なんでも、王都から引っ越してきた仕立て屋さん一家らしい。母上がお気に入りのお店らしくて、年に一着は新調しているらしい。
ただ、ここは本格的な仕立て屋さんで、町娘が着るような既製品や古着なんかは置いてない。夜会に出かけるような服も作れるとご主人は豪語していたけれど、わたしが欲しい服はそれじゃないのよね。
どうせ必要になるのだから、とサラに押し切られて一通り寸法を取られたけれど、目的の服は手に入らなかった。
お店を出た後でサラに問いただしたところ、どうやらアンナから指示されていたらしい。
「必要になったときにすぐ仕立ててもらえるように、寸法だけは測ってもらうようにとのご指示だったので……」
申し訳ありません、と小さくなって頭を下げるサラをそれ以上責めるわけにもいかなくて、わたしはため息一つだけで終わらせた。
「でも、そういう指示があるなら先に教えておいてもらえる? 買いたい物も行きたい場所もあるのに時間が無くなっちゃう」
「申し訳ありません。これ以上の指示はされていませんので、あとはお嬢様の行きたい場所へお連れいたします」
やはり一歩下がって硬い口調だ。母上はこんな感じで侍女たちに接しているのだろうか。想像ができないのだけれど。
母も普通に家のことを手伝ってたし、冬になれば暖炉の傍で織物をしたりもしていた。侍女だからと線引きする人じゃないように思うのだけれど、なにか思うところがあったのかしら。
下着を扱っているお店に行きたいと告げると、サラが場所を知っていた。
これも母上のお気に入りの新しいお店で、わたしもこのお店は好きになった。手触りもいいし、デザインや刺繍などもすてきだったのよね。おまけに匂い袋をつけてくれたし。
次は既製品や古着を扱う店に案内を乞うと、サラは戸惑ったようにわたしの顔を見た。
「既製品や古着、でございますか?」
「ええ。仕立てるとなると何日もかかるでしょう? 普段着として使える服が今すぐ欲しいのよ。母上の服では合わないし」
「ですが……お嬢様が着るような服の古着となりますと……」
「ねえ、サラ」
わたしは言葉を遮って声をかけた。真正面から彼女の顔をのぞき込む。
「どんなふうにわたしのことを聞いているか知らないけれど、わたしはいわゆる『お嬢様』とは違うわ。……あなたも王都の方から移ってきた人よね?」
目の色を見ながらそう言うと、サラは目を見開いて頷いた。
この辺りは日照が短いせいなのか、髪の毛も目の色も色素が薄い。サラみたいに黒い髪の毛や黒い瞳はもっと南の出身だとすぐに知れる。
もしかしたら、どこかの貴族の令嬢なのかもしれない。花嫁修業の一環として、貴族の奥方や令嬢の侍女として働くことはよくあることだもの。
そういえば、母上の侍女だと紹介された中には美人な方が多かった。王都の高位貴族の館に入った方がきっといい縁に恵まれるんじゃないかしらと思う人がいっぱい。
王都からわざわざ母上の侍女として仕えに来る理由もメリットもないはずなのに。……これもわたしの『王太子妃候補』効果というやつなのかしら。……ため息が出てしまう。
「わたし、幼いころから領内を駆けずり回っていたのよ。畑も耕すし、羊も追うし、馬にも乗る。剣も振るう。そのための服が欲しいの。ドレスは要らないわ」
「そ、うでしたか。……失礼いたしました」
そういった店に心当たりはないそうなので、わたしの知っている古着屋に行くことにした。
城壁の近くにあるその店はまだ営業していた。戸口をくぐると、懐かしい顔が出迎えてくれた。
「はいよ、どんな服をお探しだい? それともその服を売りに来たのかい?」
「相変わらずね、パディ爺さん」
くすくすと笑うと、暗い店内では灰色に見える髪の毛を短く整えたパディ爺さんは、眼鏡をずり上げて目を丸くした。
