193.第一王女は踊る
大変遅くなってすみません。
続きは翌日の昼にアップします。
「フェリス王女殿下、次のお相手はぜひ僕と」
「いえ、次は私との約束が」
ダンスを終えて壁際に下がろうとしたフェリスは、差し伸べられる手に困惑していた。
もちろん、自身の立場はよくわかっている。唯一の王女であるし、デビューも済ませている。
ここが王宮であれば、兄たちや親しい者たちもいて、ある程度は心配りをしてもらえるだろう。
けれど、ここは王宮から離れた地。視察と銘打って各地を回っている最中だ。気心の知れた者がずっとついていてくれているわけでもない。むしろ、そう言った者たちを遠ざけての旅となった。
だから、この場面も自力で切り抜けねばならない。……但し、華麗に。
「皆様、ありがとうございます」
母上も無茶を言うわよね、と内心ため息をつきながら、にっこりと微笑をその場にいる皆に向けて、フェリスは口を開いた。
「少し風に当たってまいりますわ。戻ってきたら、お相手いただけます? リリーシュ様、ネフロース様、エンジュ様、グラント様、ソイシェ様」
「ええ、お待ちしています」
「勿論」
一番前で手を差し伸べる五人の名前を並べれば、それぞれが嬉しげに破顔して答える。そのさらに外側にいる者たちには視線を向けて報いると、視線が合っただけで頬を赤らめるものさえいる。さすがにその程度で卒倒する者はいなくなったようだ。
傍に控えるオリアーナを連れてバルコニーへと向かう道すがらも、行き会う者たちから老若男女の別なく声をかけられる。もちろん、彼らも丁重に対応するからなかなか前に進まない。
引き留められそうになればオリアーナがやんわりと遮ってくれるのはとてもありがたい。
途中で給仕からグラスをもらい、バルコニーへ出れば、オリアーナは入り口をふさぐようにしてフェリスの姿を隠してくれた。
周りを見回して、見えるところには誰もいないことを確認すると、フェリスはようやく表情を崩した。
ずっと貼り付けていた笑顔のせいで、放っておいても微笑み顔になる。移動があるから連日ではないものの、移動中だって気を抜けないのは地味に堪える。
馬車の中とて迂闊な姿を晒すわけにはいかないのだ。
ちょっと強張りかけているほっぺたを動かすように手で引っ張る。化粧が落ちるとオリアーナに怒られそうだけれど、今は背中を向けているし、いうほど濃い化粧を施されているわけではないので、大事ないだろう。
ひとしきり頬の筋肉を揉み解してため息をつけば、がさりとバルコニーの奥から音がした。
フェリスは身構えつつ出口に立つオリアーナに視線を向ける。が、オリアーナは背を向けていた。
バルコニーのフェリスに接触を試みたものがいたのだろうか。それとも主人の息抜きに気遣わせたくなかったのだろうか。
誰かと話している様子はないことから、フェリスは出口に足を向けた。
刹那。
「おや」
聞き覚えのある声に振り向けば、植え込みの間から手すりを乗り越えてくる人影があった。
かがり火を受けて赤く見える濃い蜂蜜色の髪を後ろに流した長身の男の顔は、確かに昼間挨拶した領主家の三男坊のものだ。が、身にまとっているのは仕立ては良いが簡素な白いシャツと黒のベスト。どう見ても夜会参加者の姿とは思えない。むしろ給仕の姿そのものだ。
フェリスが目を瞠るうちに男はバルコニーに立つと身なりを整えた。その仕草は優雅で、三男坊が夜会に紛れ込むのに給仕に扮した、というのが真相らしい。
「……何をしていらっしゃいますの、レイノルズ様」
「少し息抜きに、ね」
そう告げるとレイノルズはフェリスの前に片膝をつくと右手の掌を差し出した。見上げてくる瞳は暗い青だが、昼間見た時には海の青に見えた。
「で、なんで子猫ちゃんはこんなところに一人でいるのかな?」
「わたくしは子猫ではありませんの」
レイノルズの声に揶揄いの色をみつけてフェリスは眉を顰めるとぷいとそっぽを向いた。どうやら女好きの遊び人の噂は本当らしい。
