183.子爵令嬢は聖誕祭に思いを馳せる
「あら」
ひと休憩して、次の書類を取り上げたところでつい声が出た。
少し分厚いそれは、聖誕祭に関する書類だ。
この国――ウィスカ王国には建国以来、いろいろな逸話が残っている。
その中でも最も有名なのが、聖ウィスカのお話だろう。
建国史にも出てくる実在の女性ウィスカ。
かつて、いわれなき咎で生国を追われたわたしたちの先祖が山にさまよいこんだ時、助けてくれたのが羊飼いだった彼女だ。
真っ白な髪と真っ赤な目を持つ羊飼いの彼女に導かれ、何もないこの地にやってきたご先祖様たちは、ここに国を打ち立てたのだという。
後に聖女ウィスカとして祀り上げられた彼女が冬生まれだったことから、年が変わる少し前に聖誕祭が行われる。
王宮では、清貧だったと言われる彼女にあやかり慎ましやかに祝ったのを覚えている。
反面、派手な夜会があちらこちらで開かれ、魔術師たちの放つ花火が王宮からも見えたほどだった。
ここベルエニーでももちろん、聖誕祭は行うのだけれど、この町では少し趣が違う。
……というか、物理的に外界から切り離されているから、余分な物資はないのよね。
聖誕祭のために準備はしているけれど、それ以上のものは出せない。
資料をめくれば、今年ふるまう予定のものが並んでいた。
「あ、蜂蜜酒出るんですね」
顔を上げると、覗き込んでいたセリアと目が合った。
彼女が目の前に来ていたことも、書類をのぞき込んでいたことも気が付かなかった。びっくりして背を伸ばすと、セリアも恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「も、申し訳ありません、つい……気になっちゃって」
「そういえば、セリアも六年ぶりだものね。ええ、蜂蜜酒と、あとは焼き菓子ね」
「楽しみですね。焼き菓子ってあれですよね?」
「ええ」
「はい、楽しみです!」
聖誕祭の日は、我が家から領民の皆へと酒と菓子を振る舞う。酒は毎年このために仕込んでいる蜂蜜酒。
菓子はこの日にしか振る舞われない、山で摂れる固い木の実を乾かして粉末にしたものを混ぜ込んで焼くリカオンという焼き菓子。
この木の実――リカは、建国当時の思いを忘れないようにとの祈りが込められている。
当時は食料に乏しくて、山に豊富にあるリカを何とか食べられないかと苦心したらしい。
実は、そのままだと苦いのよね。食べられるようになるまでには何段階も手順が必要で、他の食料が手に入るようになった現在では、積極的には食べない。……というか手間がかかりすぎて、こういう特別な時にしか振る舞われなくなった。
領民全員にいきわたるようにリカの粉末を準備するのはなかなか大変なのだけれど、みんなの協力でなんとかなっている。
今年もリカオン作りには母上の世代の奥様方が総出で手伝ってくださることになっている。
でもわたしが帰ってきたからか、そろそろ世代交代を、なんて話が出て、今年は母上が直接若い世代にリカオン作りを教えることになっていた。
――ううん、リカオン作りだけじゃなくて、お菓子作りそのものを一から教わりたいって娘が続出したのよね。じつは。
聖誕祭まではまだ十分時間があるし、そもそも菓子作りをしたことがないって子が多かったから、基礎から教え込むのだって、母上は張り切っていた。
そうしたら結構ハマったらしくて、聖誕祭が終わっても時間はたっぷりあるからと続けてほしいと望まれている。
母上の菓子作りの上ではプロ級だものね。ちょっとしたお願いの報酬にそれを頼まれるとか、普通ではありえないもの。
わたしも誘われたのだけれど……領主代行で忙しいことを口実に断っている。
「そういえば、リリーはどうしてる?」
「彼女もお菓子作りに来ていますよ」
「リリーも?」
驚いてしまった。セリアが参加しているのは知っていたのだけれど、リリー様まで行ってるなんて。母上からは何も聞いてない。
宰相閣下の奥方が、こんなところで菓子作りに参加してるだなんて、閣下が知ったら卒倒されてしまいそうね。……秘密にしておかなきゃ。
「ええ、リリーったらすっごく手際が良いんですよ! 聞いたら、実家でも作ってたからって」
「そうなの」
もしかしたら彼女もお菓子作りが趣味だったりするのかしら。母上とは話が合いそうね。
「それ以外は、相変わらずわたしたちと一緒に働いたり……あの、お嬢様」
「ええ、何?」
不意にセリアが背を伸ばして真剣な表情を見せた。
「あの……リリーなんですけど、その……お客様なのに、わたしたちと一緒に働いたりしてて……」
「ええ」
「でも、お給金、出てないんですよね……? なのにあんなに働かせてしまって」
そうだった。……どれだけ言っても客間どころか使用人のフロアに部屋を欲しがって、結局使用人フロアの空き部屋に移ってしまったリリー。お客さまだからと説明はしているけれど、本人が働きたがるのを無下にはできないって感じなのよね。
一応、クリスの部屋付き侍女をお願いしているのだからとお給金を渡そうとしても受け取ってくれないし。
父上も、強権発動させてくれないし……。まあ、公爵夫人に断られてしまっては強く出れないのでしょうけれど。
いいの? それで。
もしかしたら、父上は宰相閣下から何か言われているのかもしれない。わたしには教えてくれないけれど。
「……わたし、リリーとは対等でいたいんです。でも、今のままじゃ……」
セリアの思いつめた顔に、わたしは眉根を寄せて頷いた。
「そうね。……リリーと話をしてみるわ。今のままではよくないもの」
「はい、お願いします」
リリーの前に父上と話をする必要があるわね、とセリアを見送りながらため息をついた。