「こりゃたまげた……お前さん、ユーマかい? いつ戻ってきたんだ」
「昨日よ。元気そうね」
「ああ、おかげさまでな。そっちは?」
「母上の侍女なの」
サラを紹介すると、二人は互いに頭を下げた。
「で、いつもの服かい?」
にやりとパディ爺さんは笑う。そう、よく利用してたのよね。六年経って、忘れてるかと思ったけれど、そうでもないみたい。
「ええ。農作業用と、街歩き用と、お出かけ用。あと兵士の制服なんか流れてきてない?」
「……お嬢、また潜り込むつもりかい?」
久しぶりにお嬢と呼ばれてうふふと顔をほころばせ、唇の前で人差し指を立てた。
「砦には行くつもりなんだけど、びっくりさせたいのよ」
「なるほど、ヌシがびっくりする顔を見てみたいよ。確か一着だけあったな。待ってろ」
パディ爺さんは手早く古着の山をかき分けると、わたしの希望した服をカウンターに並べ始めた。
次々と試着して、フィット感を確認して行く。大きすぎるのは横に避けて置くと、パディ爺さんがこっそりため息をついてた。……仕方ないじゃない、育ってないんだもの。
結局、農業用にスカートと綿シャツ、ベストのセットを三セット。街歩き用はもう少しおしゃれなものを二セット。お出かけ用はエプロンドレスと、サマードレス。それに肩を隠すボレロとケープ。ちょっと気取って出かけたいとき用ね。
とりあえずのところはそれで足りるかしらね。あとは、母上とセリアが帰って来てから見繕ってもらおうっと。
兵士の服は……サイズがぴったりだった。男性用でも十分な自分の体が少し恨めしいけれど……。
お代を支払うと、パディ爺さんは手早く包んでくれた。
「馬車で来てるのか?」
「ええ、店の前に止めさせてもらってるけど……」
店の前はそんなに広くない通りで、御者には少し離れたところで待つように伝えたけれど、護衛の意味がないからと断られてしまった。
そうそう、御者として現れたのはなぜかゲイルで、さすがにびっくりしたわ。たぶん兄上が手配したんだと思うけど……。まあ、知らない人が護衛でつくよりはましかな。護衛とはいえ、馬車からは離れられないんだけれど。
パディ爺さんはさっさと服の包みを抱えて店の前の馬車に行ってしまった。あとについて店を出てみると、なぜかゲイルとパディ爺さんがそろって振り返った。
「なんで粉ひきゲイルが護衛なんだ? こんな頼りないので大丈夫か?」
「失礼な。これでも剣の腕は上達したんですよっ」
どうやらパディ爺さんのお眼鏡にはかなわなかったみたい。くすくす笑いながら、わたしは馬車に乗り込んだ。
「大丈夫よ、わたしもサラも多少は腕が立つから」
サラが本当に腕が立つかどうかは知らないけれど、パディ爺さんを安心させるには十分だったみたい。
パディ爺さんに手を振って、店を離れる。
たった三軒回っただけなのに、なんだか思ったより疲れてしまった。
結局、兄上から頼まれたお土産だけ買うと、そのまま館に戻ることにする。
そうサラに告げると、あからさまにほっとした顔になった。
確かに、古着屋のあたりも、門前のあたりも、館の周辺に比べれば治安はよくないことが伺えた。ゲイルが馬車を横づけにしたのも、それが理由だと分かってはいる。
女性が一人で出歩くことをアンナが禁止した意味が今ならわかる。
でも……貴族だから、ベルエニー一家の者だから贅沢をしていると思われているのだとしたら心外だ。いつだって領民のために父上は心を配っているのに。
それとも、わたしが……王太子妃の候補になったことで、何か悪い方向に変わってしまったのだろうか。
父上がお戻りになったら話をしてみよう。
兄上にも……一応報告はしておいた方がいいわよね?