187.子爵令嬢は蜂蜜酒を配る
「聖誕祭おめでとう!」
街の広場にはたくさんの人が集まっている。篝火が焚かれ、即席のかまども準備して、寒空の中やってくる領民たちへ凍えないようにと温めた蜂蜜酒を配る。
子供たちもリカオンを渡されると早速口にして、元気に走り回っている。
父上はようやく動けるようになった。
結局聖誕祭までわたしが領主代行を続けたけれど、おかげで父上の仕事の一端を知ることができた。
領地の経営というのは、描いた通りに全てが運ぶわけではない。人の営みだもの、予想外のことばかりで、しかも自然はわたしたちの都合なんか考えてくれない。
それを、父上は今まで一人でこなして来たのよね、と素直に賞賛すると、父上は首を振った。
曰く、母上の協力あってこそだ、と。
父上が惚気めいたことを言うのは初めてな気がする。きっと、母上がその場にいなかったのも作用したのよね。
そんな父上の思いを聞いてしまったからか、二人が並んでいる姿を見ると、なんとなくこそばゆい感じがしてしまう。
わたしももし……ならあんな風になれただろうか、なんて考えてしまうのも、きっとそのせいね。
父上は母上を伴って領民たちの間を挨拶をして回っている。あの様子なら、もう執務には戻れるわよね。
このあとは新しい年を迎えて春を待つだけだし、何かあれば手伝うくらいはするつもり。
……うん、逃げてばっかりじゃダメよね。
「おう、今年はユーマか」
「お師匠様!」
声に顔をあげれば、お師匠様が砦の兵士たちを連れてこっちに歩いてくるところだった。
いつもの青い隊服の上から分厚い黒いコートを着ていて、声をかけられなかったらすぐには気づかなかったかもしれない。
冬に入ってからお師匠様と会うのはこれが初めてだった。父上の代行をしていてずっと館に篭りきりだったものね。
本当は冬に入ってからも鍛錬もしておきたかったけれど、こればかりは仕方ない。
「お前らも一列に並べ」
なんてお師匠様が兵士たちに命じている横で蜂蜜酒を六個の粗末な木製のカップに注ぎ入れる。この木製のカップもベルエニーの聖誕祭には欠かせない小道具だ。
領民の数に応じて増やさず、その場で飲み干したら次の人に渡して使いまわす。
六という数字は、ここにたどり着いたのが六人だったからとも、羊飼いの娘がもてなすのにありったけの器を探したけれど六個しかなかったからとも伝えられている。
六個のカップはすぐに配られて、次の兵士に渡される。
「お師匠様、これで全員ですか?」
「ああ。宿直当番が戻って来たから交代して来た。わしらが最後か?」
「そうですね」
領地に住む全員が顔を出すとは限らない。王都からきて店を構えている人たちの中には、山の封鎖前に降りてしまう人も少なからずいる。
伝統だからといって、強制することはできないものね。
「ニールは……あそこか」
「ええ、挨拶だけはしておきたいからって」
「そうか。お前ら、あとは好きにしていいぞ」
空のカップをわたしに寄越してお師匠様はさっさと父上のところに行ってしまった。わたしは差し出される空のカップに蜂蜜酒を注ぎ続ける。
本来ならば父上か母上の役目で、領民一人ひとりに言葉をかけていく。領民と領主が直接話せる機会でもあるのだけれど、ただの代行のわたしではそんな余裕も話題もあるわけがなくて。
聖誕祭を寿ぐ言葉を唱えつつ、カップを渡すのが精一杯。それ以上のことは父上に任せて良いと言われているからと、笑顔を浮かべ、渡す相手の顔を見ながら渡す。
「聖誕祭おめでとうございます」
何度目かのそれを口にして顔をあげれば、クリスがそこにいた。
「ああ」
相変わらずの不機嫌そうなクリスは、カップを受け取るとあっという間に飲み干した。
彼が最後だったようで、カップはわたしに戻される。こちらに来る人ももうないようだし、彼が最後の一人だったみたい。
それならばと受け取ったカップを台に下ろせば、目の前に四角いものを差し出された。
明るい日の光の下では真っ白に見えるそれは、確かに封筒で。きっといつものように薄い青に違いない、と冷たい空気に混じって届く香りに確信する。
「どうして」
「聖誕祭だからだろ。あんたも送ってたし」
確かに、今日の日に間に合うようにと昨日夕方に押しかけて運んでもらった。
規模も場所も違うけれど、聖誕祭を祝うのは一緒だからといつものようにカードを作って。
……本当はもう、するべきじゃないのは分かっている。でも、フェリスとライラ様たちには送りたかった。レオ様とセレシュ殿下の分も、楽しみにしていると言われては断りづらい。
あのあと、セレシュ殿下の手紙も次の時には復活していた。以前と同じような内容だけれど、そこに篭る感情を読み飛ばす苦労が増えたのはまあ、仕方がない。自業自得ですものね。
でもまさか、こんなに早くに届くなんて。
「向こうも準備してたんだろ。今日絶対渡せって俺にまで指示飛んできたし」
姫さんから、と言いつつクリスはわたしに封筒を押し付けて来た。
「返事出す時は呼んでくれりゃ取りに行く」
じゃ、と手を挙げて去るクリスの向かう先には幸せそうに微笑むリリーがいて。
分厚い封筒を手に、わたしは戸惑いを隠せなかった。