190.王太子は罰を受ける
入室した時点で人払いはすでにされていた。
部屋の中には王妃としての豪奢な装いを身につけた母上が一人、ソファに腰掛けている。
呼び出されるのは想定内だし、このピリリとした雰囲気も、母上のーー王妃の怒りを思えば当然と言える。
ミゲールは扉の近くに立ったまま、逡巡する。
父上の名で呼び出されたのに父上はいない。しかも執務室でなく私室を指定された時点で違和感に気付くべきだった。
「座りなさい」
否応ない命令に、ミゲールはなすすべなく従う。
侍従や侍女の一人もいない空間で、しかし母上は王妃として振る舞う。それが何を意味するのか、わからないミゲールではない。ーーこれは、断罪の場なのだ。
「他の者から事情は聞きました」
レオに唆されて城を一人で出奔したこと、追いついたフィグに助けられたこと、勝負には負けたこと。
王妃の語る事情はどれも的確で、しかもミゲールには見えていなかった事柄まで補足されている。
それはつまり、全て影の監視下であったということに他ならない。
王妃のーー母上の掌で、転げ回っていたに過ぎないのだ、ということを痛感させられる。
ミゲールは素直に首を垂れた。
「レオは冬の間、東の砦に派遣します。セレシュは、南部三国への視察を申し付けました。フェリスには、冬の間に北を除く国内の視察を」
これは、公に処罰できない自分たちに対する、王家としての処罰だ。
ウィスカ王国は北と東を高い山脈に遮られていて、二つの山脈の合間をすり抜けるように、細い街道が北へと続いている。
だからこそ、その出入り口たるベルエニーの門を閉ざすだけで北の大国を締め出すことができた。
また東には、山脈を越えて砂漠へ抜ける、東方諸侯領への古い街道があり、その起点である街からは、南のキレニア諸邦に向かう街道が伸びる。
古くからある宿場町でもあり、我が国にとっては閉ざすことのできない地である。
そのせいもあるのだろう、北へのルートを望む者たちによって、いつしか山脈を山沿いに進む道が拓かれていった。
山道ゆえさほど広くはないが、人一人通る程度だった獣道が馬車の隊商が通れるほどになり、今では北のファティスヴァールとリムラーヤへ到達できる唯一の交通路として、そして両国の侵入口として監視されている。
東の砦はそんな交通の要所に建てられた。北の大門を封じ続けている我が国にとっては、最も危険な地域だ。
故に、北方騎士団と同じく実力者が揃っている。
冬の間、と限定したのは北への山道が冬の間は閉鎖されるからだろう。母上とて望んで危険な場所に赴かせたいわけではないのだと、窺い知れる。
南部三国は、ベリーナ女王の国を含む、我が国に接する海に面した国々だ。
二人の娘を派遣してきた女王から訪問の要請があったことは知っていた。
以前二人を歓待したレオがいくものとばかり思っていたのだが、セレシュを向かわせるあたり、母上も意地が悪い。
セレシュもデビューしたばかりだ。実地で外交経験を積むにしても、いきなりベリーナ女王の膝下とは。
……だから罰なのだが。
フェリスに課せられた国内の視察は、デビューしたての妹の顔を売りにいくということだろう。早々に相手を見つける意味合いもあるのかもしれない。
今までユーマについて回るだけだったフェリスを鍛えるつもりなのかもしれない。セレシュと比べれば国内の貴族相手は優しいものだ。
……ならば、自分への罰はどれほどになるのやら。
この後続くだろう言葉に身構えながら、顔を伏せたまま目を閉じる。
「ミゲール」
「はい」
「……陛下と約束したそうね。春までにふさわしき相手を見つけると」
はっと顔を上げれば、母上は表情を消してこちらを見ていた。
腕の肌が泡立つのがわかる。どくり、と胸の奥が嫌な音を立てて痛み始める。
それだけは……嫌だ。
しかし、王妃はじっとこちらを見下ろしたまま、何も語らない。その無音の時間が果てしなく続くようで、息苦しくなる。
どれくらいそうして視線を合わせていただろうか。
王妃は不意に口角を上げた。
「……そんな顔をせずとも良い。取って食いはせぬ」
そう言われて、顔に手をやる。視線は自然に外れていた。
「そなたはどうしたい?」
ミゲールは視線を彷徨わせる。ここにいるのは母上ではなく王妃。ならば自分は……王太子として答えねばならない。
けれど、その答えを口に出すのを逡巡する。
答えてしまえば、二度と覆らないだろうから。
「そなた自身の答えを聞きたい」
のろのろと口を開こうとしたミゲールに、王妃はそう言った。
顔を上げれば、王妃はほんの少し目を細めてこちらを見ている。
「……私の、答えを」
「陛下には伝えぬと誓っても良い。そなたの本心を聞かせよ」
ミゲールは目を瞬かせた。重ねた言葉が聞きたい、ではなく聞かせろとは。
すると王妃は目を伏せてため息をつく。
「……そなたは賢しい。己の想いより己に求められる立場を最優先しようとする。だが、そうしなかったことが何度かあるな」
「それは」
王妃の言いたいことを察して、ミゲールは視線を逸らす。
「だから、そなたの本心を聞く。……そなたはどうしたい?」
ぎゅっと拳を握る。
本当に、本心を口にして良いのか迷う。父上には黙っているという母の、王妃の言葉も言葉通り信じて良いのかも。
だが。
じゃあ春になるまで待ったとして、何か変わるのかと言えば。
……この想いは変わらない、と言い切れる。
ならば同じこと。
「……彼女を、ユーマ・ベルエニーを妻に欲します」
そう、言い切って目を閉じる。
これは自身の断罪の場。だというのにこの問いかけだ。不安にならないはずがない。
自分の本心を知って、王妃がどう動くのか。何を自分への罰とするのか、考えるのも恐ろしかった。
だが、じゃあどうだと考える。
もし、反対されたら。ーーそれで諦められるはずがない。
「そう」
長い沈黙ののち、王妃の口から放たれた言葉にミゲールははっと体を起こした。
王妃は、微笑みを浮かべていた。
それはまるで許されたかのような、一瞬だった。そう思っても仕方がなかっただろう。
だから、続く言葉に言葉を失った。
「ならばミゲール。あなたへの罰を伝えましょう。ーーそなたとユーマとの婚約は、許可いたしません」