とはいえ、主催家の一員であることには違いはなく、身分を盾にないがしろにしていい相手ではない。
「デビューしたての子猫ちゃんには違いない」
差し出した手を引っ込めたレイノルズに、フェリスは内心ため息をつきつつ彼の方に向き直るとドレスの裾をつまんだ。
「ごきげんよう、レイノルズ様。本日の夜会は欠席と伺っておりましたのでご挨拶が遅れましたわ」
完璧な礼をして微笑を返すと、レイノルズは虚を突かれたのか一瞬だけ笑顔が消える。が、あっという間に元の笑顔を浮かべると、立ち上がって胸に手を当てると腰をかがめた。ふわりと薔薇の香りが風に乗って届く。
「ご丁寧に、フェリス王女殿下。……こうして出会えたのも何かの縁、一曲お相手いただけませんでしょうか」
彼の態度は正しく貴公子のもので、フェリスは目を見開く。
今まで巡ってきた地域でも彼のような優男は多く見てきた。この夜会でも、甘い言葉を囁いてくる男は少なくない。爵位を継ぐ可能性の低い三男以下になると、各家の教育もおざなりで、貴族として最低限のマナーを身に着けているだけで、少し慣れてくると女を下に見てくるケースも多かった。社交経験の少ないフェリスでさえ見通せる底の浅さに、最初は驚きもしたのだ。
もちろん、そう言う輩ばかりと言うわけではない。が、今回巡っている地の子息たちは、あからさますぎた。
年下の王女を手に入れれば王族の仲間入りできると思っているのだろう。一方的にまとわりついてきて、あしらうのも一苦労だった。
が、この三男坊は予想をいい方向に裏切ってくる。
差し出された手をじっと見た後、フェリスは素直に微笑みを浮かべた。バルコニーに出る前、ダンスを強請る男性陣に向けたのとは違い、自然に出たものだ。
はっとレイノルズが目を見開くのを見ながら、フェリスは「お断りします」とにこやかに答えた。
「え……?」
「だって、中でわたくしを待つ方がいらっしゃるのですもの。ここでレイノルズ様が抜け駆けなさるのはだめですわ」
そう告げた時のレイノルズの顔に一瞬、怒りが乗る。
小娘に断られたことを怒ったのだろうか。だとしたら最初の印象はフェリスの勘違いだったようだ。
「では、失礼いたしますわ」
息抜きに出てきたのに、息抜きにならなかったわね、と内心ため息を吐きつつきっちり礼を尽くして背を向ける。と。
「……では、あなたが全員と踊ったあとなら踊っていただけますね?」
背後からかけられた声に、からかいや怒りの色はなく。
ちらりと背後に視線を流せば、真摯な視線とぶつかる。これが本気であれば、心も動くかもしれないけれど、と目を伏せた。
「お断りいたしますわ。第一王女が給仕と踊ったと知られれば、侮られてしまいますもの」
流し目をすれば、あからさまに動揺が浮かぶ。その様に落胆しながら、扉に向き直るとオリアーナを呼んだ。
咎め立てするようなオリアーナの視線を浴びながら、フェリスは口元に笑みを浮かべる。
王女が使用人と踊ったなどという噂だけは届くのが早い。正しくは、庶民に扮して王都の聖誕祭に潜り込んだ際に、男装して従者としてついてきたオリアーナと踊っただけだったのだけれど。
「随分と舐められたものね」
「これで三回目ですね」
オリアーナの呟きに、フェリスはため息をついた。噂話の拡散が早いというなら、同じように接触してきた男たちの顛末も広めてくれればいいのに。そうすれば、毎度不毛なやりとりをしなくて済むのに。
「さあ、もうひと踊りするわよ」
「……あまり愛想を振りまきすぎないようになさいませ」
「あら、それがわたくしの役目でしょう?」
ふふ、と笑いながら自分を待つ男たちのところへ向かう。
父上は否定したけれど、この旅は伴侶探しの第一歩だと母上は言っていた。
男を見る目を養わなければ、不幸になるのは自分なのだ。
まかりまちがっても兄上のような男だけは避けないとね。
彼女を見つけて我先にと寄ってくる男たちを微笑みで落として、フェリスはオリアーナにそっと目配せをした。