184.子爵令嬢は宰相夫人に頭を悩ませる
「父上、お加減はいかがですか」
父上の部屋へ行けば、母上と共に語らう父上がいた。まだ起き上がれないらしくて、うつぶせの状態から少し体を横に起こした状態だ。
「ああ、ユーマ。すまんな。……まだしばらくかかりそうだ」
「ごめんなさいねえ、ユーマ。難しい事はないかしら?」
母上も申し訳なさそうに言う。
「今のところは大丈夫です。ベルモントもいますし」
セリアにお茶を入れてもらいながら、わたしも父上の枕元に椅子を寄せる。
「それで、何か困ったことがあったか?」
「え?」
「あらあら」
父上の言葉に目を見開くと、ふふと母上が笑った。
「忙しいお前がわざわざ来たんだ、何かあったのだろう?」
それほど分かりやすい顔をしていたかしら。帰ってきてからこちら、感情を隠すのが下手になった気がする。
「あの、リリー様のことで……」
セリアから聞いたことも含めて話すと、父上は渋い顔をした。……そりゃそうよね、宰相夫人が使用人と一緒になって働いているだなんて、宰相閣下に知られたら大変なことになる。
でも、リリーは関係ないとばかりにセリアたちと楽しげに働いている。まあ、やりたいことを取り上げるのはしたくないからと、クリスの部屋付きにしたのはわたしなのだけれど……。
せめてわたし付きの侍女としてなら良かったのかもしれない。それでも公爵夫人が付き人だなんて恐れ多いけれど。
ところが、父上の言葉にわたしは目を剥いた。
「それが、カルディナエ公爵からは彼女の好きにさせてほしいと言われておってな……」
やっぱりそうなのね。というか父上、宰相閣下に相談したの?
すると父上はブンブンと首を横に振った。あまりに激しく振ったせいで腰にも響いたらしく、あたたた、と悲鳴を上げる。
「こちらから問い合わせたわけではないぞ。彼女がこちらに来られてすぐに手紙が来たのだ」
手紙によれば、どうやら宰相閣下は年若い後妻に対してとても心配性であるらしい。
彼女が第一王女の部屋付き侍女であること、今回の婚姻は仕事上の都合によるものでそういう感情はないこと、だけど蔑ろにするつもりはないこと。そして最終的にはカルディナエ公爵家が責任を持って然るべき相手に嫁がせるつもりであるから、身辺を身綺麗に保つこと。
それを聞いてクリスの顔が浮かんだ。
宰相閣下はやはり二人のことをご存知で二人をここに寄越したのね。
「王都ではできない体験もあるだろうから好きにさせてほしいと言われては、無碍にはできんのだよ」
それ、我が家で働くことは入ってないと思うんですけれど……。
でも、そうね。そういうことなら彼女にいろいろ体験してもらいましょうか。クリスの部屋付き侍女として働いていただいている分は王都に帰る際にでもフェリスに託けて、フェリスから渡してもらえるように頼んでおくとして。
せっかく冬のベルエニーにいるのだもの、春になって王都に戻ったとき、フェリスにたっぷり土産話ができるように、ね?
宰相閣下のお墨付きだもの。怒られないわよね?
彼女が王都に戻る条件を思い出して、胸がちくりと痛むのを、わたしは気づかなかったことにした。
「あの、お嬢様」
部屋に戻ったところでセリアが神妙な顔で聞いてきた。
……来るだろうと思っていた。あの場にセリアがいたのは分かっていたけれど、不自然な形で人払いはしたくなかった。
どこからどう説明しようかと言葉を選んでいると、セリアが首を横に振った。
「いいんです、何も仰らないでください。リリーが……リリー様がお客様なのは分かっていたのに、彼女の言葉に甘えてしまって、身分も弁えずに友達だなんて……」
「セリア」
わたしは首を横に振る。
リリー様もきっとセリアたちのことを友達だと思っている。でなければ、自ら使用人フロアに引っ越したりしない。
「でも! 政略結婚なんてひどいです!」
「え……?」
「公爵様が見合い話を持ってこられたんでしょう? でもダメですっ、リリーにはクリスさんがいるんですから!」
「ええっ……」
今度はわたしが狼狽する番だった。
ちょっと待って、セリアたちがそう認識するほど、二人は頻繁に会ったりしているってこと?
いやまあ、わたしも二人が一緒にいられるように画策したり、リリーに懸想する男の子とかを言いくるめたりはしていたけれど。
「だって、リリーだけじゃないですか、クリスさんのお部屋に入れるのって」
……まあ、確かにそうなんだけど。
砦の工事は終わったけれど、また引っ越すのも面倒だからって結局クリスは我が家の客間に住んでいる。
……あれ、リリーの近くにいたいからだと思うんだけど、絶対自分からそうとは認めないわよね。
で、部屋に入れないと苦情が来て、リリーを世話係に任命したのだけれど。
一応効果はあった、ということかな?
「リリー、最近きれいになったと思いませんか?」
「ええ、それは思うわ」
「わたし、見ちゃったんです。クリスさんの部屋から出てきたリリー、なんだかすっごく嬉しそうで、きらっきらの笑顔してて……それ見たハリスなんか呆けちゃって仕事にならないくらいで。クリスさんと話している時も、顔赤らめてて」
「そ、そうなの」
……なんだか聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。
「あれ、絶対恋する乙女の顔ですっ。だから、見合い話は断ってください!」
眉を釣り上げて声を張るセリアに、わたしは微笑んだ。
……リリー、愛されてるわよ。
「ええ、分かったわ。父上には伝えておく。それでいい?」
「はい、ありがとうございますっ!」
セリアの心底嬉しそうな笑顔に、内心ほっと胸を撫で下ろすのだった。
それにしても、どうして政略結婚なんて話になったのかしら。
ニコニコと退出していくセリアを見送りつつ、その謎だけが残った。
もちろんセリアたちの早合点。